※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2013年04月29日

2013年04月28日のつぶやき
























































































































posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月28日

「EVERNOTE スゴ技BOOK」を読んでいく

 Togetterで

「EVERNOTE スゴ技BOOK」を読んでいく

をまとめ始めています。継続中。

 EVERNOTE は登録し、アプリをダウンロードしているにもかかわらず、なんかよくわからなくて使ってませんでした。
「EVERNOTE スゴ技BOOK」
を読みながら再挑戦。


ラベル:EverNote
posted by kingstone at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月28日(日曜日) 私は小切手の写しを飾ることにしよう

 おはようございます。

 雲ひとつないいい天気、というやつです。



ーウォーレン・バフェット 成功の名語録 桑原晃弥著よりー

「私は小切手の写しを飾ることにしよう」

 これ1993年、ある大企業の会長と一緒にテレビドラマで通行人役で出て、会長もバフェットも300ドルの小切手をもらった。(通行人役でこのギャラは破格やろな・・・)その時、会長さんが「これは(使わずに)額に入れて飾っておこう」と言ったのに対してバフェットが言ったこと。

 合理主義者っていうか、実利主義者のバフェットさんの面目躍如ですね。

posted by kingstone at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月27日のつぶやき






























posted by kingstone at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月27日

迷える者の禅修行 ネルケ無方著



 ネルケ無方著 新潮新書
 著者は1968年生まれのドイツ人。俗名はイェンス・オラフ・クリスティアン・ネルケ。
 現在安泰寺(曹洞宗)の住職。

 子どもの頃から「生きるとは何か、私とは何か」という問題に心を悩ませ(ってか向こうから掴み取りに来るんだろうな)ていた。高校(クリスチャン・スクール)で元神父の主催する禅メディテーションサークルに誘われたのをきっかけに参禅。この時に「身体の発見」があったと。
 その後、高校卒業から大学入学までの期間日本に滞在したが「日本に仏教が無い!人々が関心を持っていない!坐禅させてくれるところが無い!」という事実に驚愕する。

 アニメオタクが日本に来ても、こういう驚愕は味あわないですむかな??へへえ、と関心してくれこそすれ、「そんなもん興味が無い」とまでは言われないかな?

 1990年京大に留学。
 園部の昌林寺で修行。
 いきなり典座にさせられるが、その長だったスゥエーデン人が3日で逃げ出し、責任者となる。しかしなにも教えてもらえない。で

ネルケ「どうして私が参禅者のための料理などできようか。まずは私に誰かが料理を教えるのが道理ではないか」
和尚「これこそが道元禅師の言われる『現成公案』やないか。『正法眼蔵』を読んどかなあかんやろ」

というやりとりをしたそう。

 うむむむ・・・でも大きな塔頭だったら、とりあえずのことは教えてもらえるんじゃないかなあ・・・

 もちろん「今、ここ」は大事だし「誰も教えてくれない」とふてくされてはいかんやろけど。

 例えば、特別支援学校で何も教えずに新赴任の教師を現場に「叩きこむ」はまずいやろし。
 「今、ここ」を大事にして、自ら学んでいってくれたらいいと言ったって、子どもという相手のいることやしねえ。彼らに被害があってはいかんやろうと・・・

 後で元寿司職人の先輩雲水の話が出てきます。寿司職人時代、1年間洗い物ばかりさせられ、1年後、急に「今日からお前も握れ」と言われる、そしてそれができるように技術を(洗い物をしながら)盗んでいなければならない。

 この話も成立するのは、「先輩職人がきちっと仕事をしている」という前提があってのこと。

 でもほんまは私も「自分でつかめ」みたいな話の方が好きなんやけどね・・・(^_^;)

 昌林寺にいる時、しばらく安泰寺に行く。
 山寺で前日の台風で山道がこわれ、流れに木で橋をかけて渡っていくような状況だったとか。
 当時の堂頭さん(住職さんにあたる)は高校卒業後しばらくチーズ会社に勤め、1970年からヨーロッパ、ニューヨーク、アラブ、インド、対、オーストラリアを4年間旅して、やがてヒッピー生活から卒業しようと出家した方。その方との最初のやりとり。

