もずらいとさんとのやりとりがわたくし的には面白い。
自立課題学習とはのコメント欄のやりとりなんですが、私が、
まあ、私は教師個人を責める気は全然無くって、ただ「教師に教える人」の問題が大きいかな、と思ってますが。と書き、もずらいとさんが
私は「教師個人」が一番問題だと思っています。前任校でスイッチ教材などの最大抵抗勢力は教員でした。特に「養護・訓練」的なことをやってこられた方はスイッチ教材や良い車いすによる姿勢保持の明らかな改善を見ても「それが良いのは分かるけど」と、結局変わりませんでした。たぶん変わる気なんてみじんもないのです。教師という人種のけっこう多くは「教師に教える人」がどれだけ優秀であろうと変わりません。「自分の趣味趣向に合う人」の話しか聞く耳持たないですから。で、私が
つまり、私は「自分の趣味指向に合わない人」に教えられる技術が無いと「教師を教える人」とは言えないんじゃないか、と思っているのです。もずらいとさんが
そこまで親切にしてあげる必要はないでしょう。また、そのようなことを標準にすると神の領域の人以外は失格になります。教員なんて万の単位で存在するんですから。ここんとこ、すごく面白い。よくは存じ上げませんが(ということにここではしておきましょう)「スイッチ教材」ということですから、肢体不自由のお子さんに対してと思われます。肢体不自由のお子さんはその障害に合わせて、様々なスイッチをフィッティングしたり、それで遊べるおもちゃ、パソコンなどを用意したり、もっとシンプルなものでは文字表やシンボルのボードを使ったりとか、様々なAAC手段でのやりとりが必要になってくる場合が多いです。
で、私が20年ほど前に肢体不自由特別支援学校でAACに取り組んだ時、最初は教職員ほぼ全員が反対及び無視に回りました。まあ、何のこっちゃわからん、って人も多かったとは思いますが。その時の私への校内での協力者数の変遷をエントリにもしています。
過去の記事83(理解して下さる人を増やしていくこと) だいたい全職員100名くらいだったと思う。
最後の2年間は私は校内の教材研修グループの長になっています。(校務分掌の研修部の担当になったわけではない。校務分掌の研修部はそれこそ自立活動部同様「よく勉強している」とみなされる教師がなる。私は校内研修のグループ作りの時、「教材を研究するグループを作ろう」と主張し、その長におさまっただけ。なお小学部のグループでしたが、他学部からも参加希望者がおられ校内的には「認められない」ということでしたが、アドバイスはしました)
「訓練担当」のえらい方からツッコミは入ることもありましたが、「ごもっとも。私にもその点はわかりません」とか、言いつつ、できる限り対立しない方向で進めましたが。まあそういう方は礼節を知ってはりましたけど、困るのは「訓練」もまともに勉強してないような方が「パソコンを使って挨拶している子」を見て「機械に頼るな!」と叫んでその子を座位保持装置からおろし、仰向けにして唇マッサージを始めたり、ってのはありましたが。なお、この方、翌年どっかの教頭先生になりました。(で、たぶん、私は特別支援教育もよくわかっています、とか言うんだろうな・・・)
まあ、その最後の年は、遠くからも私んところに「出張研修」で見学に来て下さいました。
身も蓋も無い2 この時見学に来た方に言わせると「kingstoneさんの程度の実践はそこらへんにごろごろ転がっている。(そりゃそうだ。私は「オリジナル」なんかなく、そこらへんに転がっている事例を教えてもらって自分の目の前の子供たちに適用してるだけだもん)しかし、それを職員に理解してもらって広めている秘密を知りたい」とのことでした。
