もずらいとさんが
近代広告の誕生 ポスターがニューメディアだった頃 竹内幸絵著 についてつけて下さったコメントに対して、思ったことなど。
> しかし機材の進歩もあるけれど、第一次大戦時のポスターの量産といい、第二次大戦時の広告表現の飛躍といい、やはり戦争は大きく関わっていますね。 うまかったのは、機材としての工業製品の品質が良かったドイツで、なにせPK(Propaganda Korps「宣伝中隊」)なんて独立中隊を持っていたくらいですから。我が国は「戦ふ兵隊」という国策映画を帝国陸軍全面協力の下で製作したのですが、ドキュメンタリー風に撮影したら「貧乏くさい烏合の衆のような兵隊たちが嫌々戦っている」という感じになってしまい、上映されませんでした。 >「プロバガンダ」という言葉は戦前は「広告」とか「広報」「宣伝」というだけのことで、決して「悪い意味」は付与されていないことがわかります。 「プロパガンダ」という言葉のイメージが悪くなったのはナチス政権でヨゼフ・ゲッベルスが「国民啓蒙・宣伝省(Reichsministerium für Volksaufklärung und Propaganda)」の大臣になったからでしょう。共産主義国家でもあからさまに「宣伝省」という役所は作らなかったのでは? YouTubeに「戦ふ兵隊」の抜粋動画がありました。これは本当の短い抜粋なのでどうのこうのはわかりませんが、少なくとも音楽は物悲しいですね。あんまり戦意高揚にはならなさそうだ。
VIDEO PK(Propaganda Korps「宣伝中隊」)なんて独立中隊 要するに「広報部隊」ですよね。
「国民啓蒙・宣伝省(Reichsministerium für Volksaufklärung und Propaganda)」 これも日本の「内閣官房」(?)とかアメリカの「報道官」みたいなもので・・・確かに「省」まではいかないか。でもどう考えても重要な部署だなあ。なんていうか「広報」「広告」「宣伝」「プロパガンダ」が悪いわけではない・・・で、ナチスのプロパガンダにしても、ユダヤ人や周囲の国にとってはとんでもない思想のプロパガンダだったけれど、ナチスの人たちは信じていた(?)
やっぱり「やらせ」問題と一緒で「だまして」はいかん、というのがあり、ナチスの主張「アーリア人が素晴らしい」というのには根拠が無かった、というのが問題なのか・・・でも根拠があるから人を殺していい、というもんでもなさそうだ。
Wiikipediaによると
最初にプロパガンダと言う言葉を用いたのは、カトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide) でもともとは「繁殖させる」意味だとか。
結局「権力」と結びついて他人を迫害したり、他の情報の流通を「抑圧」したり、ってことになったらダメってことかな。
posted by kingstone at 22:21|
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