私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年04月24日

1994年の肢体不自由特別支援学校での取り組み

 先日、インテックス大阪で行われたバリアフリー展で、肢体不自由特別支援学校(当時は養護学校)に勤務していた頃の同僚に会いました。びっくりしたあああ、でした。


 で、翌日、小さなホワイトボードを探す必要に迫られ、ひょっとして私がネタキリになった時、休職するさいに学校から段ボール箱に詰め込んで何の整理もせず(する元気は無かった)置いている中にあるかも、とほぼ10年ぶりくらいに開いた中から、肢体不自由養護時代の実践ビデオが出てきました。もともと8mmビデオで撮影したものをminiDVテープにダビングしたものです。


 先日2代目の据え置き型miniDVデッキがついに壊れ、残るは15年前に購入したDVハンディカムだけになっていました。ある意味、私にとって動画として見ることのできる最後のチャンスでした。


 ものすごく懐かしい動画でした。たくさんのお子さん・教師が映っていますが、A君(タイガー君として、私のホームページやこのブログで紹介しています)の部分は公開できたらな、と思いました。


 私はA君の家への連絡先は全て失っています。また何度も家庭訪問し、家の環境設定もしましたが、もう家の場所もうろ覚えになっています。そこで前日会った元同僚にA君の連絡先を聞きました。すると彼は知らないのですが、別の同僚なら知っていると教えてくれました。同時に「もう何年か前にお亡くなりになってる」ということも。


 その別の同僚に連絡を取ったところ私の記憶を補強して下さいましたが、しかし「A君のことには触れられたくないみたい」とも教えてくれました。


 う〜〜ん、どうするか。しかしとりあえずiMacに取り込んで、A君の部分をざっと編集しました。


 それをDVDに焼き、またMacBook Airに入れて持って行きました。


 最初はお留守、結局4時間ほどの間に3回訪問し、3回目にお母様にお会いすることができました。


 出てこられたお母様は、最初私のことがわからなかったようです。まずお悔やみを述べ、ご仏前をお渡ししてから、実はこんなものが見つかりまして、とMacBook Air で動画をお見せしました。


「こんなビデオが! あったんですね」(もちろん撮影時にお見せし、例えば研究会などで発表する許可は当時得ています)


 で、涙ぐまれました。お気持ちは察するしかありませんが、喜ばれていたようです。少なくとも「話したくない」という感じでは無かったです。


 でDVDを差し上げるとすごく喜んで下さいました。


 そして公開の許可を頂くことができました。


 何か、ここ数日の流れ、といったものを感じます。では動画。




肢体不自由養護学校での実践

  追記。あれ?2回の実践だと思っていたけど、3回分入ってますね。少し書きなおさないと。


A君


1つ目 1993年度のいつかわからない 

  使用機材 Panasonic A1GT(最後のMSX?)

       ディスプレイは普通のテレビではなくMSX用として販売

       されていたものだと思う

       スイッチインターフェイス(自作・中邑賢龍先生のたぶん

       最初の著作(題名忘れた)を見て)

       スイッチ(自作・このオムロンのスイッチは既に生産終了

       品のようです)

       ソフト 岡山県立早島養護学校(現・早島支援学校)障害児

           用ソフト集から「◯◯はどっち」


2つ目 1994年2月(1993年度)

  使用機材 Apple Machintosh ClaccicII

       スイッチインターフェイス(これは笹野さんの作られた物

       かな?)

       スイッチ(自作。オムロンのスイッチを2つ使って)

       ソフト 「りんごはいくつ?」(HyperCardで私が自作した。

           もちろん「◯◯はどっち」の真似)


3つ目 1994年5月(1994年度)

  使用機材 Apple Machintosh ClaccicII

       スイッチインターフェイス(これは笹野さんの作られた物

       かな?)

