図書館で目について借りてきました。
薬の開発のために脳をきわめる(大脳生理学)・・・池谷裕二
上司の斉藤洋教授のことを書いてはります。
斉藤氏は嘔吐の研究で国際的に有名とのこと。これは「嘔吐する小型動物」スンクスを斉藤氏が見つけた、ということも大きいとのこと。
斉藤氏がスンクスにアルコールを投与したらそのスンクスが吐いたので周囲に
「おい、スンクスは吐くぞ!」
と言ったら周囲は
「何を今さら・・・」
という反応だったとのこと。
つまり周囲の人は同じものを見ながら、問題意識が無かったわけ。斉藤氏には問題意識があった。
これねえ・・・ほんと「問題意識」を持っているかどうかによって、同じ物を見てても(やってても)違ってくるんだよね。
たとえば私が「その学校で最高に素晴らしい」先生が偏りの強い自閉症のお子さんに「洗濯物を干しに行こうか」と声をかけるとその子がすっとついていく。私が同じことをしようとすると暴れ出す。もう私は「人間力の違いなのか」と悩むしかなかったわけです。
で、あとで勉強したあと、その先生が声をかけながら「洗濯物を吊すタコ足」を見せていたことを思い出すわけだけど・・・でもその先生もそこに「問題意識」が無いから「この子たちには芯になる人が必要」とかいうのしか私には語ってくれなかった。
で、この先生、視覚支援としてカードとか使うの大反対だったしな・・・「自分で視覚支援(この場合、洗濯物を干すタコ足という具体物)をやっていても、そこに問題意識が無ければ周囲に伝えられない」例だよな。
まあ私がさんざん研修などで発表することにより、私が異動するころには「視覚支援は当たり前で(そのあとが問題??)」と会議の席でおっしゃって下さるようにはなったが。
暴力の連鎖を止める鍵をもとめて(暴力の政治的ダイナミズム研究)・・・竹中千春
マハトマ・ガンジーの非暴力主義とかインドの歴史を学びたいと思ってインドに留学。しかし「豊かで強いインド人が貧しくて弱いインド人をいじめている、そのために暴力すら使っている」という現実を目にし、また当時はガンジーは賞賛されるどころか、民衆革命を抑制した人物として厳しく批判されていたりし、途方にくれて帰国した、と。
しかし、現在は少し大きくなった子どもたちを置いて久しぶりにインドに行ってみると、危機感をかかえながら、なぜこんなことになったのか、頭を悩ませている友人たちに再会できた、と。とくに自分と同じ年齢くらいの、子どもをもった女性たちの活動に深い感銘を受けたと。
等身大の世界が見えてきた、ってことかな?
新しい脳の科学とロボットを生み出す(福祉工学)・・・伊福部達
多くの医療技術は人を「改造」するという立場をとりているのに対して、福祉技術では人は「非改造』のままで身の回りを改造するという立場をとります。
へえ、そうなんや。
ただし、私を含めて福祉工学を目指してきた研究者は、感覚や手足を補助するのに、ロボットのセンサやアクチュエータ(作動装置)を作るような要領で、思いつきや昔からの技術開発の方法に頼っていたという傾向がありました。また、福祉機器を使う人たちの数が少ないことから、大きな商売にならないということで、熱意のある「町の発明家」が小さな工場で細々と取り組んでいたという面もありました。このように、福祉工学は基礎となるサイエンスがあいまいであり、もうけにつながるマーケットも小さいため、前述の医療工学やバイオニクスの発展のようには順調なものではなく、むしろ、その問題の根の深さがやっと見える形になって現れてきたといえます。
これはねえ・・・私個人で言うと1990年頃、リハ工カンファレンスに行って、「ここの知識・技術が肢体不自由養護学校にまったく入っていない」という事実にショックを受けて何とかしなきゃ、と思ったのだけど、その後1995年頃だったか、行ってみたらテレビ番組でよくある「びっくり発明大集合」みたいな「それ、当事者さん使わへんやろ」みたいなものばかりずらずら並んでいてあきれて行かなくなってしまった、って経緯がある。今はどうなってるかなあ・・・
不思議な状態(超臨界流体研究)・・・西川恵子
物質の状態は固体→液体→気体と変化すると思ってたら、「超臨界状態」ってのがあるんだって。
で、この状態が化学反応や溶媒として物質の抽出にすごく役立つんだって。
物質の超臨界状態の温度と気圧。
温度(℃) 圧力(気圧)
水 374.2 218.3
二酸化炭素 31.1 72.3
二酸化炭素の超臨界流体はカフェインレスコーヒーを作るのに利用されてるって。
中小企業はエキサイティングだ(中小企業論)・・・中沢孝夫
この方、めちゃ面白い。もともと高卒で郵便局に入り、しばらくしてたぶん全逓の専従になり、労働運動をしてて、44歳で立教大学に入り、4年生の時に学費をどうしようと悩んでいた時、週刊東洋経済の「高橋亀吉賞」というのを知り、応募して当選して学費が払えた、と。でその授賞式で週刊東洋経済の編集者に「何か書いてみない」と言われ、「じゃあ中小企業の現場へ」というのが中小企業研究に入ったきっかけだったと。
働く人間の意識調査(中小企業庁「消費と勤労に関する意識調査」平成九年)などをみても、「作業環境」「自分の職位」「職場の人間関係」「仕事内容」「通勤時間」など、多くの項目で中小企業の従業員の力が満足度が高いのが実際です。大企業の方がよいのは「労働時間と休暇」の項目だけで、「賃金・報酬」についても、不満の度合いが高いのは、大企業でした。
