前列2列以外は満席。
でもって他の映画との違いは、開始前、全然声が無い・・・静か・・・カップルだっているんだけどね。放映後はトイレに行きたくてスタッフロールのところで出て来たので知らないけど。なんか他の映画とはちょっと観客の雰囲気が違うなあ・・・
出てきたハイデガーはスーパーマリオだった・・・
喫煙家は心なぐさめられるかも・・・先日「風立ちぬ」も嫌煙家から猛烈なバッシングを受けてたけど、「ハンナ・アーレント」では、もう出てくる人出て来る人みんな吸ってるって感じだった。
映画のあらすじとしては、公式ホームページから引用すると
誰からも敬愛される高名な哲学者から一転、世界中から激しいバッシングを浴びた女性がいる。彼女の名はハンナ・アーレント、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人。
1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕された。アーレントは、イスラエルで行われた歴史的裁判に立ち会い、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表、その衝撃的な内容に世論は揺れる…。
「考えることで、人間は強くなる」という信念のもと、世間から激しい非難を浴びて思い悩みながらも、アイヒマンの<悪の凡庸さ>を主張し続けたアーレント。歴史にその名を刻み、波乱に満ちた人生を実話に基づいて映画化、半世紀を超えてアーレントが本当に伝えたかった<真実>が、今明かされる─。
要するにユダヤ人コミュニティの人たちは、そのほとんどはアイヒマンは「悪魔のような極悪人だ」という意見で一致してるのに、その空気を読まず、思ってること、感じたことそのまま「アイヒマンは平凡な人間」「法律(というか『命令』だよな)に従っただけ」と書いたことでユダヤ人コミュニティからの強いバッシングを受けた、ということですね。
でも、それだけじゃなく、「各地域のユダヤ人指導者(ユダヤ人評議会)」がナチに協力したことの責任にも言及したことが大きな問題になったらしいです。これってたぶん「シンドラーのリスト」とかと同じようなことかな。つまり収容所に送る人間の「人選」を依頼され、「できるだけ少なくしよう」と努力したけど、それを別方向から見れば「協力」したことになってしまうと言う・・・
ユダヤ人評議会
きっと、そこに触れられるのは、ユダヤ人コミュニティにとってはものすごく痛く、触れて欲しくないところなんだろう。
映画の中で裁判官とアイヒマンとのこんなやりとりがあります。
裁判官 「"市民の勇気"があれば違っていたのでは?その勇気がー」
アイヒマン「(裁判官の言葉を遮り)ヒエラルキー内にあれば違ったでしょう」
これは「ヒエラルキー(つまり組織)内に"市民の勇気"があれば違ったでしょう」という意味なのかな?私は映画を見ている時は「ヒエラルキー(つまり組織)内にいたらそんなこと考えもしません」という意味にとったのだけど。
裁判官 「では虐殺は避けられない運命ではなく、人間の行動がまねいたものだと?」
アイヒマン「そのとおりです。なにしろ戦時中の混乱期でしたから、皆思いました。
"上に逆らったって状況は変わらない、抵抗したところで、どうせ成功
しない"と。仕方なかったんです。そういう時代でした。皆そんな世界観
で教育されていたんです。たたき込まれていたんです」
Wikipediaの項目を見ると
アドルフ・アイヒマン
これを読むと、アイヒマンは最初、「ユダヤ人絶滅計画」ではなく、「ユダヤ人移住計画」(しかもパレスチナへの移住)も立てていたことがわかります。また後期は「ユダヤ人のマダガスカルへの移住計画」も。
Wikipediaに載っていたアイヒマンの言葉
「あの当時は『お前の父親は裏切り者だ』と言われれば、実の父親であっても殺した
