「40歳以上はもういらない」は田原総一朗さんの対談集。
まあ刺激的な題ですが、別に題名通りではなくて、若い人たちと対談しただけの話。
第7章 日本は「特殊な国」のままでいい
古市憲寿(ふるいちのりとし)さんは社会学者で有限会社ゼント執行役員。
古市 僕の興味は、当時日本がなぜ戦争を起こしたのかよりも、
現在に戦争がどう残っているかのほうにあります。たと
えば南京大虐殺について、それを中国がどう伝えてきて、
いまの日本がどういうかたちで受容しているか、といっ
た問題です。
田原 ではもう一度問くけれど、なぜ中国は「30万」という数
字を近年、強調するようになったのですか。
古市 中国では経済成長が続いてきたとさんざんいわれてきま
したが、いまなお低い生活水準で暮らしている人が多い。
こうした格差を目の前にして、日本をバッシングするこ
とでなんとか国民を束ねようとしている。それがいちば
ん簡単な方法だからではないですか?
田原 それは違うと思う。中国で格差がいわれるようになって
きたのは、ほんとうにここ最近のことで、日本バッシン
グはもっと以前から始まっていた。そのいちばんの理由
は、じつは中国が経済的に力をつけ、自信をつけてきた
からでしょう。
古市 作家の林房雄氏が『中央公論』に一大東亜戦争肯定論」
の連載を開始したのが、1963年でしたね。日本で高度
経済成長が始まった時期です。経済的に自信をつけはじ
めた国では、自国を愛するような言説が起きるというの
は、確かにあるかもしれません。 自信をつけて来たから「愛国的(?)」な発言が出てくる。なるほど。しかし格差の問題もあるかもしれないな。1905年の日比谷焼き打ち事件は日露戦争に勝った自信と、格差による「もっと私は儲けていいはずだ」と両方あってのことかもしれない。
古市 経済合理性という観点からいえば、都市化が進んだほう
がいいのは、そのとおりだと思います。最近、僕が興味
をもつのは「Iターン」の問題です。農村に帰って就農
することですが、それで一時的に農村が活性化しても、
かえって古い形態のままで地方が生き長らえてしまう、
といった事態がけっこう起きているそうです。 「古い形態」というのは補助金だのみとかいうことかな?
しかし補助金・公共事業とかいうのは、過去はどうだったにせよ、現在は「悪」とか「無意味」とかいうふうな評価で語られることが多いけど、私の今行ってるソワサポートだってかなりの割合が国からの事業費で運営されているわけだよな。
田原 食料自給率に関して、農林水産省はとんでもないことを
いっていますからね。日本の自給率は39%とされていま
すが、これはカロリーベース。金額ベースでは50%を超
えている。食料自給率をカロリーベースで計算している
国なんて、世界でも珍しい。農水省はどうしても日本の
農業は弱い、保護すべきだといいたいらしい。 これは知らなかった・・・頑張ってる農家も多い、ってことか。
古市 じつは、日本が80年代まで経済成長を続けてこられたの
は、冷戦が長引いて日本以外にモノづくりに専念する国
がなかったなど、いくつかの偶然の要因が重なったから
だといわれています。べつに政治家や官僚が優秀だった
からではない、ということですね。逆に、いまの政治家
や官僚が一概にダメとも思えません。 誰かが極端な「英雄」であったり「悪者」であったりするわけじゃない、というあたりかな。
田原 なるほど。では、古市さんたち若い世代に限定して聞こ
う。これからどんな生き方をすればいい?
古市 一つは単純で、友人を増やすことが大切なのではないで
しょうか。つまり、企業にも頼れない、家族や地域にも
頼れないとなれば、自分たちで自分たちの関係を広げて
いくしかないですから。
田原 友人たちのネットワークをつくっていくと。
古市 ええ。ほんとうに真剣につきあえる仲間と、広範囲で、
緩やかなつなが吋八を増やしていく。たとえば中国は、
血縁による結びつきがとても強い国ですよね。
田原 そう。中国人って、まったく政府に頼っていない。そ
して華僑たちは世界中に出ていって、自分たちの街を
つくってしまう。あれはすごい。 まあ・・・政府に頼れない、ってことで・・・
でも友達を増やすったって「友達100人」は必要なくって、理解してくれる少数の友達でいいんだろうけどね。
先日の週刊朝日のコラムで池谷裕二さんが引用していたバルザックの言葉。
「孤独はいいものだという事を認めざるを得ない。けれども孤独はいいものだと話し合うことのできる相手を持つことも喜びである」
絶望の国の幸福な若者たち 古市憲寿著僕たちの前途 古市憲寿著
posted by kingstone at 23:48|
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