中村勘太郎(勘九郎)が道元禅師役。
中国ロケもしてる。典座教訓の典座役は笹野高史。なかなかいいんだけど、二人が出会った時の会話で「私は日本からの留学生です」って自己紹介していないのに、笹野高史が「日本では」と言うのはおかしいやろ、と思った。
1200-1253
公家(内大臣源通親説と堀川通具説あり)と藤原基房の娘の間に生まれるが幼くして父と母をなくす。親鸞とは母方の縁戚なので面識ありとする説もあるそうな。(でも親鸞が京都にいなかった時代が長いので、どうかなあ・・・)
1214 出家。(天台座主によりとあるから延暦寺か?)
1215 園城寺(三井寺)へ
1217 建仁寺で栄西の弟、明全に師事。
1223 南宋へ(23歳か・・・)
天童如浄より印可
1228 帰国(映画では1227になっていた)で、映画では街で女の人が大勢の忍者みたいな人に拉致される様子が出てきたが、後で考えたら僧兵だった。
1233 京都深草に興聖寺を開く。
この頃、比叡山からの弾圧を受ける。映画では僧兵に寺を焼かれていた。
1244 越前に大佛寺を開く。
1246 大佛寺を永平寺に改称。
1248-1249 北条時頼(映画では藤原竜也)波多野義重らの招請により鎌倉に。
1253 入寂。(53歳。今だったらすごく若い。でも当時だったらこんなもんか)
映画は主として南宋に渡ってから後。
おりんという遊女は架空だろうけど内田有紀。ええなあ。
映画の中で「米も粟も稗もありません」というシーンが出てくるけど、ほんとたくさんの僧を食べさせていく、ってのはたいへんだっただろうな。確か司馬遼太郎さんだったと思うけど、栄西も折角、生地の布施があったのに、それを困っている人に渡してしまってその日に寺で食べる物が無くなった、というエピソードをどこかで読んだけど。本当に食べる物の確保はたいへんだったろうと思う。
posted by kingstone at 21:17|
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