寒いっすね。
まだ外は真っ暗です。
月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
これはわかりやすいですよね。
「月を見ればいろいろなことを考えてしまい、悲しくなる。秋は私だけにきているのではなく、みんなに来てるんだけど」
夏のいろいろな物が元気な時期がすぎ、ちょうど今みたいに、寒くなってなんか元気が無くなってくる。夏の恋(と言っても、別に当時の人は海水浴などに行ったわけじゃないでしょうけど)も終わり、寒くて動くのも嫌な時期がやってきている・・・
みたいな。
しかし・・・大江千里・・・歌手はここから名前をとったのか??ああ、Wikipediaを見ると、歌人の方は大江千里(おおえのちさと)、アーティストの方は大江千里(おおえせんり)。
大江千里(おおえ の ちさと、男性、生没年不詳)
大学で学んだ儒者であるが、漢詩文はほとんど残っていない。
中務少丞・兵部少丞・兵部大丞などを歴任しているが、詳細な
官歴については不明である。
もずらいとさんからのコメント
意味は,もうそのとおりですね。この歌は昨日の文屋康秀の歌と同じ歌合(歌の会)で詠まれたものとされています。また,白楽天の「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長」をベースにしているとされています。
漢詩の「聯」の手法を取り入れていて,上の句の「千々」に対して下の句はわざと「一人」ではなく,ただの数詞である「ひとつ」としています。「一人」だと,聯の手法を取り入れたいのであれば上の句は何か単位が必要になります。
また,3・4・5句の冒頭は「ア段」の頭韻がされています。
> 夏のいろいろな物が元気な時期がすぎ、ちょうど今みたいに、寒くなってなんか元気が無くなってくる。夏の恋(と言っても、別に当時の人は海水浴などに行ったわけじゃないでしょうけど)も終わり、寒くて動くのも嫌な時期がやってきている・・・
解釈は自由ですね。私なんかは国語の教員ですので,漢詩の世界の基本である壮大さ(大言壮語というのは漢詩では良いことであって,悪いことではありません)を日本的にアレンジしているように感じます。
もずらいとさん、どうもです。
>下の句はわざと「一人」ではなく,ただの数詞である「ひとつ」
なるほど、そういうことだったんですか。
で、実は、私の感じ方なんですが、
>漢詩の世界の基本である壮大さ
漢詩的壮大さというのとは少し違うかもしれませんが、
「わが身ひとつの秋にはあらねど」
で、「私のところの秋」「あなたのところの秋」「彼のところの秋」「彼女のところの秋」と「パラレルワールド」ならぬ「パラレルオータム」がいくつも展開して、結構壮大な話だなあ、と思ってしまいます。