       スイッチ(オムロンのスイッチを学校のマイクスタンドに

       ガムテープで貼りつけた)

       ソフト 「野球をしよう」(HyperCardで私が自作した。

           もちろん「◯◯はどっち」の真似)


 こういう実践に到る前の段階から。


 A君はご覧のような動きです。表情が豊かなので、こちらから話しかけることはわかっているよう。特に阪神タイガースの話題は大喜びするようなお子さん。


 ある時、1992年度末だったか、翌年度の学習グループを決める会議の直前でした。お子さんの障害程度に応じて、教科学習的(と言っても通常校の教科書などできるお子さんんはごく稀です)なことをするグループ、そういうのは無しで揺れの感覚遊びや、マッサージ、音楽を聞くなど、何というか受け身的な学習ばかりするグループとかに別れます。その時、彼は畳敷きの訓練室で何人かの児童と一緒に仰向けに寝ていました。その彼に、担任でも無かったけど若かった私はちょっかいをかけたのですね。歳をとった今だったらちょっかいをかけないかもしれない・・・すると彼は


「あーあああ(やめてえやあ、と聞こえる感じ)」


だったか


「あーあ〜あー(あほかあ、と聞こえる感じ)」


だったかとにかく大笑いしながら発声したのです。今までそんな報告を聞いたことの無かった私は、感覚運動とかばかりのグループに入る予定だったのを、いや彼は何らかの教科的学習をするグループに入れるべきだ、と主張してそちらのグループに入ってもらうことにしました。


 で1993年度、動画に出てくる(と言ってもほぼ声だけですが)女性の先生が担当されました。この先生、さあA君を担当して何らかの教科的な学習をと言われてもとても困られました。そこで私が色々家庭訪問などして、操作可能なスイッチやソフトとハードの組み合わせとか考えて、彼に操作でき、わかる、教材を考えました。


 この先生は、パソコンなどは使ったことも無く、基本的に機械類は苦手でした。そこで私が起動も含めて全部揃えてやってきたら即使えるようにして、使って頂きました。機械類は苦手でありながら、しかしA君が他の授業では見せない熱心さ、楽しそうな様子を見て、「私はこの授業をやりたいです。協力して下さい」と言われました。


 私も他の授業を担当していましたが、あれこれやりくりし、休み時間に機器を先に教室に設定してあげ、自分の授業に入る、そして次の休み時間に撤収する、というような形を取っていました。


 実際、この時の体験から、支援機器やパソコンなどの利用に関して、教師として知っておくべきとは言えない瑣末な機器・パソコンの知識、どんなソフトがあるのか、どんな入力装置があるのかなどの知識が無いと、教師から「こんな授業を実現したいのだけど」と相談されても「ほら、こんなふうにできるよ」と目の前で示すことはできないし、普及することはできないなあ、と思いました。で、たくさんの教師にそんな知識を求めることは無駄なことだと思います。


 ですから、私は1993年ごろ教育委員会に「教師で無くなってもいいし、給料が下がってもいいから専任にしてくれないか」という提言をしたことがあります。「あほかいな」という返答でしたが。まあそれはそうです。ある職種を(その行政で独自に)入れようと思ったら、確か議会で条例か何かを通さないといけませんから。


 なお、1992年頃からの実績を元に、1995年度の会議でみなさんにプレゼンし、情報処理担当者は他の先生に比べて2時間の空き時間を頂ける、ということにしました。まあ、1996年度は私は異動していなくなりましたが、後の人のためにも大切なことだと思ったので。その空き時間は他の先生の指導のサポート(別につきっきりでなくていいから、たくさんの部屋を回れますし)に入ることができます。


 もちろん、本当は「まったく授業から浮いている機器利用サポート係」みたいなのが欲しいですけどね。(今はあるのかな?地域によっては「自立活動担当」という方がまったく授業から浮いて動ける、というような話も聞いたことがありますが)


 なおA君については、最初、やはり自作のよくあるゲームセンターのゲーム機についている押しボタンスイッチを5個十字に並べた自作5点スイッチをまず試してみましたが、難しく、この1994年?月には2点スイッチでの左右の決定の操作になっています。そして5月には逆に1点スイッチにして、ソフト側で工夫して、意思がわかりやすいように工夫しています。


 最初、多くのスイッチで、そしていろいろやってみてスイッチ数を減らした方が本人の操作しやすく、わかりやすいので減らしていったのですね。


 で、たぶん1994年か、1993年のMSXの実践は、岡山県立早島養護学校の「MSX障害児教育用ソフト」の中のたくさんのソフト(1点スイッチで使うもの、2点スイッチで、矢印キーで、またキーボードで、とかたくさんの肢体不自由のお子さんが使えるソフトがありました)の中から「◯◯はどっち」というのを使っています。


