※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2014年10月27日

2014年10月26日のつぶやき






















































































































































































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2014年10月26日

10月26日(日曜日) わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ(元良親王 )

 おはようございます。
 というには早過ぎる時刻ですが・・・目がさめちゃったので・・・

 真っ暗です。

 阪神、日本シリーズ第一戦、勝っちゃいましたね。


わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ

元良親王(890年- 943年)
   色好みの風流人として知られ大和物語や今昔物語集に逸話が残る。

「わびぬる」は「物思いにふける」でいいのかな?

「今はたおなじ」これは以前、この「は」「た」についてもずらいとさんに教えてもらったような気が・・・でも今わかんない。

「物思いにふけっていると、難波の河にあるという澪標、身を尽くす努力をして会おうと思う」

みたいなところかな。


もずらいとさんからのコメント

わびぬれば → 「侘ぶ(わぶ)」思い悩む の連用形+完了の助動詞「ぬ」の已然形+順接の接続助詞「ば」で「ずっと思い悩んできたので」となります。

今はた → この「はた」は「はたと手を打つ」のように何かひらめいたり決断したりした時の表現に使う副詞です。ので「今ここで決断しよう」というニュアンスになります。

おなじ難波なる → 「同じ難波にある」

みをつくしても → 「澪標」と「身を尽くし」の掛詞です。

逢はむとぞ思ふ → 「む」は推量の助動詞ですが,ここでは意思「〜しよう」の意味で,「ぞ」は強意の係助詞なので「何が何でも逢おうと思う」となります。総合すると

 ずっと思い悩んできたが今ここで決断しよう,あの難波潟に立つ澪標ではないが,私の身を尽くしてでも再びあなたに逢おうと思う。

となります。この歌は宇多天皇の女御である京極の身息所と恋愛関係にあったのが世間に知られてしまったのを受けて詠んだものだそうです。つまり「こうなったら,どうなってもいいからあなたに逢いたいのです」という情熱的というか破れかぶれな心情を歌にしたものです。といっても,この人もプレイボーイだったそうで(光源氏のモデルの一人と言われています)「そういう自分ってかっこいいじゃん」というナルシスト的な感じを私は持ちます。



もずらいとさん、どうもです。

>今ここで決断しよう

私のでは、ここがまったく抜け落ちてますね。これだけ強い意味とは思わなかった。全体にもっと決意に満ちてるというか情熱的というか

>破れかぶれ

なんだ。
まあ、恋、ってなりがち。

>光源氏のモデルの一人

なんか百人一首に採択されてる人って、ここまで、出てきた中でも 河原左大臣 もそうだったし、「光源氏のモデルの一人」ってのがたくさんいるんや。今まで藤原道長くらいしか知りませんでしたが。

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2014年10月25日のつぶやき












































































































































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2014年10月25日