編著者 デイビッド・フィンケルホー
訳 森田ゆり他
原題はCHILDHOOD VICTIMIZATION で「児童虐待」かな?
著者は1970年代からこの問題に関わった研究者。
ただし記述は米国についてのものであるので日本にそのまま当てはまるわけではないですが。
子ども(ここで取り上げられるのは新生児から青年まで)のあう虐待(暴力にさらされることや性的虐待)・ネグレクト(育児放棄)だけでなく他の暴力犯罪も含めて、子どもは被害に合いやすく、また大事なことはひとつの被害を受けた子どもは、その単一の被害だけでなく重複した被害(多重被害)に会いやすい。そしてそのために「発達被害者学」というものが必要ではないか、と言っておられます。この場合の「発達」というのは「発達障害」という時の「発達」ではなく「成長途上の」つまり「子ども」という意味みたい。
そして著者は学際的なホーリスティック(全体的)な対応が必要ではないか、と述べています。このホーリスティックには今日本で使われる時のスピリチュアルな意味は無く、いろいろな面から考え、あの手この手を使って対処する、みたいな意味。
で、この「被害」について研究する時、むつかしいのは統計に表れてきにくいことだと。例えば「虐待」とか単に「叩く」であるとか「性的虐待」とかは、「事件」になれば調査に上がってくるが、実は「顔見知り」によるものが多く、聞き取りをしても加害者からはデータが出てこないなどの問題があります。
しかしそんな中で著者は研究を続けてこられたわけですが。
発達障害に言及している部分は多くはありません。しかしそれについて語っておられるな、というところはあります。
被害に遭った子どもが、その経験の後に感情的な困難に苦しむことは広く認められているが、多くの子どもが、それと同じ、もしくは他の感情的な困難をその経験以前から持っていることは、あまり広くは認められていない。実際、その困難は、ただ単に暴力被害による影響というよりはむしろ、彼らが暴力被害に遭った理由の一つであったかもしれない。暴力被害に先立って被害者を評価する研究はほとんどないが、抑うつ状態、不安、そして他の感情的苦難に苦しむティーンエージャーは、被害に遭う可能性が高まることは研究から明らかである。そのため、メンタルヘルス上の問題と感情的苦難は、暴力被害の危険要因である。 また暴力被害に会いやすい場合本人の「危険を顧みない態度」がある場合もあるのではないか。
暴力被害を説明するために、被害者自身の行動や性質に言及するべきなのか、またどのように言及するのか、被害者学においては、長年激しい論争が続いている。このように性質ということを少しでも口にすると、しばしば「被害者を責めている」という声を引き出し、この問題のさらなる研究を止めてしまう。しかしこの議論には心に留めておくべきいくつかの有益な結論がある。第一に、統計的に明らかに暴力被害を増大させている被害者の行動や活動がある。第二に、私たちの心理的頬向として、自分たちの悪い行い(「彼は十分運動していなかった」「彼女は挑発的な服を着ていた」「彼はスピードを出し過ぎていた」)のために起こる悪いことに対して、圧力をかけ過ぎる。これは、自分は決して同じ運命の犠牲にはならないのだと、自分かちを安心させるのに役立つ。最後に、経験的に暴力被害の危険の一因として行動を見ることと、被害者を責めること、つまりその暴力被害に対する道徳的な責任がその人にあるとすること、との間を区別することが重要である。被害者に関しては、危険を顧みない態度がほぼ確実に暴力被害において何らかの役割を果たしているが、そのことを考える場合、私たちは、その二つをどれくらいの程度や頻度で関連づけるべきなのか、用心深くなる必要がある。 もちろん用心深くなる必要はありますし、被害者を「あんたが悪い」と責める必要は無いと思います。しかし、何かの要因があるのではないか、と考えることは大事だし、それがどんな支援が必要かを考える大事なかぎになることがあると思います。
いわゆる虐待の連鎖と見えたものが、実は障害(あるいは性質と言ってもいい)の連鎖であったりするように。
虐待についての大昔の話2 まあ私も「激しく責められ」ましたけど・・・
で著者はこれらの子どもの被害について、統計から1990年後ろから明らかに減少していると結論づけています。そしてそれが何故なのかをいろいろ考察していますが、たくさんの要因があり、またそれぞれ反論もあることを上げてはります。
ヤバイ経済学 スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー著 に出てきた「人工妊娠中絶の合法化が犯罪を減少させた」という説については、激しい論争を引き起こしたけれど、他の因子ともからまりあって減少させた部分はありそうだ、とのこと。ただし、「人工妊娠中絶」としてではなく「避妊」が進んだということも大きいだろうとのこと。
また警察をはじめとした社会的介入をする職員の増加も力があったと思われるとのこと。(最初に増えたころは認知件数が増加しているが、職員が増えることで認知件数が上がり、その後徐々に効果を発揮しだしたのではないか、とのこと)
それから薬物治療が効果を上げている面もあると。これは暴力を受ける側・暴力をふるう側双方に効果を上げている可能性がある、ということでしょう。
それからセクハラでも言われることだけど、社会が認知し始めたってこともある。
まあその他様々な因子が重なっていると。
なお訳者の森田ゆりさんはCAPを日本に紹介された方なのかな。
安心・自信・自由 の話をしたら
posted by kingstone at 22:07|
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