※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2014年10月31日

大いなる沈黙へ ーグランド・シャルトルーズ修道院



大いなる沈黙へ ーグランド・シャルトルーズ修道院

 私、「大いなる沈黙」と間違って覚えてました。
「へ」がいるんですね。

 元町にある、元町映画館という小さな映画館でやってました。
 17:40からの上映で、私は16:30くらいに着いて、先にチケットを購入してました。
 で、軽く御飯を食べ、ぎりぎりに行くと、既にほぼ満席・・・
 最後の2席が空いてて、私の買ったチケットに整理券がついてて、「座っていいですよ」とのことでなんとか座れました。で、ほぼ3時間の長丁場の上映ですが、みなさんもう真剣に見てる、って感じでしたね・・・

 山の中の修道院。
 ケルンの聖ブルーノ(1030〜1101)が作ったカルトジオ修道会は最も戒律が厳しいことで知られているそう。
 シャルトルーズはフランスのグルノーブルとシャンベリの間、フランスアルプス山脈の中にある。
 裏にある山がまさに岩峰で、アイガー北壁を小さくしたような形のもありました。

 平日の暮らしの中では基本的に沈黙。会話はしない。(ただし、仕事に必要な会話とか、儀式とかでは対話してた。また聖歌も歌うし。)

 日曜日と、特別な日は外に出て、また会話をすることも進められている。
 でも、山の中で、冬は雪が多いし、閉じこめられるのでは、と思ったら、雪のある時に、さらに山を登って行って、斜面をお尻で滑ったり、立って靴のみで滑ったり(グリセード)して遊んでました。一人だけスノーシュー(輪カンジキ)を担いでた人がいたな(履いてたかどうかはよくわからない)。

 また日曜日と特別な日はみんな揃って食事をする。
 つまり、その他の日は、それぞれ思い思いのところで食事をする。

 入山(?)した人は、出ていくのはいつでも自由。また、修道院長はその人が合わないと感じれば、いつでもやめさせることができる。それは入山式(?名前が違うだろうけど・・・)の時に宣言されてる。

 日本で言えば、永平寺みたいなもんか、とも思うけど、永平寺の場合は全員が出家者(僧侶)だけど、修道院の場合は普通の修道士は司祭じゃないというか、神父さんじゃないというか、そこが違うよな。でもって、戒律も禅房の方が厳しいかも・・・しかし「厳しい」の質が違うのか。永平寺とかだと「苛烈」みたいな感じで、シャルトルーズの場合は淡々と継続する「厳しさ」なのかもしれない。

 で、大きな修道院をなんか20人余りで運営してる。(たまたまなのかな?集まった時の人数を数えてみましたが、25人よりは少なかった。他にももっといるんだろうか?)

 でね・・・監督が映画撮影の許可を申請して、許可が出たのが16年後、というのが宣伝文句にもなり、パンフの中でも感心されてるのだけど・・・

 映画の中で、いろんな仕事をしている修道士さんが出てきます。
 で、事務処理をしてる修道士さんもいました。
 広い机がお世辞にも整理された状態とは言えない書類が積み上がっています。(むしろ散乱している、と言った方が適切)その山の向こうに、IBMのロゴがついたノートパソコン、ThinkPadの蓋(液晶の裏面)が少しだけ見えていました。一応パソコンを使ってデータを入れてるのだけど、まあゆっくり、ゆっくり・・・(確かに時間の流れは違う・・・)
 で、16年後というのは、それだけ慎重に考えた、ということではなく、単に事務処理ができなかったからなのではないかと・・・(しかし、それはそれで「すごい」ことか・・・よく申請の手紙が無くならなかったものだ・・・)

 いろんな意味で迫力のある映画でした。
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10月31日(金曜日) 名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな(三条右大臣)

 おはようございます。

 真っ暗です。

 今日は2週間ぶりに職場に行きます。
 新任研修「ねらいを考える前提 虐待について」をさせてもらいます。


名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな

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名にし負う【なにしおう】
   名高い。有名である。
   ▼中国の泰山は名にし負う天下の名山である。
   【参考】「し」は強調の助詞で「名に負う」を強めた言いかた。

ちょっと差がつく百人一首講座
【逢坂山(あふさかやま)】
   山城国(現在の京都府)と近江国(現在の滋賀県)の国境にあっ
   た山で関所がありました。「逢ふ」との掛詞になっています。

このあたりですね。当時は相当な山奥だったんだろうな。

スクリーンショット 2014-10-31 5.30.56.png

Wikipediaより
サネカズラ
   サネカズラ(実葛、学名: Kadsura japonica)は
   マツブサ科サネカズラ属の常緑つる性木本。

   確かに、この写真、よく見ると、ツルになっています。

スクリーンショット 2014-10-31 5.34.44.png

   実はこんなの

スクリーンショット 2014-10-31 5.34.59.png

   漢方薬には使うと書いてあるけど、「食べられる」とは書いてないな。


「有名な逢坂山のサネカズラはみんなに知られているように、あなたに会いに来るのはみんなに知られずに来るというのはたいへんむつかしい・・・でもきちゃった」

かな??


藤原定方(ふじわら の さだかた、(873年 - 932年)
   平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。
   和歌・管絃をよくし、紀貫之・凡河内躬恒の後援者であった。


もずらいとさんからのコメント

>名にし負う【なにしおう】
>   名高い。有名である。

 「負う」ですから,国語辞典の意味ですね。古語辞典では「負ふ」の意味を調べると「『名に負ふ』の形で『(その名前が)身に備えている』」と載っているはずです。和歌ではよく出てくるフレーズです。「名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと」とか。
 「さねかづら」の「さね」は接頭詞の「さ」(早乙女(この「さ」に特に意味はない)とか,今の「さぁ〜しよう」もその名残でしょう)+「寝」で「共寝する」です。私は「かづら」も「頭(人)」の意味があるかなと思っているのですが,そういう説を採っている人はいません。「蔓(かづら)」をかんざしや髪留めとする風習から「かづら」を「かつら」となって,鎌倉時代くらいに頭の意味も持つようになったらしいです。
「来る」はこの場合,向こうから来るのではなく「通う」の意味です。さねかづらの蔓をたぐり寄せる「繰る」の掛詞でもあります。掛詞にするために「行く」「通う」が使えなかったのでしょう。
「よし」は今でも時代劇では「何々のよし,しかと心得た」なんて台詞が出てきますが,「方法」という意味です。
ですので,意味は

 その名の通り,「逢う」坂山の「さね(共寝)」かづらと言うのなら,さねかづらの蔓が周りのものを引き寄せるように,人に知られずにあなたのところに通う方法があればなぁ

となります。当時は季節の花や草を添えて,歌を相手に届けるという風習があったので,さねかづらを歌に織り込んだのだろうとされています。
 「くるよしもがな」なので,これは女性の立場に立って「さねかづらのようにあの人をたぐり寄せる方法がないかなぁ」という解釈もあります。ただ,そうすると恋文として適切なのか?とも思います。



もずらいとさん、どうもです。

>今の「さぁ〜しよう」もその名残でしょう

 意外なところにまだ生きてる・・・

>「蔓(かづら)」をかんざしや髪留めとする風習から
>「かづら」を「かつら」となって,鎌倉時代くらいに
>頭の意味も持つようになった

 なるほど。
 もともと髪をまとめたり、飾ったりしてたわけですね。

>さねかづらの蔓が周りのものを引き寄せるように
(しかも、人に知られず・・・というのもあるだろうな)

 ちょっとこわいですね。
 でも、恋愛なんてそんなもんだろうな。
 で、だから、

>さねかづらのようにあの人をたぐり寄せる方法がないかなぁ

 恋文として適切かどうかは別として、「恋心の歌」としてはばっちりなんじゃないでしょうか・・・


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2014年10月30日のつぶやき














































































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2014年10月30日

10月30日(木曜日) このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに(菅家)

 おはようございます。

 微妙だけど、晴れか。


このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに

 ちょうど季節としては、今頃か、もう少し後かな。

いつの間にか紅葉に・・・

PA295332.JPG

(ぬさ・御幣)
  神主さんが、お祓いをする時に持ってるやつだな。菅さんって神職なのか?
  私はまた「幣」って貴族が持ってる、30cm定規を少し台形にしたようなやつかと思ってた)

手向山八幡宮
  手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は、奈良県奈良市に鎮座する神社。
  手向山神社とも。奈良市街東部の手向山麓に位置。手向山は紅葉の名所として
  知られ、古今和歌集では菅原道真が
  「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」
  と詠んでいる。

 ということで「菅家」って「菅原道真」なんだ。

菅原 道眞(845年 - 903年)
   忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた
   一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、
   左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として
   左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、
   朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
   現在は学問の神として親しまれる。

「このたびは、紅葉を見ようとおお急ぎだったので、大事な幣も持って来るのを忘れて、手向山神社に来てしまいました。みごとな紅葉の錦で、神をそこここに感じざるを得ません」

というようなことかな?


もずらいとさんからのコメント

このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに

このたび → 「この度」と「この旅」の掛詞です。
幣 → 上や布を紙吹雪のように小さく切ったもので,これを神の前に捧げたそうです。昔のお賽銭というところでしょうか。
取りあへず → 「取り」+「あへず」で「持って」「来ることができませんでした」になります。
手向山 → 奈良にある山だそうで。朱雀院(宇多上皇)のお供でここに寄った時詠んだ歌とされています。「手向け」との掛詞でもあります。
紅葉の錦 → 「幣」の代わりという意味で示しています。
神のまにまに → 「御心のままに」と言う意味です。

 意味は「この度(旅)の御幸は慌ただしく出てきたもので,幣の用意ができませんでした。どうか,手向山のこのきれいに色づいた紅葉で手向けとして,どうか御心のままにお納めください」となります。

 前任校でこの歌の授業をしたら「まにまに」が気に入ったようで「うちの子が夕食の手伝いのさなかに突然この歌を詠みました」という意味の連絡帳の記載がありました。

 菅家は菅原道真で「天神様」と呼ばれるのは、元々は没後,清涼殿に,しかも雨乞いの相談の集まりのさなかに雷雨が直撃し,死傷者が出て「菅原道真の祟りだ」と,つまり「雷様になられた」ということで「天の神=天神」だそうで。




もずらいとさん、どうもです。

>「この度」と「この旅」の掛詞です

 一瞬「この旅?おおげさな」と思ったけど、よく考えると御所から奈良まで歩いて来るんですもんね。
 これは十分、旅だわ。

>神のまにまに → 「御心のままに」と言う意味です。

 「あちこちにある(そのたくさんある間に)」みたいな意味だと思ってました。
 そうか「御心のままに」か・・・

>前任校でこの歌の授業をしたら

 なんか口調がいいですよね(^^)
 歌って、そこらへん、めちゃ大事ですよね。
posted by kingstone at 06:56| Comment(1) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月29日のつぶやき
























































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