副題は「社会・政治・経済史から探る再生の道」
いろいろ新しいことを知りました。帯に上野千鶴子さんの推薦があったので?と思ったら、どうやら教え子さんなわけね。
文はちょっと生煮えと言うか(ひええっ!上から目線ですいませんm(_ _)m)新書なのにちょい論文臭があるってか・・・
しかし東日本大震災で商店街にボランティアに行かれたり、また後書きに詳しく書かれているように、著者のご両親がもともと商店街の酒屋さんであり、その後コンビニを経営しておられるなど、著者の研究が、ある意味やむにやまれぬ自分自身のテーマであることに共感を覚えます。
また後書きにあった
わたしの両親は、コンビニを経営できているだけ、恵まれているのだと思う。酒屋を廃業してそのまま行方が知れなくなった者、あるいはコンビニなどの新しい事業に手を出して自殺してしまった者は、私の地元だけでも何人もいる。
ってのはちょっと私の周囲にもいるだけに身につまされます。
私自身、商店街の周辺に生まれ育ってその盛衰を見てきました。
まず著者の言う「商店街とはかなり新しいものなのだ」というのは、へえ、と思いました。もちろん金毘羅さんの門前市などは昔からあったのでしょうが、私が生まれ育ったところにあったような商店街は、第一次世界大戦後、都市に流入した離農者が、資本がなく零細小売業を営むことで生まれたというのはなるほどでした。
また1918年の米騒動は、庶民(?)が「悪徳商人」が米の値段を釣り上げたと考えて打ち壊しをしたわけですが、しかし商人の方とすれば単に原価が上がったから値上げしただけかもしれない。何て言うか「敵」は別のところにいた、というか「戦う相手が違う」と言うか、そういう話だったのかもしれません。
で、この頃から「購買組合運動」とか「生協運動」とかも生まれたし、また商店街も形成されていった。
それが第二次世界大戦後、政治的・社会的条件も整いたいへん繁栄した。
ところが商店街を形成した零細小売業は「専門性の無さ」「効率の悪さ」ゆえに淘汰されていった、しかも様々な「規制」によって(例えば「大店法」)に守られた既得権益者として「悪者」とみなされた、みたいなことになるのかな。時代時代によって、対立軸として百貨店・スーパー・コンビニなどが出てくるわけです。
でも、「雇用の受け皿」とか「地域のインフラ」として重要だったのではないか、そして若者が事業を始めることができる基盤として大事なのではないか、というのが著者の主張したいところかな。
私の場合、おめめどうと重ね合わせて考えるわけですが、おめめどうの場合、「商店街の店」みたいな感じでは商圏の人が少なすぎて維持できないでしょう。各地の非常に(全人口から見れば)少ないピンポイントの人たちを顧客としていかないと成立しない。また「専門性」はかなり高いとは思う。それから商品については「仕入れて売る」というのじゃなくて「開発して売る」というから普通の小売店のあり方とは違うよなあ。また「いい物をより安く」というのでも無い。もちろんできるだけ「安い」ほうがいいのは確かだけど「より」ってったって誰と比べて「より」だ?そんなの無いもんな。
しかし、「商店街」という形ではないけれど、お客様の周辺のコミュニティごと変えていかないと存続できないし、そこをねらっていくしかないんじゃないか、なんかそんなことを考えながら読みました。
ラベル:商売 経営