薄雲はいっぱいあるけど、いい天気です。
ー秋月龍a著 一日一禅より kingstoneちょい変えー
今日のは先に書いておくと「話の流れが全然わからない」
泉州の長官王太傳(たいふ)が同門の招慶和尚の寺で煎茶の供養をした。招慶は留守だったので、役位(つまりその寺でえらい)朗上座がたまたま訪れていた明招和尚の前に小さな茶釜を持って行ったが、しくじってそれをひっくり返してしまった。それを見て王太傳が言った。
太傳「茶釜をかける火鉢(炉)の下にあるものは何ですか」
上座「棒炉神(炉の下について倒れぬように支えている鬼の形をしたもの)です」
太傳「某炉神(があるのに)なぜひっくり返したのです」
上座「仕官千日 失在一朝(千日も官に仕えた高官でも、一度の失敗で免職になることがあります。それと同じです」
太傳は袖を払って出て行った。
明招和尚が言った。
明招「朗上座よ、君は招慶の飯を食っていながら、なんで長江の外に行って焼け株を作るような愚にもつかぬ無益なことを言うのだ」
上座「和尚ならどう言われますか?」
明招「わしなら『悲人(棒炉神)につけこまれたのです』と言う」
まあ、釜をひっくり返したことは「一度の失敗」にあたるかもしれないけど、「なぜ」と問われて「仕官千日 失在一朝」と答えるのは意味がわからんというか、面白い答えでも何でもなく、単に「意味の通らないやりとり」やと思う。しかし最後の「悲人(棒炉神)につけこまれたのです」もよくわからん。
「袖を払う(そでをはらう)」 袖に付いた塵(ちり)などを払い落とすという意味から、自分の考えや意志を通すのに邪魔になる物を払い除(の)ける。
ふ〜〜ん、「袖を払って出て行く」は「怒って出て行く」という意味かと思っていたが、「自分の意志を通すために邪魔なものを払って出て行く」ということか。まあ・・・そういう時、怒っていることも多いだろうけど。
ラベル:挨拶 天気 禅語