もう泣いて笑って忙しい本でした。
村上由美さんご自身がアスペルガー症候群(しかし4歳まで音声言語でのやりとりが無かったことを考えると、診断名にこだわれば高機能自閉症じゃないか??ってのはありますが。でも実はそんな診断名はどっちゃでもいい。要するに自閉症スペクトラムなんですよね)の当事者。6歳の時にお母さんから「あなたは自閉症なの」と告知されてはります。
由美さんは(後で夫ぎみの真雄さんが出てくるのでお名前のほうで)最近は講演に行かれることも増えましたが、そこで当事者さんから
「あなたのような人に、『自分はアスペルガーだ』と言う資格はない。どうしてもアスペルガーだと言い張るのなら、なんらかの証拠を見せて欲しい」と言われたことがあるそうな。
また小学校の時、担任の先生に言ったら先生が「おかしなことを言う」「お母さんが由美さんのわがままに過剰に反応して、過保護にしてるだけなのでは?」と言ったり・・・まあこれは1979年頃の話。当時だとそれがごく「普通」の人の反応やろなあ。
また1990年頃、大学の心理学科の友達に「実は私、自閉症なんだ」と言っても「ええっ、でも全然そんなふうに見えないし、そんなことないんじゃないの」とか言われたりとか・・・そりゃ当時の学生には何のことやらわからず、対応も「変なはげまし」になっちゃってたろうな、と思います。
このあたり、私もアスペルガー症候群やら高機能自閉症とかの言葉は1998年頃からは知っていたのですが、全然具体的にはイメージできませんでした。実は私のブログによく出てくるA君とかがそれになるのかなあ、と思っていたのです。少しは音声言語を使いはるので。
しかし後年、わかったのは、とてもそんなもんじゃない、音声言語とかごく「普通」に思える人たちなんだ、ということ。
私が身にしみてそれがわかる以前に、小学生の高機能自閉症のお子さん3人と一緒にスーパーに行って買い物をしてサンドイッチを作って食べる、という活動をしたことがありますが、私にはまったく「そうじゃない子」との違いがわかりませんでした。まあ、それは必要な視覚支援のグッズを使ってたからなんですけどね。ですからその時点でもわかりませんでした。
で、たまたま私が現役時代、通常小学校で不登校になったりなりかけてたりした子は全部アスペルガー症候群だったりしましたけど・・・しかしたまたまにしても率高すぎ。
で由美さんも給食を「完食しなければならない」というプレッシャーのなかでおでんを無理矢理口に押し込んで吐いてしまい、その日からいじめられるようになってしまいます。しかし・・・結構「あなたが悪い」みたいな指導を受けることも多かったみたい。これは、実際問題として障害についての理解が無い人が見たら「いじめられてる方が悪い」と「見える」行動はあるわけです。またコミュニケーションの問題でうまく自己弁護・自己主張ができない、ということもある。そこらへん、今の先生方は理解できるように、そして対策が立てられるようになっているかなあ・・・
今、各地で起きている「いじめ」についても背後に発達障害があるだろう、と推測されることは多いですけど。
少し戻りますが、由美さんが始めて意味ある音声言語を出したのは、本を読んで欲しくて「本読んで!!」と言ったことからだったとか。
また当時、希有なことだったろうと思うのですが、H先生という若い方が「療育」に通って来られていて、その先生は読む限りいい関わりをして下さっていたみたいで最初は由美さんが喜んでいたのですが、しゃべれるようになってしばらくしてだと思うのですが
「もう、先生が来てくれなくてもいいよ」
と言ったそう。そしてそれでH先生の「療育」は終了したそうです。
「本読んで!!」にも「もう、先生が来てくれなくてもいいよ」にも感動します。支援の現場にいて「音声言語にこだわってはいけない」というのは身にしみていますが、感動するものは感動するから仕方がない。
小学校時代の由美さんにとって安らげる場になったのがキリスト教会と図書館だったとか。教会は「偏見の感じられない場」として、図書館は好きな本を好きなだけ読める場として。
中学では友人と話が合わなかったりしたけど(私の周囲のアスペルガー症候群の人もそうだなあ・・・私から見たらすごく面白いことに興味を持ってるんだけど、今どきのたいていの中学生、興味もたんで、という領域だったりするもんなあ)、一部先生方とはいい関係が持てたと。いろいろな授業以外の課題をして行ったら丁寧に見て下さったり。
高校は自由で制服も無い進学校に進まれたとのことで、そういうところでは由美さんの言動はある意味「とんがったやつ」と評価されたみたいです。そういう感じ、いいなあ。
大学では心理学を学び、卒業後「国立身体障害者リハビリテーションセンター学院(現、国立障害者リハビリテーションセンター学院、略して、国リハ学院)」に進まれます。
ここでもともとあった聴覚過敏が役に立った、というあたりも面白い。「弱み」と思われていたことが「強み」になるわけですね。
でそこを卒業する間際に夫ぎみとなる真雄さんと出会われるわけですが。
このあたり、就職・恋愛・同棲と怒濤の進行で読んでいても目がまわりそうになります。で、小学校・中学校時代というのはもう無茶苦茶たいへんそうで読んでいて「心が痛い」感じなのですが、このあたり以後は、もう吹き出すというか爆笑してしまうというか・・・いやもちろんご本人にはめっちゃたいへんなことがいろいろふりかかってくるわけですが。
真雄さんの超ポジティブな件だとか、117クーペ+新居事件とか・・・
しかし叔父さんの亡くなるところでは涙でページが読めなくなりました。でこのおじさんが亡くなる直前に真雄さんと会い、話があったりしたところも・・・
なお「最後に夫の立場からひとこと」という真雄さんの書かれたページがありそこに「なぜこんな平凡な生活が本になるんだろう」という感慨が書かれていますが・・・そらめちゃめちゃツッコミが入ると思いますが、しかし、ここに書かれた「夫婦の意見の違い」「ぶつかり」とかって、ある意味「普通」なんですよね・・・
で、真雄さんが初めて由美さんのご両親に挨拶に来られた時のやりとり
最後に私の母が、
「何もできない子だけど、本当に由美でいいの?」
と彼の意思を確かめるように問いかけると、彼はニッコリ笑って、
「はい!由美だからいいんです。彼女と暮らしたいです!」
ときっぱり言った。
「何があっても彼との暮らしを続けていこう」と、私自身も覚悟を決めた。
ってのが出てきます。
ほんまねえ、私自身、ご夫婦の一方あるいは双方がアスペルガー症候群ではないかな、という例にもあたり、そしてうまくいってない例も見、聞きします。で、もちろん別れようが何しようが別段構わないのですが、最初はみなさんお互いを魅力的だと惹かれ会い一緒になったわけだから、もし「特性の理解」や「具体的な対応法」でなんとかなる部分についてはお手伝いできたらなあ、と思うことがあるわけですが。(で、その上でやっぱり別れるとかなれば、それはそれでいいし)
なお、由美さんは「療育」を早くから受けて来られたし、真雄さんはいっさい受けて来られなかった、ということになります。そして由美さんのことを紹介する文に「小さい頃から療育を受け」と「療育を受けたことによる成功例」のような書き方をしているものが時折見かけられますが、本書の中で由美さん自身が「それはどうだったのかはわからない」という立場を取られています。で
ただ、療育を始める時期も療育の形も、当事者それぞれの事情に応じて多様であっていいと思う。
と書かれています。深くうなづきますです。
Togetterでのまとめ