外科医 須磨久善 海堂尊著
いろいろ面白かったです。心臓外科のバイパス手術において、まず「胃大網動脈バイパス手術」を考え出し、バチスタ手術を取り入れ、その後それを改良してスマ式と言っていい手術法を考え出した須磨久善氏の聞き書き(?)。
しかし、バチスタ手術は生存率が低いので、HSS(アメリカの厚生労働省みたいなもん)では「非推奨術式」となっているにも関わらず、須磨氏は工夫して生存率を上げたので、見直しの「気運」を作っているそう。
バチスタ手術を行なった先駆者は、良好な成績を残せずに脱落した。須磨はパチスタ手術をやり続け、三分の一の患者が死ぬ事実に疑問を感じ、地道に考え続けた。不測の事態が起こった時に、論理的にその理由を考えることは、医学に限らずすべての学問の基本であって、そうした基本をきちんとやりぬくことは、実は難しい。
結果を出せればそれがオーソドックスになるか、試行過程では雑音や弱気か進入し、達成への意志をぐらつかせる。往々にして新奇なものはエキセントリックに見えることが多いが、そうした見栄えに惑わされず、ひたすら一直線に荒波を越えていく覚悟が必要だ。
なぜなら、それが最速の道なのだから。
須磨が確立したバチスタ変法は、海外では「スマ手術」と呼ばれ、もはやそれはバチスタ手術ではないという認識の心臓外科医も多い。
そやなあ。うまくいかない時に、考え続ける・・・これ大事やなあ。自分の頭で考え続ける。
なお、須磨氏が日本で初めてバチスタ手術をした時、やはり一例目だと皆目わからないので既にバチスタ手術の経験ある外科医3人に「来てくれないか」と声をかけたそう。イタリア・アメリカ東海岸(NYバッファロー大)・アメリカ西海岸(UCLA)の3人に。みんな来てくれたそう・・・
もちろん医学界のことだから大きなお金が動いたかもしれないけど、たぶんこれは「オタクの世界」「オタクの友情」だよな・・・私は植松努さんの「NASAより宇宙に近い町工場」の中で小学生へのロケット自作の授業に使う部品が足りないという話をしたら、Xロケットの社長だったかが「俺が持って行ってやる」と言ってアメリカからかついで持って来てくれた、って話を思い出しました。
でね、海堂尊さんは小説を書く時になんとなく「バチスタ手術」が浮かび須磨さんのことはあまり知らないまま「チームバチスタの栄光」を書いたそう。しかしその後映画化にあたり須磨さんが医療監修をして下さることに。で、バチスタ手術をする外科医役は吉川晃司さんだったんだけど、吉川さんはめちゃめちゃ練習をつんだそう。しかし、リハーサルで結紮のシーンがうまくいかなかった時、須磨さんが歩み寄ってこう言ったと。
「吉川さん、結紮がロックのビートになっている。ここはもっとリラックス、バラードを歌うようにやってみて下さい」
これで一発本番OKだったと・・・
カッコイイ・・・
ラベル:本