私の借りて来た本は、上の新潮文庫を底本にして社会福祉法人埼玉福祉会が500部限定で作った大活字本でした。
しかし、黒柳さんて、本当にいろんな人と友達になってますねえ。
「王様と私」のユル・ブリンナーさんとも友達になっています。
ブリンナーさんは、祖父はスイス人。最初の妻は日本人。この妻との間に子どもが9人。その中の何人かは日本に行ったらしい。二度目に結婚したのがモンゴル人。この妻との間に13人の子どもができて、その中の4人の息子の一人がブリンナーさんの父。そしてその父がジプシーの女性との間にできたのがブリンナーさん。つまりブリンナーさんの親戚が日本にいるらしい。
で生まれたのがサハリン。子どもの頃に京都にも来ている。10歳でパリで一人暮らしをしてサーカスに入り、その後舞台へ、ということ。
黒柳さんは気に入られ、「王様と私」も何度も舞台袖に置かれた専用イスで見たそうです。
で、この話は一章として終わっているのですが、そのだいぶ後にブリンナーさんが最後に肺癌で亡くなる時に「王様と私」を再演し、その千秋楽を見に行った時のことが書かれています。もうすぐ亡くなるという時なのに素晴らしい公演だったことが書かれています。
渥美清さんとのことも書かれています。まだ渥美さんが生きておられた頃ですね。他のところに1ドルが250円くらいだった時だと書かれています。
黒柳さんは渥美さんが浅草でめちゃくちゃに売れている座長だ、ということも知らなかったというか、浅草の芸人さんであることは知っていて、その頃は「浅草に行くとさらわれるのじゃないか」と思っていたそう。で二人で夫婦役をしていても、現実では二人の仲はギクシャクしていたそうです。
ある時、渥美さんが黒柳さんの言ったことが気に入らず「なんだ、このアマ!」と言ったそう。すると黒柳さんは、意地悪でも何でもなく、よくわからなかったから「アマと、おっしゃると?」と聞き返し、その時渥美さんは「ああ、やだやだ、この手の女は、イヤだ!」と思ったそうです。
最後に挿絵を描いている和田誠さんがあとがきを書いています。そこに黒柳さんの「トット」の前の「チャック」というあだ名の由来について書いてあります。
和田さんは、たいていの人は黒柳さんがおしゃべりだから「口にチャックをしろ!」という意味で「チャック」というニックネームになったと思っている、と書いてはりますが、私もそう思っていました。
しかしもともとはNHKを受験した時に芥川龍之介の「河童」を朗読し、その中にチャックという河童が登場して「チャックチャック」としゃべるのが印象的だったり、その後の研修期間中に研修中おしゃべりをしている同僚に対し、チャックつきの筆入れをしめて見せ静かにするようにうながしたのが由来だとか。逆だったんですね。
リリィさんの写真修行 トットのマイ・フレンズより
ラベル:トット 黒柳徹子