元町映画館で スケジュール表は20日までしかありませんが、27日まで上映。
1973年にヴッパータールの市立劇場の監督から依頼を受けピナ・バウシュがヴッパータール・バレエ団の芸術監督になり、ヴッパータール舞踊団に変えてしまった。たぶんこりゃあ非難されたやろなあ・・・
ヴッパータールはドイツのフランス寄りにある地方都市。Wikipediaを見ると2004年の人口が約36万人。ってことは、周辺のことも考えると奈良市くらいかな。あるいは旭川市。その市立劇場なわけ。
人口密度で言うと
ヴッパータール 2,077 人/km2
高槻市 3,380人/km2
奈良市 1,320人/km2
旭川市 471人/km2
ありゃ、これを見ると旭川・奈良は適当じゃないか。高槻だと過密だし。

Wikipediaから
映画の中に何度もモノレールが出てきますが、これは「現存する世界最古のモノレールであるヴッパータール空中鉄道」とのことですね。なかなか趣がありました。

Wikipediaから。
ピナは1978年に65歳以上の老人(?)ばかりで「コンタクトホーフ」(日本語にしたら「触れる」かな?)という演目をかけ、まあ好評を得たみたい。で、2007年の中頃、14歳から18歳の(しかもダンスをしたことがない)若者たちに演じさせてみたら、と考えて取り組んだものをドキュメンタリーにしたもの。公演は2008年。でピナが亡くなるのは2009年。
踊り手の青年男女は公募したのかな。毎週土曜日にレッスンをしている、みたいなところが出てきました。もちろん素人ではあるけれど、これを機会に「何かやりたい」「出会いがあれば」というような野心というかそういうものがある人たちであるのは確かでしょう。
最初、おばあさん(おばちゃんとは言えないと思う・・・)の指導者が二人出てきたので、そのどちらかがピナかと思ってたら、どっちも違ってた。その人たちはジョーとベネディクト。この二人も「ただもんやない」感じ。でまたピナもおばあちゃんだし、公演が近づいてきた時のメイクさんや衣装さんもおばあちゃんだらけ。ごっついおばあちゃんパワーやと思いました。
途中、オーディションシーンみたいなところがありピナが選ぶのですがその時は「良かったわ。みんな合格よ」ってことでしたが、レッスンは5グループで行われ、初演時は1グループ分の人で行われるみたい。もうそれは「選ぶ」「選ばれる」の厳しさはあるみたい。
インタビューに応じていた青年たちでボスニアとかセルビアとかそちらから来た子は多かった。一人は「家ではロマ語を使っている。(どう問われたらだったか忘れたけど)僕はジプシーだと答えるよ」って言ってる子もいた。
振り付けの枠組みに入れつつ、しかしその中で「自由に自分の感情を表現すること」その矛盾の中で踊る喜びを知る、みたいなことを感じさせられました。
しかし・・・パンフレットに石光泰夫って方が、「あぁここには精神分析家にして教育者でもあったピナ・バウシュの真髄が」と書かれてるんだけど・・・それってピナさんを貶めてないか・・・どこかで「精神分析家」って公言してはったのだろうか?
posted by kingstone at 16:42|
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