でね、そういう時、つくづく思ったのは、広めていく時に「言葉」だけでは絶対無理。先生が「かくかくしかじかで困っている」と言ってこられたら、授業内容も考え、パソコンだったら、ハード・ソフト・入力装置その他その先生の技量(と言えるものが無い場合がほとんど)に合わせて「はい、これを持ってったらそのままそのお子さんとの授業に使えるよね」という形でお渡ししないと使って頂くのは無理。で、できれば1回目、始める時にはちょっとついて見守っててあげられるとなお良い。
まあ、それを空き時間・放課後をやりくりしてやってたわけです。で、私が異動する時には「担当者が動きやすいように空き時間を」というプレゼンをして、2時間分の空きを後の担当者のために勝ち取りました。(そりゃもっと欲しかったけど、「みんな同じ教師という立場」だから、そういうわけにもいかへんしね)
これなんかも自立活動の先生方とは全然関係ない教職員さんから広めて行ったけどね。
で、やってて思ったのは、こういう「担当者」というか「教える立場」というか「セッティングする立場」というか、そういう人って、すんげえ「教師としては他に役に立たないしょーもない知識」が必要になるのね。ハードのスペックの話だとか、たくさんのソフトの使い方だとか、どんなスイッチがあるか、だとか、どんな事例があるか、だとか。ある一人のお子さんのために役に立つには、膨大なそのお子さんには役にたたない知識・技術も持ってなきゃいけない。でもそれを「すべての教師に求める」のははっきり言って間違ってる、と思いました。よっぽどのオタクでないと無理な話やでえ、ってわけで。
で、例えば肢体不自由特別支援学校なら1人だけそんなオタクがいればいいことで。
特別支援学級だったら・・・何校かに1人いればいいし。(20校くらいのオーダーでいいと思う。40クラス〜60クラスくらいのオーダーかな)
で、これが知的障害特別支援学校だったら自閉症や類するコミュニケーション障害のお子さんが半数はいると思います。だったらTEACCHをまともに、それこそオタク的に(かつまともに)勉強した人が1人いて他の教師の相談にあたらせればいいだけのことだと思う。これも「環境設定」「授業作り」「実際にやって見せる」「その教師にやってもらって教師ができたら褒める」をやってあげないといけないと思うから、横並びの教師じゃだめで、空き時間というか、もうクラスを持たず、それだけやってる人が必要だと思うけどね。でも1校に1人で十分。(ここで「おめめどう」と書きたいところやけど、あまりに弱小やからねえ・・・TEACCHの方が「権威ありげ」に聞こえるやろし・・・)
これが特別支援学級だったら、さっきのAACと同じで20校ていど(40クラス〜60クラス)に1人いれば十分だと思う。
で、ここまで書いてきてわかるように、実は私は「教師の能力に期待してない」わけ。普通に常識のある人ならいいだろう、と。だからいつも「高学歴は必要ない」「高卒で十分」「何なら中卒でも」と主張し、で、同時に「お給料はもっと安くてもいいんじゃない」と主張してるわけ。
ただ、「教師の相談にのる人」には多くの知識・技術を求めているわけね。で、もちろん「教師を教える人」にも。
その点、意外や意外もずらいとさんの場合は「一般の教師の知識・技術」や能力に「期待」をしておられるわけね。その基準があるからこその
「教師個人」が一番問題っていう意見になるわけで。でもって、たぶん「学校の公式見解」「教育委員会の公式見解」「文部科学省の公式見解」「労働組合の公式見解」もみんな「それはそれは教師みなさん必要な知識・技術・能力を持っています」「だから高いお給料が出ています」という話になるんだろうけど・・・
それって、現実的に無理な話やと思う。
でも、「教師を教える人」は能力はどうかしらんけど、すっげえ勉強と実践をして欲しい(研究ではなく。研究する人も必要やけど、「教師を教える」ってのは研究者を育てようとしてるんじゃないんんだから)
ちなみに私のオタク度は
私は療法おたく で、こんなふうだったのね。
対立・・・研修・・ まあ、知的障害関連については広げるところまでいけず、潰れちゃったんだから説得力無いけど・・・