理由はたくさんありますか、ひとつは「出間競争」の差にあります。出世の余地のある大企業は、職場の同僚は必ずしも「仲間」ではなく「ライバル」であったりします。出世するとしないでは、処遇に大きな差があるのです。それゆえストレス・小満が増大します。しかし中小企業の場介はそのような「競争」は比較的小さいのです。
へえ。なかなか面白いなあ。
文化遺産を次世代に伝える(文化財保存学)・・・佐野千絵
この方、東京大学の大学院で「物質の表面で光を契機に起こる化学反応」とかに興味を持ってはったと。なるほど、それって文化財保存と関係してくるわけや・・・(しかし、直接のつながりはあまり意識せずに「東京文化財研究所」に入られたらしい)
シュバイツァーを超えたい(精神医学)・・・中沢正夫
あれ?どこかでお名前を聞いたことがある、と思ったら椎名誠さんの精神科主治医じゃん。
精神医学の最初の講義で、江熊要一助教授(当時・・・っていつ?)が当時進行中の大学病院精神科病棟の解放化の話をした。それに衝撃を受ける。(1958年頃から進行していた話らしい)でインターン終了後精神科へ。
やってみると、開放病棟の維持は大変なことでした。入院を納得してもらうため二日も三日もかけることがありました。ちょっとした報告の伝達漏れが大きな事故につながり、息が抜けません。無断離院してしまった患者さんを求めて、周辺をさがしまわるのは口常茶飯事でした。それは精神科関係者の緊密な連絡だけでなく、他の病棟の職員、守衛のおじさん、構内タクシーの運転手など、多くの人々の支えがないとできない仕事でした。それでも、成果が上がるのを実感できる充実の日々でした。
で、中沢さん、1年後佐久総合病院の精神科に赴任し、男子閉鎖病棟を担当します。そこで退院が可能と思われる人、病棟の1/3の人たちを退院させちゃいます。ところがすべて失敗、再発・悪化して戻って来る・・・中沢さんは現場(村)に出て理由を探します。
結局支える人がいない・・・しかしそこに心を痛めている保健婦(現保健師)さんがいる。その方の協力を求めようと考えはります。そしてライフワークとして
「患者の生活の場で患者を支えるネットワークを、この日本でどう作るか」
であると自覚するようになられたとか。
佐久から大学に戻り、東(あずま)村への国の指定事業が下りることになり、さあやろうとした矢先、村は事業を拒否します。するとキーパーソンになっていた西本多美江保健婦は「家族会を作って事業の引き受け団体になればいい」と考えはります。で、村人で周囲から信頼されてる立場の2家族の協力を得られ、作ってみたら村中の精神科患者のいる全家族の集まる会にできたって。
でその会の家族に「必要なこと」を聞いて回ったら、次の3つに集約された、と。
1.無料
2.中途半端でなく稼げる程度に治せ
3.医者は家族に気楽に会って悩みを聞いて欲しい
で、なんやかんやで実現していきはります。(家族会立診療所のような物まで作った・・・)
で、実践しながら中沢さんは悪化・再発の引き金になる出来事は、その人の重視する価値観とむすびついていると気づく。
ある人には「名誉・地位」またある人には「金銭」ある人には「異性・恋愛に関すること」
なるほどなあ・・・これが群馬大学の「生活臨床理論」だとか。で、悪化・再発した時、どれが原因かチームで考えて手を打つと、すぐに落ち着いたりすると・・・
で、うまくいったのだけど、これが東村から全国に広がることはなかったと・・・イタリアなどの取り組みと比べて、非常に残念な結果に終わっているという「まだこと成らず」感のあふれる文になってはります。
イタリアの取り組みの例は
映画「人生ここにあり!」 イタリアの精神病院解体の話
しかし・・・中沢さんってすごい人やったんや・・・
なお、精神科の各国の人口1000人あたりの病床数。OECDの2009年のグラフがありました。
でも、もちろん、少なけりゃいい、ってもんじゃなく、イタリアは受け皿をいろいろ作ったけど、アメリカは街に放り出し、ホームレスになった人がいっぱいいたんじゃないか、という話を聞いたことがあります。
韓国の絵本と児童文学にひかれて(韓国児童文化研究)・・・大竹聖美
韓国に留学中にたくさんの方の支援を受けてはる。
誰もが自分らしく生きるために(美容福祉学)・・・渡辺聡子
おもろいし、ええことしてはるなあ、と思う。しかし・・・「美容福祉師など、専門に担当できる常勤の職員が必要です」ってのはやめて欲しいなあ・・・なんでそんな「資格」や「専門職」を作り「なんちゃら療法」みたいな方向に行こうとみなさんするんやろ・・・
自分と近所と世界を知るために(イラク地域研究)・・・酒井啓子
欧米の中東研究は深く、また中東出身者で欧米で研究してはる人も多い。そんな中で日本人の酒井さんが研究することに何の意味があるのだろうと疑問に感じることがあったと。しかし、実は中東の人は「日本がいかに欧米を受容していったのか」について非常に興味を持っていることがわかってきた、と。そこを紹介し、架け橋となることに意味があるのでは、と思い出した、というあたり、なるほど。