おはようございます。
曇りです。昨日の昼と夜の寒暖の差はすごかった。重ね着が必要ですけど、外にいる時、持って歩くのがたいへんだなあ。
照顧脚下(しょうこきゃっか)
私の考えたこと。これは昔からよく聞く「足下を見よ」だと思う。「照らす」「脚=足」「下」だし。「顧」は「回顧」で「かえりみる」だろうな。あしもとを照らしてよく見なさいよ、か。ひょっとして西洋哲学も現地ではすごくわかりやすい言葉として使われている単語を使っているのに、日本で翻訳する時にやたらむつかしくする、って話がありますけど、もずらいとさんの訳を読んでいると、禅語もその傾向があるのかもしれない。もちろん「簡単なことに深い真実がある」みたいなことはよくありますが。足下を見よ、だって「自分のおかれている本当の状況をよく見なさいよ」とかどんどん深い意味にとっていくことは可能だし。
解説。
不安で前に進めなくなってしまったら、暗闇でも目をこらして足元を確かめること。明かりがあるのならそれで足元を照らし、自分の立っている場所をよく確かめましょう。足元に地面が続いているとわかれば、安心してどの方向にでも歩いていけます。 ああ「足元をよく見よ」という意味は同じでも、この文の前に来る文の関係かな?置かれている状況・心情が逆だった。私は「自信満々だのお主。足元を見てみろ。ほら危ういところに立っていることがわかるだろう」という状況と思い、解説は「不安だと。足元をよく見てみろ。地面があるじゃろ」なわけだ。
後者のほうが他人を励ますことができるかな。で、私のほうはネガティブシンキングかな。
posted by kingstone at 07:39|
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