 そして1994年2月は MacClassicIIで「◯◯はいくつ?」と数を数えるソフトを使っています。これでもいつも正解できたかどうかはわかりませんが、かなりの正解率でした。これでA君は数えてはいるんだな、というのがわかりました。


 しかし腕の動きの問題で、カーソルを右に動かしたいけれど、腕が棒スイッチより上の上がらなくて(?)左側のスイッチを動かしているような様子もあります。2分45秒あたり。でもそれを越えて右を動かしています。


 なお、このソフトは1993年の特別支援教育総合研究所での短期研修のおりに自作したもので「ホームラン」という時の絵は私が描いたものです。このソフトを見たみなさんは「肢体不自由養護学校の児童が描いたものに違いない」と思っておられたようですが・・・


 なお、「ホームラン」の絵以外は他の方の作った教材ソフトの絵や、ネットで絵を描くのが得意な人が私の要望に応じて描いて下さったものを利用しています。この手のソフトは、一番最初に作った時はわけがわからず、結構長い制作時間がかかりましたが、もう1994年頃ならだいたい思いついて15分で作れる程度のものしか作っていません。


 ある時は、朝、教室を見まわった時にふと思いつき職員朝礼までの5分間で「グー」「チョキ」「パー」がトグルででるソフトを作ったところ、めちゃウケました。もし教員が作るなら、あんまり凝らずに短時間でできることが大切だと思います。


 まあ、他所で作られた「すごいソフト」を知っていて、集めて利用できる、ってのも大切か。


 1994年5月のMac ClassicIIの実践について。


 まず最初、どうもA君は3分13秒あたりから「はじめます」と言っているようです。私にはわかってないですね。私が難聴であったこと、それとセンスが無かったのかも。


 しかし、それはそれでいいかと思います。もちろん私がすごくセンスがあればそれはそれでいい。しかし世の中には無い人もいる。そういう人にでもわかる方法で伝えるようにならなければそれはコミュニケーション手段と言えませんから。また「A君がしゃべれる」「音声言語で会話できる」という報告は聞いたことがありませんでしたから、他の先生方にとっても彼の音声での会話はわからなかったのだと思います。


 今回は、1点スイッチにして、ソフトが1入力するたびに順番に画面がかわりまた元に戻る、いわゆるトグル型ソフトにしています。


 最初のほうは、いわゆる「お勉強」ではなく、本人の気持ちを表現してもらいたい、という思いでやっています。


 もともと彼はタイガースファンなのですが「タイガース昨日勝ったか?」と尋ねても「アーーッ」と大笑い、

「タイガース昨日負けたか?」と尋ねても「アーーッ」と大笑い、ということで、わかっているのかわかっていないのか、よくわからなかったのです。


 この授業の場合、前の授業の時に「にこにこマーク」「しかめっ面マーク」が交互に出てくるもので、「嬉しい、楽しい、好き」「嫌だ、嫌いだ、面白くない」などを伝えて欲しい、という授業をやっていて、彼自身の操作で、そこそこできました。


 そこでこの時は初めてその横に「□が6個(多い)」「□が2個」少ないを同じ画面に出し、「すごく嬉しい」「ちょっと嬉しい」「ちょっと嫌」「すごく嫌」を表現してもらいました。彼は、前日タイガースは勝ったのですね。だから「すごく嬉しい」で止め、「これだよ」というふうに「アーーッ」と声を上げてくれています。


 なお、これ以前から角材を並行に並べて固定し隙間を作り、そこに「にこにこマークカード」や「しかめっ面マークカード」を立てて(イメージがわくでしょうか?なんか写真でも示した方がいいかな。今iPhoneやAndroid携帯を手で持たずに机の上にたてて置ける台がありますが、ああいうふうに立てるイメージです。あんなふうに傾いてはおらず、もっと垂直に立ちますが)表現したいカードを選ぶ、という学習はやっていました。



 で、そういうのがあって後のパソコン利用なわけです。(もちろんお子さんによってはいきなりパソコンっていう使い方がいい場合もありますが)


 ところで、私はA君とこの場面以外にも、このシステムで彼といろんなやりとりをしました。であるタイガースが負けた翌日は、彼は大笑いしながら「すごく嫌(悔しい)」の絵を出してくれました。そらそうですね。私だって「昨日タイガース負けよった」と笑いながら話しますもんね。笑いながら「ちきしょう」みたいな。


 なお、確か中日にタイガースがボロ負けした時、「今の気持ちは」と尋ねると「すごく嫌(悔しい)」だったのですが、「じゃあ中日についてどう思う?」と尋ねたら、何度尋ねても「少し嫌(嫌い)」で止めました。なんか「こいつええやっちゃなあ」と思いました。


 後半は「フォアボールだから4を出してよ」というかなり強引な展開ですね。彼が「4」で止め「これだよ」というふうに「アーーッ」と言っているのがわかります。


 A君は中学部に進んでから電動車イスの操作の授業も受けるようになりました。(なぜか小学部では電動車イスに乗る授業って彼に限らず当時は無かったですね。・・・そんなもん乗るより訓練して歩け、という世界でしたから)ただし、車イスからスイッチボックスのついた長い電線が出ていてそれを教師が持っており、いつでも緊急停止できるようにしてですが。実際、彼はよく壁に激突していましたし、その後、私はいなくなったので実用になったかどうかは知りません。


 でもそんな授業をやってみようと思って下さったのは、彼がスイッチを操作し、いろんなことがわかっているんだ、というのを見ておられたからこそだと思います。


 なお、同じようなことを今実現するなら、スイッチ部はジェリービーンスイッチを使い、スイッチを支える部分はスイッチアームなどを使うかな。写真とリンクはAT2EDから。


jyerry.jpg


ジェリービーンスイッチ


arm.jpg


スイッチアームST


 今できること、今楽しいことで、暮らしていく、学んでいくことの大切さをあらためて強く思いました。


 ところで、この記録は、学研のかつて出していた「NEW 教育とコンピュータ 1996年 8月号」に掲載して頂きました。現在は休刊(つまり廃刊)になっている雑誌です。


 で、その記事の中に大嘘があります。61Pに書いてある「学習指導略案」
 これです。
 ※クリックすると大きくなります。
でっちあげ指導案.jpg

 そんなもん作ってませんから(笑)

 あくまでも後になってみたらこういう意図で進んでいたんだ、と自分で気づけたというものにしか過ぎません。いろんなこと、これができるかな?あれができるかな?それをさぐりつつ、楽しいコミュニケーションを実現していこうとしていただけです。でも確か「指導案があるでしょうからそれ載せて下さい」と言われて、うんうんうなってでっちあげたんです。


 まあ、通常校の通常学級の研究授業だと当然指導案は書きますが、普段だとそんなの書かなくても「指導書」とかに書いてるってこともあるし、指導案を頭に置きつつ授業する、ってことはあります。しかしそれ、特別支援教育でできるかなあ・・・


 こういう指導計画については




にも書いてます。この時も「実践記録を本に載せたいから年間指導計画を載せて」と言われたんですね。そんなもん作ってないし・・・で、そんなもん作ることより、目の前のお子さんの「今」の様子を見ることが大事と違うかなあ・・・


 なんかカッコばっかりつけて、肝心のことがおろそかになってないか。



(しかし・・・ものすごい金額使ってる・・・逆に言えばそれだけ収入があったということ) 


 学研NEW1996年8月号に掲載された、私の作ったHyperCardのスタック。「あかきみ」のスクリーンショット。学研さんがアップを許可して下さいました。


akakimi.jpg


 上の画面で、自動スキャンや2点スイッチのスキャンで、例えば「か」と「き」を選べば、下の画面の「柿」の絵が出てくる、みたいなスタックです。


posted by kingstone at 13:52| Comment(7) | TrackBack(0) | 実践動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHKの特別支援学校での虐待報道について

 Togetterで

NHKの特別支援学校での虐待報道について

をまとめました。

2012年4月23日の午後9時のNHKニュースで報道された埼玉県の知的障害特別支援学校での虐待報道について。

ラベル:特別支援教育
posted by kingstone at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月24日(火曜日)  打葛藤

 おはようございます。

 曇りです。


ー秋月龍a著  一日一禅より  kingstoneちょい変えー

 私は「葛藤」という言葉は精神分析の通俗本を読んで知った言葉ですが、禅でも使われている言葉だったんですね。つたかずらが物にまつわりついてからみつき、それをさまたげる様子から、文字や言葉が人を縛るたとえに使われる、と。
 また公案を指す語となった。

和尚「『二人行く一人はぬれぬ時雨かな』さあ考えてみよ」
小僧1「一人がみのを着ていた」
小僧2「馬の背を分けるような夕立だった」
小僧3「一人は軒下を歩いていた」
和尚「お前たちは『一人はぬれぬ』という文字言句に執着するから、真相が見えぬのだ。『一人はぬれぬ』のだから『二人ともぬれる』のだ。あたりまえのことではないか」

 う〜〜ん、トンチと言うか・・・
 和尚さんだって言句に執着してるような気が・・・

posted by kingstone at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月23日のつぶやき

king1234stone / kingstone
あっ、私が単純に「威嚇と暴力」を使わなかったわけではないことも書いておきます。例えば「メガネを取る」これは「威嚇」は間違いない。そして「暴力」であったかもしれない。で、別にそれでいいと思っています。 http://t.co/OjaL6Ttc  at 04/23 23:57

king1234stone / kingstone
「学校については外部からは虐待と指導の線引きは難しい」そんなもん、見たらわかるやろ。(もちろん優しげに見えて虐待だ、ってこともあるけどね。そこは難しいけど、どついてんのはあかんやろ) at 04/23 23:52

king1234stone / kingstone
おええええ。学校また「行き過ぎた指導」って・・・いつも学校ってこう言うが「指導」ちゃうやろ。 at 04/23 23:48

king1234stone / kingstone
わおっ、これか・・・埼玉県の知的障害特別支援学校での教師からの暴言・暴力/NHK ニュース http://t.co/hCBmDCJd                     #特別支援教育 #自閉症 #アスペルガー #発達障害 #学習障害 #adhd at 04/23 23:44

king1234stone / kingstone
なんか忘れてるような気もするが・・・ at 04/23 23:41

king1234stone / kingstone
ふ〜〜、このへんで力尽きた・・・ at 04/23 23:41

king1234stone / kingstone
おめめどうの公式アカウント @omemedou もよろしくね。 at 04/23 21:14


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こんなの何年ぶりか、って感じでしたが、美味しかったです。  RT @kankan551: それは贅沢だw at 04/23 16:39

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もちろん比喩的に「同じ事を繰り返して解決できない」時に使うけど、同じ意味に思える・・・ @Lee_Delfin @ogatti21 at 04/23 15:47

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これ @ogatti21 さんのしか思い浮かばない・・・ QT 無限ループ=PCが固まり,プログラムの強制終了が必要になります。遭遇したくないバグ。 RT @Lee_Delfin: うん、意味が異なる気がする。QT #プログラマと一般人で異なる 2つも意味あったっけ? at 04/23 15:46

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ケーキ屋さん。めちゃ贅沢。しかし他に腰を落ち着ける所が無かったもんで( ; ; ) #TwitPict http://t.co/8i6FAaeo at 04/23 15:41

king1234stone / kingstone
「 #プログラマと一般人で意味が異なる」に「無限ループ」ってあるけど、これ、別に異ならないってか、えっ??無限ループに2つも意味あったっけ?私がプログラマじゃないから知らないだけ?? at 04/23 14:16

king1234stone / kingstone
.@zembutsu さんの「#プログラマと一般人で意味が異なる」をお気に入りにしました。 http://t.co/QjGv9TJW at 04/23 14:14

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う〜〜む、ホワイトボードってA5サイズより一回り大きいサイズくらいからで、もっと小さいのってないねえ。昔、私が買ったのは15cm×21cmの外形で中のホワイトボード部が12cm×18cmくらいのを持ってるんだが。 at 04/23 12:32

king1234stone / kingstone
やっぱりデザイン会社はMacなんやな。 #TwitPict http://t.co/5wvnhQ1c at 04/23 10:37

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「ラーメンと愛国 速水健朗」読書メモ。2006年サッカーワールドカップでメキシコは自国の素早いカウンター攻撃を「マルちゃん作戦」と名付けてたって。「赤いきつね作戦」とかか。 http://t.co/7IqtaN1C at 04/23 09:41

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ええ。そう目の前のことから。  RT @oskmin: 大前進の裏にはその煽りを受けて打ち切られた予算や人達が居てるのですが…。全ての人達の問題点の最善策と言うのは無理な事なのかもしれませんが、せめて目の前で起こっている理不尽は止めたいです at 04/23 09:38

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はははあ  RT @kankan551: この頃の妻ってたぶん安定して収入があることが当たり前になってて、当たり前になってるから、頑張って稼いできてくれているダンナさんへの感謝や労いが減ってたりするんじゃないかなと。 at 04/23 08:59

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で、「大前進」には感謝しつつ、しかし「まだまだ」なこととか、新しく起きてくることを解決していきたいっす。まあぼちぼちと。 @oskmin at 04/23 08:51

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ってか、いろんなものが「大前進」してはいるのでしょうね。  RT @oskmin: そうなんですよねぇ。そう考えると現在は大前進(^o^)v こんな風に各社会問題も解決したらいいんですが…。自分自身に関係の無いものに関心が無さすぎるのでしょうね。 at 04/23 08:50

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どもども  RT @matiere: .@king1234stone さんの「バリアフリー展で見た機器(トーキングエイド for iPadとか)」をお気に入りにしました。 http://t.co/9QiI9wlx at 04/23 08:49

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しかし、ここで何で「妻に」が出てくるんだ?  RT @kankan551: これは本当にそうかも。このあたりで転職や独立を考える方は少なくないと思います。RT プレジデント5月号「1000万●同僚と妻に不満、もっと面白い仕事を求める」 at 04/23 08:49

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その前は無給インターンだったし RT @oskmin: つい7〜8年前は日本の研修医も、そんな感じでこきつかわれてましたよ。資産家の家の研修医はいいけども。お金がない医師は、研修終了したあと当直のバイトへ、で寝ずにまた研修。その為、研修医の過労死が起こり全国で問題になりました at 04/23 08:29

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ははあ。なるほど。しかし、プレジデント、最近昔の想定読者がいなくなってきてて、まさにねらっている新しい層に訴求しようとしているのかも。  RT @jibjib_s: 会社で新聞掛けの隣の雑誌架にある。設定読者を考慮すると隣の芝は青い幻想かも。 at 04/23 08:28

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NHKでやってたER救急救命室で研修医が年収3万ドルというような話をしていたけど。 at 04/23 07:51

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プレジデント5月号「▼もしも、ドラッカーが年収3万ドルだったら」300万円あたりにこだわってるな。昔森永卓郎が「年収300万で・・・」って本を出したけど、その後世の中はあっという間にそれを超え、300万なんてとてもとても、という時代に突入したもんなあ。 at 04/23 07:50

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おはようっす。ああ、こちらで昨日降っていたのが移動したのかな?昨日はちょっと寒かったです。  RT @pao_lovelove: おはようございます。 こちら福島は朝から肌寒く小雨が降っているようです。ヽ(;▽;)ノ at 04/23 07:47

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プレジデント、どこかで立ち読みしよ。しかし・・・「300万●4割が「毎日家族団らんできている」円満ファミリー」ってことは6割は何らかの不満がある、ってことだけど。 at 04/23 07:45

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プレジデント5月号「年収300万父さんは、なぜ幸せなのか」「800万●働き盛り、教育費がずしりと重くのしかかる」「1000万●同僚と妻に不満、もっと面白い仕事を求める」「1500万●2割が「家族と会話なし」、社会貢献がしたい」 http://t.co/kZIUjVPN at 04/23 07:44

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プレジデント5月号「年収300万父さんは、なぜ幸せなのか」「300万●4割が「毎日家族団らんできている」円満ファミリー」「500万●仕事か家庭か悩み多くとも「相談できる人がいる」」 at 04/23 07:43

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「4月23日(月曜日)  去年貧未是貧 今年貧始是貧」 http://t.co/P8HSHrrv at 04/23 07:39

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おはようございます。いい天気です。すこし霞んでるかな? at 04/23 07:38
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2012年04月23日

ラーメンと愛国 速水健朗



 こういう本をなんと言うんだろう。ラーメンに関する蘊蓄話?「通」の本、というのとは少し違うよな。ラーメンに関するオタク話?学問としては認められないんだろうか?しかし私はまだちゃんと読んでないけど、新井白石の著書とかとの同じ括りになりそうな気がする。

 1948年11月、チキンラーメンの日清食品の創設者、安藤百福が大阪の闇市で屋台の支那そばを行列を作って食べている人を見るシーンから始まります。まあそれで「これだ」と思って開発した、ということですが。しかし製品となったのは1958年。10年かかってるんや。

 安藤さんは昔の台湾(つまり当時日本)出身。で、もともとラーメンを食べていたから、というわけでなく、大阪の闇市を見て、ということですね。日本のラーメンみたいなものは中国には無かったろうし。私が子どもの頃、父が「ちゃんとした」中華料理屋に連れて行ってくれた時、ラーメンが食べたくてそれらしい「湯麺」というのを頼んだら、全然味が違い、こどもごころには「まずい」と思った記憶があります。

 日本にラーメンの入って来た経路も書いてはります。まず水戸黄門が日本で始めて食べた、というのは嘘だ、と。明治中期に横浜や長崎に「南京そば」として入って来ている。また別ルートで札幌にも、これまた中国人の料理人が伝えたらしい。で、この札幌の人が日本人経営者に「これは何という料理だ?」と問われてラーメンの麺を打つ動作を質問されたと思って「拉麺」と答えたのが「ラーメン」という語の始まりだ、という説を紹介しています。

 「支那そば」という名前が「中華そば」に変わるのは、1946年、戦勝国中華民国(当時は国民党政府)から支那の呼称はやめてほしい、という申し入れがあったから。だから日本政府が「使わない」よう指示を出したと思うけど、サザエさんでは1948年までは「シナソバ」という表記で1950年に「中華そば」という表記が出てくるとのこと。

 また戦後の日本の食料窮乏の中でララ物資というのは本当に「慈善」の気持ちで送られたみたいだけど、それ以外のアメリカ農業戦略(小麦の販路を増やそう)というのもあって小麦が大量に入って来た。で「完全給食」が始まり、しかしちゃんと政府は1954年の学校給食法で「パンまたは米飯」と書いてます。でも米飯給食が試験的に始まるのは1970年。
 
 でその小麦の使い方としてもちろんパンもだけど、中国的なラーメンとイタリア的なスパゲティナポリタンの普及(そしてそれらは本当はそれらの国には無い(?))を著者は指摘しています。

 工業生産品の違いについて。武器観について「日本は一点物」「アメリカは大量生産品」という話。

「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「風の谷のナウシカ」などでも主人公は一点物のメカに乗って戦争する。ところが「スター・ウォーズ」ではルーク・スカイウォーカーは量産型宇宙戦闘機Xウィングに乗って戦う、と。

 なるほど。

 しかし、著者はアメリカの軍需工場(飛行機)で非熟練工のマリリン・モンローが働いていて、でマスコミに見出されたというエピソードで、まあアメリカは非熟練工でも生産できるようになっていたが、日本は学徒動員とかしても生産できなかったという例を出されているけど、これは熟練工・非熟練工の問題より根本的に資源が無かった、ということかもしれない。もちろんマニュアルがなく統計の考え方もなく、熟練によって工員を育てようという傾向は強かったろうな。

 でもなあ、例えば1990年代の特別支援教育でも、「教師の熟練」を求めている感じはしたな。で、ある意味「非熟練の教師でもできるように」システムを作ろうとしているのがTEACCHかもしれない。だから余計に日本で反発を食うのかも、というのは思うなあ。(2000年代については私はわからない)

