曇りです。昨日は寒かった。今日は?
ー秋月龍a著 一日一禅より kingstoneちょい変えー
曹源一滴水 そうげんの いってきすい
滴水和尚(最後は天龍寺)は19歳の時に舞鶴の行永の受業寺から行脚に出た。岡山の曹源寺の儀山和尚(1802-1878)の名声を聞いて訪ね、入門を許された。まもなく浴頭(よくず・風呂焚き)の当番になった。儀山和尚が、熱いからうめよ、と言った。そこで手桶の底に少し古い水が残っていたのをそのあたりへあけて、新しい水を汲んできた。それを見ていた儀山和尚は
「お前、そういうことでは、何年修行しても善知識(すぐれた禅匠)にはなれぬぞ。その残り水をなぜ植木の根にでもかけてやらぬか。そうすれば植木も生きるし水も生きる。禅者というものは物を生かして自分も生きるのだ」
とさとした。彼はこのときから、自身で一滴の水すなわち滴水と号して、ついに修行を成就した。
これは「ちょっといい話」としてよくありそうだ。わかりやすい。