へえ。同じ本なのに、1890円のと1620円のがある。不思議だな??と思ったら1620円のほうはkindle版だった。
著者はリスに回線ケーブルを囓られてインターネットにつながらなくなった体験を機に、インターネットの「物理的な物」を見に行く旅に出ます。で、その中でいろんな人にインタビューしたり。
まずはテレジオグラフィック社のマーク・クリスチェサがトラフィック地図(??)を作っているところを取材。この地図、たいていのインターネットインフラ企業の壁にかかってるって。結構高額な地図らしい。
インターネットではルータ1台1台が「インターネットのこの区画はこちら」と宣言する。それを頼りにパケットがやって来る。で、そういう善意というか信頼に基づいているわけだけど、2008年、パキスタン政府がYouTubeの動画に腹をたて、つなげなくしようとし、政府がパキスタンではYouTubeに接続できないようにしろと命令した。パキスタンテレコムのエンジニアが設定を間違え「こちらがYouTube」と宣言し、1時間半ほど世界のほとんどの人がYouTubeを使えなくなった。
YouTubeがダウン。パキスタンテレコムのせい?
ルーティングセキュリティ最新動向
ジョン・ポステル

「送信するものは厳密に、受信するものは寛容に」
ええ言葉やなあ。で、これいろいろ読む時の要諦ちゃうやろか?
最近、医師や心理士さんの意見書などを読むことが多いけど、そりゃ一生懸命「厳密」に書いてはるけど、読む側としては「寛容」の心で「だいたいこんなことを伝えたいんやろなあ」くらいの気持ちで読み、現実に当てはめる時は四角四面ではなく、目の前で起こってることで常に修正をかけながらやっていかなあかんもんな。
レナード・クラインロック

1969年 UCLAでIMP(インターフェース・メッセージ・プロセッサー)を設置
軍以外のインターネットの始まり。
「私には先見の明があった。それもたっぷりと。だが、社会的側面を見落としていたー99歳まで生きた私の母親も生前インターネットを使っていたんだ。そういう側面は考えていなかった。コンピュータがコンピュータとか、コンピュータが人間と話すことになると思ってたんだ。ところがそうじゃなかった。人と人が話すようになったんだ」
インタビューした当時、75歳だったけど、まだ大学で教授やってたって。
1983年 TCP/IP への移行。
ティム・ウー
「限定的な影響力しかおよぼせないネットワークが他に数多く存在することを考慮してプロトコルを考案しなければ」
「相違を許容するシステムーネットワークのメンバーの自律性を認め、受け入れるシステム」
これ大事やよなあ。
1994年、著者はAOLのチャットに夢中になっており、その冬、父親が3.5インチフロッピーディスクに入ったモザイクを持って来たと。
私は1995年の1月17日(阪神淡路大震災の時)はまだインターネットには接続してなかったと思う。NIFTYでパソコン通信はやっており、インターネットに関する本は持っていたけれど。1993年の5月から7月にかけて行った久里浜の教育工学研修生の同期の人間が、その夏に「インターネットはすごい!!パソコン通信の比じゃない!!」と大興奮して知らせて来たことを覚えています。
私が自分のホームページを作ったのは
King Stone の部屋
のhtmlにあるタイムスタンプが8/14/98だから、1998年の8月14日なんだろうな。
だから、1995年1月から1998年の8月までのどこかでインターネットに接続してますね。たぶん1995年中だと思う。最初はモザイクを使ってました。
スティーブ・フェルドマン
う〜〜ん、当時学術目的以外は実はおめこぼしで使わせてもらっていたインターネットが、商用としてどんどん発展していき、そのトラフィックが増えすぎるのを解決するためにMFSでハブを作った人、という説明でいいのかな?
最初に作った場所がCIAの近くだったもんで、いろいろ疑いをかけられるので、その後タイソンズコーナーってところに作ったのか。なんかかっこいい名前です。ここは見通しが良く、後方はワシントン 前方はブルーリッジ山脈・・・ブルーリッジマウンテンってカントリーロードに出てくる山かな?それとも「青山」みたいな感じでどこにでもある名前なのかな?
でもって、そんな仕事をしているから、フェルドマンはほとんど謝っていた・・・そりゃ、みんなから「つながらないぞ!」というクレームを聞いてばかりだもんな・・・
ジェイ・アデルスン
エリック・トロイヤー
エクイニクスで本当のルータ化?いまいち私には理解できていない・・・
接続はいつだってケーブルと人間関係でできている
そうやなあ。
著者アンドリュー・ブルームはボストン生まれ。
マサチューセッツ州のアマースト大学で文学士、トロント大学で地理学の修士。
アマースト大学は新島襄(今の大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重の夫)の出た学校。