※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2014年10月29日

10月29日(水曜日) 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど(大江千里)

 おはようございます。

 寒いっすね。
 まだ外は真っ暗です。


月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど

 これはわかりやすいですよね。
「月を見ればいろいろなことを考えてしまい、悲しくなる。秋は私だけにきているのではなく、みんなに来てるんだけど」

 夏のいろいろな物が元気な時期がすぎ、ちょうど今みたいに、寒くなってなんか元気が無くなってくる。夏の恋(と言っても、別に当時の人は海水浴などに行ったわけじゃないでしょうけど)も終わり、寒くて動くのも嫌な時期がやってきている・・・

 みたいな。

 しかし・・・大江千里・・・歌手はここから名前をとったのか??ああ、Wikipediaを見ると、歌人の方は大江千里(おおえのちさと)、アーティストの方は大江千里(おおえせんり)。

大江千里(おおえ の ちさと、男性、生没年不詳)
   大学で学んだ儒者であるが、漢詩文はほとんど残っていない。
   中務少丞・兵部少丞・兵部大丞などを歴任しているが、詳細な
   官歴については不明である。


もずらいとさんからのコメント

 意味は,もうそのとおりですね。この歌は昨日の文屋康秀の歌と同じ歌合(歌の会)で詠まれたものとされています。また,白楽天の「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長」をベースにしているとされています。
 漢詩の「聯」の手法を取り入れていて,上の句の「千々」に対して下の句はわざと「一人」ではなく,ただの数詞である「ひとつ」としています。「一人」だと,聯の手法を取り入れたいのであれば上の句は何か単位が必要になります。
 また,3・4・5句の冒頭は「ア段」の頭韻がされています。

> 夏のいろいろな物が元気な時期がすぎ、ちょうど今みたいに、寒くなってなんか元気が無くなってくる。夏の恋(と言っても、別に当時の人は海水浴などに行ったわけじゃないでしょうけど)も終わり、寒くて動くのも嫌な時期がやってきている・・・

 解釈は自由ですね。私なんかは国語の教員ですので,漢詩の世界の基本である壮大さ(大言壮語というのは漢詩では良いことであって,悪いことではありません)を日本的にアレンジしているように感じます。



もずらいとさん、どうもです。

>下の句はわざと「一人」ではなく,ただの数詞である「ひとつ」

 なるほど、そういうことだったんですか。
 で、実は、私の感じ方なんですが、

>漢詩の世界の基本である壮大さ

 漢詩的壮大さというのとは少し違うかもしれませんが、
「わが身ひとつの秋にはあらねど」
で、「私のところの秋」「あなたのところの秋」「彼のところの秋」「彼女のところの秋」と「パラレルワールド」ならぬ「パラレルオータム」がいくつも展開して、結構壮大な話だなあ、と思ってしまいます。
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2014年10月28日のつぶやき








































































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2014年10月28日

10月28日(火曜日) 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ(文屋康秀)

 おはようございます。

 まだ真っ暗です。
 なんか昨日は木枯らし一号が吹いたそうで。

 私は今日、退院です。
 お医者様から言われていた「最短」よりも1日早く退院できます。
 これはありがたい。


吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ

 この歌は、「山」と「風」で「嵐」になるね、という、なんかめちゃ説明的で、最初読んだ時は感心したけど、だんだん「面白くない」と思うようになってきてました。

goo辞書
「むべ」→「うべ」に同じ
うべ【▽宜/▽諾】[副]
   《平安時代以降は「むべ」と表記されることが多い》
   肯定する気持ちを表す。
   なるほど。いかにも。むべ。
   「山河のさやけき見れば―知らすらし」〈万・一〇三七〉

らむ助動詞四段型
   《接続》活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型活用の語には連体形に付く。
   @〔現在の推量〕今ごろは…しているだろう。
     ▽目の前以外の場所で現在起こっている事態を推量する。
   A〔現在の原因の推量〕…(のため)だろう。どうして…だろう。
     ▽目の前の事態からその原因・理由となる事柄を推量する。
   B〔現在の伝聞・婉曲(えんきよく)〕…という。…とかいう。…のような。
     ▽多く連体形で用いて、伝聞している現在の事柄を不確かなこととして述べる。

「秋に風が吹いて草木がしおれてしまう。なるほど、だから山風を嵐と言うのだろう」


Wikipediaを見てたら、この作者は面白そう。

文屋康秀(ふんや の やすひで、生年不詳 - 885年?)
   平安時代前期の歌人。官位は正六位上・縫殿助。六歌仙・中古三十六歌仙の一人。
   (六歌仙の一人なんや・・・で「卑官に終始した。」と書かれてるわけだが・・・)

 小野小町と親密だったといい、三河国に赴任する際に小野小町を誘ったという。それに対し小町は「わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」(=こんなに落ちぶれて、我が身がいやになったのですから、根なし草のように、誘いの水さえあれば、どこにでも流れてお供しようと思います)と歌を詠んで返事をしたという。のちに『古今著聞集』や『十訓抄』といった説話集に、この歌をもとにした話が載せられるようになった。

 この歌を返した、ってことは「一緒について行った」と思ってしまうのだけど・・・
 なんか、康秀も小町も、めちゃかっこいいと思ってしまう。
 二人がいくつくらいの時だったんだろうか?


もずらいとさんからのコメント

 ほとんどコメント不要ですね。付け加えるなら「吹くからに」の「から」は「言ってるそばから」のように「すぐさま」と言う意味です。なので「風が吹いたらすぐさま(草木がしおれてしまう)」ということになります。「嵐」は「荒らし」と掛詞という解釈がありますが,語源として「荒々しい風」を「嵐」といったのだと思います。

>なんかめちゃ説明的で、最初読んだ時は感心したけど、だんだん「面白くない」と思うようになってきてました。

そういう評価は当時からある歌です。紀貫之は文屋康秀を「詞は巧みにてそのさま身におはず(歌の技巧はたいしたものだが,そのような技巧に見合う人柄ではない)」とひどい評価を受けています。
 またこの歌は息子の文屋朝康の作という説も強くあります。



もずらいとさん、どうもです。
コメント、いつもありがとうございます(^^)

>「吹くからに」の「から」は「言ってるそばから」
>のように「すぐさま」と言う意味

こういう私の調べが及んでいないことを教えて頂けるのが、めちゃありがたい。

>歌の技巧はたいしたものだが,
>そのような技巧に見合う人柄ではない

と酷評されるような人が、みんなのアイドルをかっさらって行った(行けたのか?歌を返してもらっただけなのか?)となると、いやあ、映画になるなあ・・・
posted by kingstone at 03:18| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月27日のつぶやき




































































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2014年10月27日

10月27日(月曜日) 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな (素性法師 )

 おはようございます。

 昨夜は、すごい稲光が光ってました。
 徳島では竜巻注意報が出てました。


今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな

Wikipediaによると
素性(そせい、生年不詳 - 910年)
   平安時代前期から中期にかけての歌人・僧侶。
   桓武天皇の曾孫。遍照(良岑宗貞)の子。
   俗名は諸説あるが、一説に良岑玄利(よしみねのはるとし)。
    三十六歌仙の一人。

 遍照が在俗時代の子で、遍照が出家する時に一緒に出家させられたみたい。しかし、貴族が出家するさいは、どんなふうに勉強(?)したんだろう?僧侶には僧侶としての常識みたいなものもあるだろうし・・・この場合、比叡山に入ったということではないもんな。門跡寺院というのを建ててもらうとしても、それを運営していく知識・技術も必要だろうし。

語源由来辞典
長月 陰暦で9月のこと。
   新暦の10月上旬から11月上旬(ちょうど今だ!)

コトバンク
大辞林 第三版
有明の月 ありあけのつき
   夜が明けて,なお空に残っている月。有明月。
   「あさぼらけ−と見るまでに吉野の里に降れる白雪/古今 冬」

「なお空に残っている月」ということで、画像を検索してみても、満月から少し欠けてきた大きめのものが多いですね。もうすぐ新月になる、という頃のものは言わないみたいやな。

 う〜〜んと

「あなたが今来ると言ったから、長月(10〜11月)の長い夜(長月だし・・・)を寝ずに待っていたのに、あなたは来ず、ついに寝ないで一晩中起きていて、有明の月(夜明けの月)を待ってたことになったじゃない。(どうしてくれるのよ)」

みたいな意味か。


もずらいとさんからのコメント

 意味はkingstoneさんの書かれているとおりです。補足するとすれば,通い婚の時代ですから男性が女性の気持ちになって歌ったもので,この技法はこの当時はやったものでもありました。また,普通の解釈はkingstoneさんのように「寝ないで一晩中起きていて」ですが,藤原定家は「待ち続けているうちに長月の有明の月を待つことになってしまいました」と「数ヶ月」待ったという豪快な解釈をしています。


もずらいとさん、どうもです。

>通い婚の時代ですから
>男性が女性の気持ちになって歌ったもの

あっ、そうか。
「通い婚」のこととか習ってましたが、すっかり忘れてました。
「男性が女性の気持ちを歌う」ってのは演歌でよくあるな。

>藤原定家は「待ち続けているうちに長月の有明の月を待つことになってしまいました」

これは豪快だ。
で、「長い月日を」みたいなのにも掛けてるんだろうし。
posted by kingstone at 04:18| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする