ハルヤンネさんの
「イヤーマフの疑問への回答」を受けて
元の質問は「聴覚過敏の有無とは関係なく、イヤーマフへの重度のこだわり を生んでしまったケースのいくつか」からの疑問なわけですが。
まあしかし、これはほんまよく話を聞いてみないとよくわかんないことではある。私の周囲でもイヤーマフに限らず「重度のこだわり」とかいう場合、結局はそれまでの周囲の環境設定(みとおしであるとかわかってできることであるとか表現コミュニケーションであるとか)の失敗であったりする場合も多かったような気がします。
またイヤーマフに限らず「視覚支援」とか「構造化」とかいうものでも結局同じ事。
で、今、相談業務に携わっていてもつくづく思うのだけど、相談を受けた側の回答が「短絡的」である場合もあれば、相談した側(親御さんだけでなく教師とかでも)が「短絡的」に受け取っちゃう場合もあるよなあ・・・
あと、相談を受けてる時というのは、少ない情報からいろいろ判断して回答するわけだけど、例えば「Aという対応を勧める」とかいうことがあり、しかしそこからまた話を続けていると私の予測していた前提条件とまったく反対で「いやそれやったらB」とか、「いやそれやったら何もしない」とかいうのを勧めるのに変わることもある。
しかしながら、「相談をしに行く」というのは現在「混乱・不安」の状態にあるわけで、全ての情報を適切に、うまくまとめて「相談を受ける人」に伝えられない場合も多いよな。それはしかたがないってか、だからこそ相談をしに行くわけで。またそういう方だと「藁にもすがりたい」という状況になってて「短絡的」に受け取ることもままあるとは思う。
だから逆に言うとプロなら、そこも含みこんで相談にのらないといけないんだろうな。持戒を込めて。
まあよ〜〜く話を聞いてみないと、単純に「相談を受けた側の問題」とか「相談をした側の問題」とか言えないことってよくあるやろなあ、と思う。
しかし・・・昔から相談を受けていて「その話の中で、本人はどこいったんやあ?!」ってこと、もうめちゃ頻繁にある。
posted by kingstone at 22:08|
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特別支援教育や関わり方など
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