英国王のスピーチ
ジョージ6世 - コリン・ファース
エリザベス妃 - ヘレナ・ボナム=カーター
ライオネル・ローグ - ジェフリー・ラッシュ
エドワード8世 - ガイ・ピアース
ジョージ5世 - マイケル・ガンボン
メアリー王妃 - クレア・ブルーム
ウィンストン・チャーチル - ティモシー・スポール
いやあ、面白かったです。
脚本は昔からあったのにジョージ6世の王妃エリザベスが自分の生きている間は公にして欲しくない、と許可を与えなかったために公開されなかったとか。(
Wikipediaによる)
また
療法の詳細は、脚本のデヴィッド・サイドラー(吃音症治療の経験がある)による創作である。ってことです。
でも療法の部分もすごく納得できましたけどね。
最初奥さん(当時はジョージ6世になってなく、ヨーク公の皇太子妃)が偽名でローグのところにやってきて「治療」を依頼するわけですが、
妃「夫に秘密で来ています」
ロ「そりゃたいへんだ。本人がその気ならやりますが・・・」
妃「話す必要がある仕事をしているんです。」
ロ「転職なされては」
いやはや、ここで爆笑しそうになります。
で、やってきたヨーク公はローグを「ドクター」「治療者」として接しようとしますがローグは「友達」として接しようとする。であれこれあってローグが「しくじった」とつぶやくことになります。
面白かったのは「本が読めるかどうか1シリング賭けよう」とローグが言った時、ヨーク公が「お金は持っていない」ということ。ギャンブルはもちろん、「店で買う」とか、「お金を使う」とかいう体験が無かったのだろうな。ってことはもちろん「人から受けたサービス(例えばローグとの関わり)にお金を払うのが当然だ」という感覚も持ちあわせていなかったかもしれない。
で、考えると自閉症の人でも他の障害の人でもそこんとこ体験させてもらえないままの人も多そう。
まあ、紆余曲折あって「関わり」ができるわけだけど、やってることは「具体的な顎の運動」みたいなこともやるけれど、まあ言わば演劇のワークショップみたいなことですね。もともとローグは俳優(たぶん売れない俳優)だし。
で言葉にすれば「自分への気づき」みたいなことなんだけど、それがいろいろな具体的な技法に支えられている。上の予告編でもヨーク公があおむけに寝転び深呼吸しているお腹に妃が乗っかって「何か楽しい」って言ってるシーンがありますが、そうやって楽しく具体的に気づいていくわけですね。
感じとしては竹内敏晴さんとかがやってたことにも近いかも。
で、演劇への訓練みたいなことが、まさに言語療法となり、心理療法となっていた。
という点はよくわかるのですが、私自身は「だから演劇的なワークショップを言語療法や心理療法として利用しよう」という方向には反対ですけど。結果としてそうなる、というのはよくわかるし、大切なこととは考えていますが。この微妙な感じ・・・わかってもらえるかなあ。
「自分への気づき」とか「自分らしさ」って結構むつかしい。
今週の週刊文春の阿川佐和子の「この人に会いたい」で
松岡
僕は事前に相当調べて、深さを追求するんです。たとえばスポーツ選手には、「自分らしく頑張ります」と答える選手が多いでしょう。僕も現役時代、よくそう答えてました。なぜなら、そう答えれば話はそこで終わるから。でも、自分らしく頑張るって、わかりそうでわかんないですよね。
阿川
そうそう。
松岡
でも、そこで改めて「それってどういうこと?」と言われても、ほとんどの選手は答えられないんです。言葉にしたことがないから。
阿川
じゃあ、松岡さんはそれをしつこく訊くんですか。
松岡
僕はしつこいですよ。言葉が出てくるまで、十分でもずっと待ちます。そこで選手はいろいろと考えて、答えてくれるんです。インタビュー後、「自分がこんなふうに考えていたんだと気づかされました」と言われたときが一番嬉しい。僕自身も現役中、そう思ったインタビューがあって。最終的に目指してるのはそこですね。
って話がありましたが、ほんま、わからないまま流してることって多いと思います。
ところでヨーク公の兄ディビッド(シンプソン婦人との「王冠を捨てた恋」で有名)はいっぱい出てきますが、弟のジョージについても少し触れられています。てんかんで13歳で死亡。映画の中で何か表現していたのだけど、メモしきれず。たぶん何らかの知的障害があった模様ですが、自閉症かもしれないなあ、と思わせる言葉もありました。
戴冠式に取り組むシーンで確かヨーク公がローグに向かって(めちゃ不正確です)
「研修も受けていなければ、証書も資格も無い。しかし信頼を求めた」
というシーンがあります。でローグが
「私は俳優だった。戦争神経症でしゃべれなくなった兵士たちがいっぱいいた。誰かが『治してあげたら』と言った。彼らに『友達が聞いている』と勇気づけることが必要だった。誰も彼らの声を聞こうとしなかったから」
と答えるところがあります。
そやなあ・・・私も(公的)研修も受けておらず、証書も資格も無い人やなあ。
で肢体不自由や自閉症の人の「声」を聞きたかったんだよなあ。
まあ、そんなやりとりのあと
公「友よ」
ロ「陛下」
ってやりとりもあります。この呼吸、いいっすね。時には友であり、時には王と臣民であり、どっちもほんま。
1939年9月3日。駐独英大使館はドイツに対して最後通告を出します。そこでジョージ6世がマイクに向かって演説するシーンがクライマックスですが、たいへん感動的なスピーチになったようです。で、終わってから
ロ「wでつかえたな」
王「わざとだ。わたしとわかるように」
いやあ、いいっすね。
posted by kingstone at 16:09|
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