私は1997年頃からは「どついたりして問題行動とかなくそうとしても、それって『その場でしか有効でなかったり』『その人でしか有効でなかったり』『他のところで「問題行動」が出てきたり』ってのは応用行動分析やってる人の中ではもう常識で論文も出てるらしいで」と周囲に言ってきました。しかし、いったいそんなことがどこに書いてあるのか、どこに論文があるのか知りませんでした。
そしたらある方が「はじめての応用行動分析」の中で読んだはずだけど、と教えて下さいました。
1992年に日本語版は出ています。
この本は図書館で借りることができませんでした。そこで「本の置いてある場所」まで行って来ました。
私は
第7章 不適切な行動を減少させる結果操作
というところを走り読みしただけです。そしてメモを取り、必要な部分をコピーさせてもらいました。また、後ろの「注」の部分も。こちらに元論文の名前が載っていますから。
もう大爆笑しながら読みました。ここにちゃんとしたことが過不足なく書いてあるじゃないですか。
例えば「罰」について。「罰」とはある行動を減少させるものを言います。これは一般的な「罰」のイメージとはかなり違います。で
「罰は刺激そのものの性質からではなく、行動に対する効果という観点からのみ認識することができる」
つまり効果が無ければそれは「罰」にはなっていないってことです。
また「タイムアウト」について、私は大きな誤解をしていました。「タイムアウト」は「罰」としてよく使われます。何か問題行動を減少させようってわけです。で、私は「タイムアウト」とは「この部屋から出て行け」「この部屋に入っていろ」だと思っていたのですね。
で、TEACCHでは自閉症の人に「カームダウンエリア」に自発的に行けるようにすることはあります。これは「落ち着ける場所」っていう意味です。
で、だから実は私は心の中で「応用行動分析はタイムアウトを使う。TEACCHはカームダウンを教える。ここはTEACCHの勝ちやな」と思っていたのです。表には出さなかったけれど・・・・そしたら、ここの説明を読むと
「タイムアウトとは一定期間強化を与えないようにすること。『正の強化子のタイムアウト』の略」
それ以上でも、それ以下でもないわけです。もう応用行動分析さん、失礼しました。私が不勉強でした。と謝らなしゃーない。
でね、「この教室から出て行け」とか、「ここから出てあそこに行ってろ」とかやっても、そもそもその子に「この教室」や「ここ」が楽しい(正の強化の得られる)場で無かったら、まったく意味なくて「出ていけ」と言われたら「あはは、そりゃあ楽しいなあ。嬉しいなあ」というまったく逆のことになるわけです。
ってことで、タイムアウトって技はやっぱり使い方は難しいよな、とは思います。
またタイムアウトの手続き、注意点も詳しく書かれています。
さて「嫌悪刺激(嫌なこと)の提示」です。
嫌悪刺激には
無条件嫌悪刺激「叩くなど、痛みとかで誰でも嫌なはず(はずなんだけど・・・いろいろこじれてしまってる人はいます)の刺激」
と
条件性嫌悪刺激「大声や身振りなど(私が今まで「威嚇」と書いてきたことにあたりますが、これは条件性やったんや。)叩くなどと一緒に使って大声と痛みが結びついたり、心理的社会的な苦痛を与えるものであったりする刺激」
に分けられます。そしてまた注意点が細かく述べられています。で
「確かに、嫌悪刺激は、もし安全対策が施されていれば、自傷行為のようなものには用いるべきかもしれません。しかし、クラス管理のような日常的な手続きとしては使用すべきではないのです」
ここの原文はどうなっているのかわかりませんが、「自傷行為には使え」と書いているのではないことに注意して下さい。もう、万々一、あの手この手をさぐっても、どうしようもなくなって本人にとんでもなく被害が出そうだ、という時のことだと思います。そして「日常的な手続きとしては使用すべきではない」と。
クラスナーって人の論文で嫌悪刺激について「有効性」と「受容性」に大きな違いがあることを指摘した、とあります。これは「ほんまにどれだけ役にたったか」と「まあつこてもしゃあないなあ、と周囲が考える」ことの間の差っていう意味みたい。
KRASNER.I 1976 Behavioral modification: Ethical issues and future trends. In H.Leitenberg (Ed.) Handbook of behavior modification and behavior therapy,pp 627-649. Englewood Cliffs,N.J Prentice Hall
う〜〜ん、内容はわからんなあ。
で、第7章の最後に「嫌悪刺激を用いる上での問題点」が書かれています。どれだけ児童・生徒の「困った行動」に結びつくかが書かれています。残念ながらその記述の元になるデータがどこにあるかは書かれていませんが。
これを読んで思ったこと、ちゃんとした人はちゃんとしたことを書いている。それは応用行動分析(PECSはこの中に入れてもいいでしょう)でもTEACCHでも。どう使ったらいいか、どう使ってはいけないか。でもそれがわからずに表面的にとらえちゃう人がいるんだよなあ。で、それは「見えるコム」とか「おめめどうメソッド」とか言われるものでも同じ。もちろんハルヤンネさんは口を酸っぱくして大事なところを伝えている。syunさんは「口を酸っぱくして」てイメージじゃなく「ひとこと」言って、「後はあんた次第や」みたいな感じかな。でもそれを表面的にとらえて誤用したらまずいのは同じことやろなあ。
この「はじめての応用行動分析」は特別支援教育に限らず、教職課程の学生が「常識としての応用行動分析」を学ぶために大学で1コマ1年の授業で学ぶべきもんでしょうね。
でも現職教員は・・・また保護者は・・・まずこの本のでかさぶっとさの前に回れ右してしまうかもしれません。
また、実は私にはこの本に苦い思い出があります。
ある学校で、校長がこの本を手に入れました。でちょっと読んで(ちゃんと読んだとは思えない)「ええこと書いてある。こういうふうにやれ」と私に指示しました。それまでまあ校長には「こういう意図で」「こうやって」「こうなりました」は短く伝えていたんだけどね。で、その流れはぶった切ってね。
まあねえこの校長の私への語録
「あれは虐待やない。しつけや」
「(ある自閉症の子について)朝礼でみんなの中でピシッと並ぶことにあの子は喜びを見出しているのだ。なぜさせないのだ」
「(他校の特別支援学級教師が自閉症のお子さんとのやりとりに困っていました。私がアドバイスしてかなり改善。また私の作ったタイマー(kingstoneの署名入り)も使用。そしたらそこの校長が「しつけがなってない」と怒り、また署名入りタイマーを見つけ、私の学校の校長に『こんなもん使ってたぞ!(なんちゅう非人間的なやつや、というニュアンスで)』と連絡してきた。で)『お前あんなもん渡したやろ!(もちろんなんちゅう非人間的なやつや、というニュアンスで)』」
「お前の考えている障害児教育が間違っている」
いやはや、もちろんみなさん意見が違って当たり前、そこを擦り合わせるのが醍醐味と思っていますが・・・
ってわけで、この本にはあまりいい印象を持っていませんでした。でもいい本です。
あっ、それから現場教師と校長に意見の対立があった場合、私の体験では教育委員会は「校長が正しくて、現場教師が間違っている」と判断することがほとんどでした。教育委員会、しっかり勉強してや。