「40歳以上はもういらない」は田原総一朗さんの対談集。
まあ刺激的な題ですが、別に題名通りではなくて、若い人たちと対談しただけの話。
第3章 「戦後日本」が紛争地に与える希望
瀬谷ルミ子(せやるみこ)さんは1977年群馬県生まれ。中央大学総合政策学部・英ブラッドフォード大学紛争解決学修士。国連PKOや日本外務省・NGOの職員として兵士の武装解除や社会復帰を中心に紛争地の復興支援に携わる。2007年より、日本紛争予防センター(JCCP)事務局長。
紛争地の少年兵について。
瀬谷 そのとおりなのですが、少年兵というのは加害者であると同時に、
無理やり連れてこられたという意味では、被害者でもあるわけです。
薬漬けにされたり、マインドコントロールされている。脅されて人
を殺されてしまった子は、精神的にも崩壊しています。
そうだろうな。しかし、過去、残虐行為をやった日本兵も、ごく普通のそこらへんの柔和なおっちゃんやった、ってことが多かったというが・・・また養護学校で「威嚇と暴力」を振るっていた人は、別に脅されていたわけじゃない。そしてその中の多くは極めて精神状態は健全だったのだけど。(出世するくらい健全)まあ多数者がやれば教育となり、少数者がやればマインドコントロールと呼ばれる、ってのは事実だから、教育によってそうする分には、精神は崩壊しないのか。
瀬谷 大使館に数名のチームはありましたが、交渉は最終的には大使と私
でしたね。日本には、紛争解決に携わる専門家の層が薄い、とその
とき実感しました。興味がある若い人は多いのですが、ほかの国に
比べて育成の仕組みが整っていない。
(中略)
瀬谷 私一人ということはないですけれど、結局、外交分野でも、たとえ
ば外務省が紛争解決など分野ごとのスキルをもつ人材を確保なり育
成して、イシューについての専門性を高めていくという仕組みがい
まの日本にはないんです。アフガニスタンに私は外務省の職員とし
て2年間だけの契約で行ったのですが、私が辞めたら、そのノウハ
ウは組織や現地には残らなかった。いま、日本はアフガニスタンに
対し、武装解除後のタリバンの和解再統合支援を行なっているので
すが、当時のノウハウに基づいてというよりは、現場でゼロから始
めているんです。
私は、特別支援教育においては「スペシャリストよりジェネラリストを」と考えているけど、そのジェネラリストも実はジェネラリストとしてのスペシャリストというような気はする・・・
で、その育成システムは「無い」
○○センターとかいうところでも、職員は結構1年契約とかで、ノウハウとか全然引き継がれていってないみたい。そして職員になった人自身が困って、自腹を切って研修を受けたりしているケースが多いのを知っている。
でも「だから地位を安定化して勉強してもらう」という方法がいいか?と言うと、教師の地位は安定しているけど、特別支援学校や特別支援学級の教師の知識・技術はちゃんと積み重ねられていってるか??
どうすりゃいいんだろうね・・・
9.11後のアフガニスタンについて
瀬谷 アフガニスタンの場合は、少し特殊な事情があったんです。9.11
のあと、最終的にタリバンと民兵以外の軍閥は、すべて国軍に統
合されていったのですが、それまでは日本の戦国時代のように争
っていた勢力なので、まったく統制がとれていなかった。軍閥が
各地に群雄割拠していて、対立を繰り返していたのです。そうし
たなかで、それぞれの軍閥司令官は武装解除に応じる条件として、
知事や大臣のポストを要求することもあった。そうした情報も大
統領に伝えていました。
やっぱり、戦国時代にいきなり「優秀な武器を手にした」という状況なんやろな・・・