 しかし、大量生産技術への反発はアメリカにだってあり「モダンタイムス」やロバート・A・ハインラインの「夏への扉」が紹介されています。

 で、そのあたりの生産技術の進歩、統計の利用などについてはデミング博士の日本への貢献が大きいのだけど、デミングさんてドラッカーさんとは研究者時代の同期であり、互いに影響を与え合う仲だったって。

 で著者の(そしてラーメン博物館の方なんかの)主張である「ご当地ラーメンは郷土料理ではない」そりゃそうだなあ。よく考えれば。このご当地ラーメンというのは田中角栄の日本列島改造以後に現れてきたものだと。まあ今のB級グルメと同じで何とか名物を作りたいという思いの中で作られてきたもんだよな。

 著者はブラックバスに例えてるけど、なるほど、です。で1950年代後半の観光ブーム、そしてそれは田中角栄の道路政策やその後首相になった時の日本列島改造論による、地方への公共事業によってもたらされたと。

 しかしご当地ラーメンが爆発的に普及したのはラーメン博物館以後だと。1990年?これはB級グルメが「B1グランプリ」でいろいろ出て来たのと同じような感じかな。でこれは古くからある郷土料理ではなく、「新たな物語を捏造したもの」「フェィク」と著者は書いているけど、別にそれに「いい」「悪い」の価値観は与えていないと思います。

 なんていうか学問としての歴史学だと徹底的に資料にあたり、なんというか「科学」であろうとする態度が必要だろうけど、人間、生きていくには「物語」が大事なことってあるよな。

 また著者は「ラーメン二郎」について「宗教性」も書いてはる。しかし、(私はラーメン二郎には行ったことが無いですが)後で出てくる「ラーメンポエム(相田みつお風人生訓・自己啓発みたいな)」はここには無いみたい。

 その「宗教性」「ラーメンポエム」っぽさは「九州じゃんがら」を代表例として出してはる。もちろん宗教団体とは関係ないけどね。

 しかし、ラーメン店で成功した人にはこういう「自己啓発」とか「宗教性」とかを全面に出すのが多いとか。まあ、そうでなきゃやっとられん、みたいなところはあるのかも。

 ラーメン屋じゃないけど、おめめどうに関して言えば、ハルヤンネさんは自己啓発系・ポエム系は強いし、私は宗教臭は強いだろうし、syunさんは禅味かな。

 そのあとの指摘、外食産業はグローバル化、低価格化、大きな店・チェーン店化の波にもまれたけれど、唯一ラーメンだけは単価が高くなり、独立店が生き残っている、というのも面白い。もちろん低価格化・チェーン化で成功しているところ(王将・リンガーハットなど)もあるにもかかわらず、です。

 で、本の題名の「ラーメンと愛国」だけど、ニセの伝統であるにもかかわらず伝統を前に出し、またそれが愛国というものと結びつく。考えてみれば「国」というのもある意味「ニセの伝統」だよなあ。とにかく物語を作って集団がそれを信じやってく、って感じだもんな。

 しかし、それはそれで別に「悪い」もんじゃない。

 最後に外国での即席麺の様子が書かれていて面白い。
総輸出額 35億円程度 全世界48か国 総計5980万食 (現地生産のもあるだろうな、と思ったら後ろにそれらしき統計があった)
2009年 即席麺世界総需要 915億食(つまり日本からの輸出量より桁違いに大きい)
中国ダントツ1位>インドネシア>日本>ベトナム

香港では日清食品の「出前一丁」が圧倒的に強いブランド。
東南アジアで強いのはエースコック。ベトナムのシェアは65%
北米などではマルちゃん「Marucyan」が強い。
メキシコでも人気が高く2006年のサッカーワールドカップでは、メキシコ代表の素早いカウンター攻撃を「Marucyan作戦」と名づけた。
1996年ペルー日本公邸占拠事件では、ゲリラの女の子がインスタントラーメンがあまりに美味しくて家族に持って帰ってあげようとした。しかしゲリラは全員射殺された。たぶんラーメンを食べることができないくらい貧しかったのだろう。

 うむうむ。小さなおめめどうが生き残る道のヒントがいろいろあったような気がします。

フード左翼とフード右翼 速水健朗著

posted by kingstone at 08:26| Comment(3) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする