私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2013年12月18日

12月18日(水曜日) 泣かで急げやは手にはばき解くえにしえにし持つ子の夕を待たむ(みだれ髪)

 おはようございます。

 雨ですね。
 この雨が上がると寒くなるとか。


ーーー与謝野晶子 みだれ髪よりーーー

蓮の花船

泣かで急げやは手にはばき解くえにしえにし持つ子の夕を待たむ

 一瞬、どこで切ったらいいのかわからなくなる・・・

「泣かで急げ」「やは手にはばき」「解くえにし」「えにし持つ子の」「夕(ゆふべ)を待たむ」かな?

goo辞書
はば・し【×憚し】[形シク]
   気がおける。遠慮がちである。はばかられる。
   「下はいかでかと―・しく言ひけるを」〈今物語〉

えにし(縁)えん・ゆかり

 泣かずに急いでやりなさいよ。あなたのやわらかな小さな手にはあまる切る縁ですから。(切ってしまいましょう)夕方、縁を持つ子を待ちましょう。

 とか言うんだろうか?ううん・・・よくわからん。

 新潮文庫



 しかし、kindle(電子書籍)版は無料です。


posted by kingstone at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

完全教祖マニュアル 架神恭介・辰巳一世著



 基本的におちょくり系なんだけど、著者はよく勉強してはる。
 で、高校生や大学生とかの宗教リテラシーのためには最適の本じゃなかろうか・・・
 でも、それすると怒り出す人たくさん出るかな・・・でもこれだけおちょくられても、「それでも私はこれを信仰します」と宣言できて、この本を、目を三角にして攻撃するのではなく、笑って流せるくらいじゃないといけないんじゃないかなあ・・・

「反社会的な教えを作ろう」の中から

 なぜ、新興宗教が反社会的になるかというと、そもそも新興宗教はその社会が抱える問題点に根差して発生するものだからです。なので、どうしても反社会的にならざるを得ませんし、また、そこにこそ宗教の意義があるとも言えます。イエスは徴税人や売春婦と交わりましたが、彼らは当時穢れた職業と考えられていました。今の感覚で言えば職業差別ですが、当時の社会では彼らを差別することこそが、むしろ「正しい」ことだったのです。ですから、彼らのような社会的弱者を救済し、神の祝福を与えるイエスは、どうしても反社会的にならざるをえないわけです。安息日に病人を癒したのも、神殿で商人相手に暴れ回ったのも彼なりの信念によるもので、「安息日に人を助けられないってバカじ。ないの?」「神聖な神殿で商売するってバカじゃないの?」という意味があったのです。これも今の感覚からすれば納得できる話ですが、当時ではやっぱり反社会的だったわけです。

 後半の「神殿で商売しちゃいけない」は現在に生きてるはずの私はそう思わないけど・・・

 でね、私の周囲でも過去、私に対して悪口、貶める言葉として「TEACCHは宗教や」という言葉を使う人がいた。その人達の考えていること(たぶん間違ったことを、頭から信じ込んで、宣伝しまくる、困った存在)は間違ってるとは思う。そのレベルではね。でもほんまのところ自閉症スペクトラムの人たちというマイノリティ(?本当にマイノリティなのだろうか?)について、マジョリティと思っている人たちに理解してもらおう、価値観を変えてもらおう、という意味では、悪口、貶める言葉としてではなく「宗教」の側面もあるのかもしれないなあ、少なくとも「それまで無かった思想」という意味はあるかとも思う。

TEACCHはある意味思想である(祈りもあるかも?)

posted by kingstone at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月17日のつぶやき




































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする