exciteブログのほうに
須磨カルタを歩くを書いた時に書き忘れていたこと。こっちに書いておきます。
1945年(昭和20年)3月17日の神戸大空襲のおり、須磨の離宮は攻撃対象になり焼夷弾で壊滅しました。なぜ狙われたか。別に天皇制の元凶だから、とかで狙ったのではありません。講師の先生がこう説明されました。
「なまえがね。むこりきゅうだったから、ぶきこだとおもったわけです」
私は最初、何のことかわかりませんでした。しばらくたって頭の中で漢字が浮かびかなり間が抜けてから吹き出しました。
「名前がね。武庫離宮だったから、武器庫だと思ったわけです」
アメリカ軍のインテリジェンス(諜報活動)すげえ。
そりゃ武庫は奈良時代なら本当に矛や盾を入れていた武器庫を指す言葉だったのでしょうけど・・・昭和だったら単なる地名だもんなあ。
あと、平清盛が後白河法皇を招くために雪見御所(ゆきみごしょ)を作りますが、我々は子ども時代「ゆきのごしょ」と呼んでいました。なぜ読み方が違うのだろう、と講師の先生にお尋ねすると「字が縁起が悪いということでどこかの時代に変えてしまったようです」とのことでした。
それから奈良時代の貴族の食生活はなかなか良かったようですが、平安時代になると型にはまり、また肉は仏教思想の流行で食べられないなど、栄養の偏りなど、あって健康には悪かったようです。藤原道長なんかも糖尿病から始まって病気のデパートであったようです。
posted by kingstone at 02:09|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
よしなしごと
|

|