返却本コーナーにあったので。
椎名さんは自らを「粗製乱造作家」と読んではり、ものすごくたくさん書いてはるけど、ほんまどれも面白いもんなあ。この手のは「私小説」になるのだろうか。身辺雑記風であるのだけど。中の一編「百年食堂」の中に定年をむかえたテレビマンたちが協力して番組を作るという企画に出演するのを引き受ける、という話があるのだけど相手の方が出演者に選んだ理由として
「つまり団塊の人がいちばん憧れている生き方なんですよ」
「たとえば団塊の星というような・・・」
で、雑誌のインタビューなどでこうも聞かれると
「いいですね。シーナさんは。風に吹かれるようにあちこち旅をして自分の好きなように遊んで生きているんですからねえ」
で、シーナさん自身は
おおお。ちょっと待ってくれえ。とわたしはそのたびにやや焦るのだ。
う〜〜ん、だけどそういうイメージはあるかなあ。で、こんな身辺雑記風の「私小説」の中に「岳物語」がありました。私もすごく楽しく読んだ作品です。でその頃のことを「アゲハチョウ」の中でこう書かれています。
わたしはその頃、息子との日常を自分流の私小説として雑誌に連載していた。だからその月の小説のタイトルは「アゲハチョウ」になった。やがてそれらの連作短編は『岳物語』という題名の本になって、はからずもベストセラーになってしまった。小学生時代の息子は自分が実名で書かれているそれを読むこともなかったが、中学三年頃になってから友人らにしきりに言われたようで、初めてそれを読んだらしい。
彼とわたしの日常のやりとりをそのまま書いていたのだが、書かれた当人は自分の子供の頃のことが全部書かれているのだから、青年前期の感情としては要するに若者言葉でいう「うざったい」ことであり、許せなかったのだろう。その感覚はわたしにもわかるような気がした。せめて別の名前にしてやるべきだった、と思ったがベストセラーになるとは思いもよらなかったし、もう遅かった。
ある日彼はわたしの部屋に飛び込んできて、その本を床に叩きつけ「こんなことを二度と書くな。今すぐ日本中の本屋からこの本を無くしてくれ」と叫んだ。目に涙があった。
そのときわたしは何も答えなかった。愛情をもって彼との親子のつきあいを書いてきただけなのだが、今の年齢の彼にはその感情は理解できないだろう、と思ったからだ。
以来そのシリーズを書くのはやめた。中学から高校にいく時期というのは、作家のわたしからみると、硬直し、閉塞感にみちた学校という社会と、自由な仲びざかりの子供だちとの間に横たわるどうしようもない精神的な空洞が見えていた。わたしはそれに気づき、もどかしく思っていたけれど、個人の力ではどうしようもなかった。
さまざまに理不尽な構図による興味深い大小の事件が続発し、ぎこちのない不格好な成長物語としていいこと、悲しいことのエピソードにはこと欠かなかった。書きたいことだらけの日々だったのだが、彼との約束を守り、わたしはそれ以来何も書いたりしなかった。
息子とわたしのあいだには齟齬が生まれ、それは彼が高校を卒業して単身アメリカにわたるまで変わることはなかった。
まあ、そうやろなあ・・・
そういう意味では西原理恵子さんちはどうだろう・・・・
しかし、岳さんがサンフランシスコで結婚してすこしたって届いた手紙に唐突に
「とうちゃんは作家だから、オレのことを題材として書くのも当然だと思うようになった」と書いてあったそうです。
で、まあ、私はおめめどうのホームページを作っていて「グッズを使ったいごこちのいい暮らし」なんて、まさにみなさんの日常のことを教えて頂き、掲載してるわけですが・・・ほんと、プライバシーも大事、でも「わあ世の中にはこんな暮らしをしておられる方もいるんだ」ということがみなさんに知って頂けたら、とも思うし・・・
ほんまいろいろバランスってのは難しいです。
ところで題名の「続 大きな約束」ってのは、しかとはわからないのですが、孫の風太君との間の「あうまでは、じいじいは死なない」かな?シーナさんの歳になれば、周囲にたくさんの死が転がっているだろうし。
ラベル:本