頭「何をしに安泰寺に来たの?」
ネ「禅を学ばせてもらうために、そして修行をさせてもらうためです」
頭「安泰寺はお前が作るんだ」

 なるほど。

 で作務(掃除・動物の世話・土木工事・典座その他)のきつさにびっくりします。しかしここでの半年の修行で著者ははじめて「生きる実感」を得たとのこと。

 なお典座教訓の話。しいたけを干している老僧との会話。

道元「暑いのに、そんな年で労働などしないで、経典を学んだり、坐禅をしたりしたらどうですか。そんな仕事ぐらい、誰か別の人にさせたらいいではありませんか」
老僧「ワシこそその当人だ!『誰か別の人』がワシの代わりになるはずがない」
道元「それならこんな真っ昼間の炎天下ではなく、もう少し日が低くなってからすればいいのではないでしょうか」
老僧「今こそやらなければ、いつやるというのだ」

 ひょっとすると、これ「今、ここ」とか深読みする話ではないのかもしれませんが・・・

 その後、ベルリン自由大学に帰って出した「現成公案」についての修士論文が評判になり、博士論文のために毎月35万円出す、成果は問わない、という条件が出され(すげーー!!)大学をやめて修行しようというのに迷いが出て京大に再留学。

 1993年秋に出家得度。

 しかし、その後の安泰寺、そして臨済宗のお寺(名は書かれていない・・・そうやろなあ)での修行はまあ厳しいというか・・・

食う、寝る、坐る」や「ファンシィダンス」の世界ですね。

 しかし、儀式化された入門時の作法がなんてえか・・・まず断られるわけですが、そこで動かずじっとしていると「追い出し」といって乱暴に外に投げ出されることがあるんですが、これがまあ「不自然な姿勢でいる入門希望者の身体を動かしてあげて楽にするため」。だからその「追い出し」役の雲水さんがいない日はずっとじっとしていなきゃならなくてとてもしんどかったとか。また最初に「追い出し」をされた時、外で待っていた雲水さんが「これも一応決まりですから。あそこの六角堂の裏で骨伸ばしをして、煙草でも吸って下さい。30分くらいたったらまた戻ってね」と教えて下さったそう・・・めちゃ丁寧やなあ・・・

 で、もともと安泰寺でも
「私が坐禅をする」が「坐禅が坐禅をする」
という体験をしていたけれど、さらにそれが深まり、ある日、木の葉にたまった露に陽光があたっているのを見て「私は生きている!命は私を生きている!」

という体験をされます。しかしここでの1年ほどの修行のあと、本来上の立場(修行年限で)であるのに、どんくさく、いじめられ、本来下の立場の者に命令されて木に頭をぶつけ続け血を噴き出している雲水を見、そして何もせずに見ている自分や周囲に疑いが出て、下山を決心します。

 で、大阪城でホームレスをしながら、石垣の上で坐禅会をし、ネットカフェでチラシ(文集)を作ったり、托鉢したりしてたそう。辻説法はそうそうにあきらめたそうです。寄ってきて、お布施を入れてくれる方も、話しかけるとひいちゃう・・・なるほど。
 たぶん今は大阪城にはホームレスさんはいないんじゃないだろうか・・・

 辻説法ってのは難しいやろなあ・・・

 そうしていたところに安泰寺の堂頭の突然の事故死があり、住職を任されて現在に至る、ということです。

 ところで現在の安泰寺はより国際化が進んでいる、と。で著者の大事な仕事は
「『修行のイロハ』を叩きこむのが私の役割です」
とのこと。
 で、これ文字通り「叩き」こんでるのかどうかはわかりませんが(他の禅道場の場合、本当に物理的に「叩きこむ」がありそう・・・)、ニコニコ優しくしながらでも「叩き」こめると思うのね。

 それをなんか実現したいなあ。
ラベル:
posted by kingstone at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする