おはようございます。
すごくいい天気です。
ー秋月龍a著 一日一禅より kingstoneちょい変えー
三聖慧然(さんしょうえねん)は臨済の弟子。臨済録を編集した。
三聖(さんしょう)が秀首座に命じて長沙に問わせた。
秀 「南泉遷化 向甚麽処去(南泉遷化して甚麽(なん)のところに向かって去る。南泉は死んでどこへ行ったのか)」
長沙「石頭は沙弥であったときに、六祖にお目にかかったことがある」
秀 「そんな沙弥の話など問わぬ、南泉は死んでどこへ行ったのか」
長沙「あの方をして尋思(じんし)させたのだ。(尋思は「尋ね思う」と、行思(青原和尚)を尋ねさせたという故事にもかけている)」
秀 「老師には千尺の寒松はおありだが、枝を抽(ぬ)く石筍(せきじゅん。??意味を調べると鍾乳洞の水がしたたり落ちてできるタケノコ状の石。でもそれだと意味が違うよな・・・)がおありでない」
長沙「(黙っていた)」
秀 「老師の尊答を謝す」
長沙「(黙っていた)」
秀は帰って三聖に報告した。すると
三聖「もし本当にそうなら、臨済より勝れること七歩だ。だが、わしが明日もう一度点検してみよう」
三聖は翌日、長沙に問うた。
三聖「和尚はきのう『南泉遷化』の話に答えられたと聞くが、あれは光前絶後、古今聞くこともまれな名答です」
長沙「(黙っていた)」
世に言う「長沙の三黙然」
答えないのが答えだ、ということはよくあるけどな。
「あの方」って誰のことだ?南泉?それとも石頭という沙弥?やっぱりここは南泉か?
しかし「どこから来たか」「どこへ行ったのか」「○○を持っているか」など、非常に象徴的な問答になるな。
posted by kingstone at 09:47|
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