でしょう。私は当時、命令に忠実に従い、それを忠実に実行することに、何という
べきか、精神的な満足感を見出していたのです。命令された内容はなんであれ、
です。」(イスラエル警察の尋問で)
「戦争中には、たった一つしか責任は問われません。命令に従う責任ということ
です。もし命令に背けば軍法会議にかけられます。そういう中で命令に従う以外
には何もできなかったし、自らの誓いによっても縛られていたのです。」
(イスラエル警察の尋問で)
ためいきが出るけど、アイヒマンは「命令があったから忠実に実行した」だけだったんだろうな。
ところでミルグラム実験はアイヒマン実験とも呼ばれます。「権威ありげな人から指示されれば相手に苦痛を与えることでもやってしまう」という実験ですが。
ミルグラム実験
しかし、それと、私が知的障害養護学校(特別支援学校)で目にした「威嚇と暴力」や、2013年12月に発覚した「千葉県社会福祉事業団」の経営する「袖ケ浦福祉センター養育園」での19歳の青年を死亡させ、10人の利用者に対する5人の職員(20日の報道ではさらに3人)の行為はどこが違うのだろう・・・
千葉県社会福祉事業団「養育園」報道関連
少なくとも、「命令」は無いはず。それどころか上司(というか校長とか理事長)は「威嚇や暴力を使うことはいけない」と言ったり、研修で担当者が伝えたりはしていたと思うよ。でも現場では無視していたわけだ。その点がアイヒマンとは全然違う。でも、現場の直接子どもや利用者に関わる上司というかベテランなどが「威嚇と暴力」を使うのを見るわけですよ。
私に、ある大学教授は「TEACCHのセミナーなどには行ってはいけない。職場の先輩から学びなさい」と言ったけれど。ほんま世間知らずや・・・また私のことを「kingstoneの言うことは嘘ばっかりや」と言った指導主事はそういう現実を知っていたのだろうか?という疑問は持っている。結局どちらも「知らなかった」「情報は上がってこなかった」ということなのだろうけど。
実際「養育園」の経営者も「情報が上がってこなかった」とどっかで言ってましたね。そんなもん上がってくると考える方があほやんか。
「威嚇と暴力」を使っていた人も「義務感」はあったろうと思う。「学校や施設の決めたスケジュールなどに児童・生徒や利用者を当てはめる」ためにね。決して、本人から出発しているのではなく。
また、「威嚇や暴力」を嫌っている人でも、結局のところトラブルが起これば、その「威嚇や暴力」を使っている人に頼ってしまう、という構造もあると思う。
それから私の見た養護学校だと「威嚇と暴力」を使っている人たちが、結構学校運営の中心になる「熱心」な人たちだから、その人たちに「反論」できない、と思ってたのかもしれません。「養育園」ではどうだったんだろう?
私は、現場で「威嚇や暴力」に対して、最初の2年間はほぼ何もできなかったと思う。3年目に自分の(威嚇や暴力は使わない)実践で結果をだし、最後の2年間はもう言葉にして「威嚇や暴力」に反対して来ました。で
私の異動がわかった時
なんで、私に対して「勇気があるから」とおっしゃったのだろう?
たぶん「やっぱり変だ」と思いながらもそれを「威嚇や暴力」を使う人に対して言葉にできない方だったんだろうと思う。
別に私に「勇気」があったわけじゃない。それこそ私は「場の空気」を読まずに「思っていること」をそのまま言ったり行動したりしただけだと思う。
特別支援学校(特別支援教育)とうどん屋と
特別支援教育担当の一教師を支援するということ
ほんま支援が必要なのは、教師や施設職員さんだと思う。
でもね、ほんと「威嚇や暴力」を使っている人のつらさ(何をやっていいかわからないで、しかしたぶん小さい時から「そんなことしちゃだめだ」と言われて育った「威嚇や暴力」を使わなきゃいけない、と思い込んで、実行してしまうつらさ)をわかってやれよ。
で、大学教授や専門家はそんなの使わなくていいようにしてやれよ。
ほんま。
ラベル:映画