妻(ピアノ講師)の持っていた本。
すごいです。もう最強のストリートファイター認定です。そこらへんの「専門家」はぶっとばされます。
障害のあるお子さんにピアノを教えてこられて様々な工夫をしてこられています。ただストリートファイターなので自分で工夫した太刀筋をうまく言語化できていらっしゃらない部分もありそうなので私も引用しつつ解説してみたいと思います。(って、私も系統的に学んだことなんかなくストリートファイターだったのだけど)
はじめに
「10年前の私は自分が教えたいように指導していただけ。ただただ与えようとしていただけ。しかし、発達障害の方にピアノを指導しようと思ったら、相手を知ろうと思わない限り何も始まりません。教えなければならないことを教えたいように指導するだけでは通用Lないのです。そしてそれは、障害のあるなしにかかわらず、すべての生徒さんに共通することなのだと気づかされました。生徒さん自身を理解しない限り、その生徒さんに響くアプローチを導き出すことはできないのですから。打てば響く。これは先生がどれくらい生徒さんを理解しているか次第なのかもしれません。」
そうっすね。障害に関わりません。
「「できないことは教えない」これは私の指導の原点ですが、あきらめることとは違います。できることを見出していくという“視点”がそこにはあるからです。どうか「できないから教えない」と最初からあきめてしまわないでください。そのできないことを10分の1にすれば、「できること」になるのですから。」
これは説明が必要そうです。中嶋さんのやって来られたことは「1/10にしました」みたいなことでは無いですね。もっとものすごく細かい。また「そうでない子には音声言語で説明する」ところを「見てわかるように説明する」という質的転換もされておられますから。
保護者向けに書かれた部分。
「発達障害児と接したことがないというピアノ講師が、障害を全く理解していないような言動や行動をとったとき、「この先生は理解がない」と頭ごなしに思わずに、どうぞ「発達障害について何も知らないことで理解がないように見えるのだ」と思ってください。もちろん、いくらアプローチしても知ろうとしない人の場合は別です。でも、「知らないことで理解のない言動や行動が見られる」を見落としている場合も多々あると思うのです。そんなときは遠慮せずに、理解を得るべくお子さんの個性について先生にお話ください。先生の声か
けやお子さんへの対応が不器用に思えたら、「こういうときはこんな風に声をかければ、うちの子は理解できます」と教えてあげてください。」
これは「教師」や「特別支援教育担当教師」にしても同じことですね。(「特別支援教育担当教師」が入ってちゃいかんのだけど・・・)で、「こんな風に声をかければ」じゃない場合もあります。当然。声をかけてもわからない場合がありますから。
序章 教室に発達障害の子がやってきた
「「うちの子、発達障害児なのですがレッスンしていただけないでしょうか?」
突然こんな電話がかかってきたら、あなたならどうしますか?「発達障害に関する知識なんてないから」とやんわりお断りしますか? それとも「せっかくの出会いだから大切にしたい」と受け入れますか? 私は後者でした。発達障害に関する知識は全くありませんでしたが、だからといって障害を理由に断るのは嫌だったのです。
「私はピアノ指導に関してはプロですが、発達障害に関しては全くの素人です。だから、お母さまにいろいろとお伺いしながらレッスンしていくことになると思うのですが、それでも構わないですか?」
障害に関してはお母さまの方がプロ。わからないこともお母さまに相談しながらやっていけば、きっとなんとかなる! お母さまを頼りに私なりのレッスンをしていこう!」
まあ「プロ」っていうのは変だけど、「一番良く知ってる」と思って学んでいけたら、という姿勢ではありたいです。(もちろんいろんな場合がありますが)
「お月謝をいただいている以上、レッスンらしいレッスンがしたい」
グループレッスンをし始めて数ヶ月。このままでいいのだろうか?という悩みが頭をもたげてきました。私はどういうスタンスで発達障害の子にレッスンをしたいのだろう? 音楽療法的なピアノ指導? いやいや、私は医者ではないし療法としてピアノ指導をしたいわけじゃない。私が今、グループレッスンでしてるリトミック的なことは、学校の音楽の授業と一体何か違うのか? 果たしてこんなレッスンでお月謝をもらっていいのだろうか?」
ここらへん、迷うとこですよね。また最近「◯◯療法」とか名前をつけるのが多すぎる。そりゃたいてい人が続けているものにはいい効果はあるんですが・・・乗馬とか園芸とか音楽とか・・・もうそのまま「楽しむもの」であっていいと思いますが。
「「レッスンらしいレッスンとは、目的がはっきりしているということ」
目的をはっきりと言葉にできた瞬間、有機的なレッスンが生まれます。「レッスンしている!」という実感が、充実感が得られるのです。しかし、重度の知的障害児を含むグループレッスンでは、目的が多すぎるのは混乱を招くだけです。私がグループレッスンで設けていた目標はこれだけでした。
・拍子を感じられる
・様々なリズムを体験する
・歌や楽器で強弱がつけられる(音楽表現への第一歩)」
ちょっと違うかもしれませんが、先日もずらいとさんがコメントで「(自閉症児託児活動)「れもん」の活動がうまくいったのは、実際見ていないから憶測ですが、文章を読む限り「限定的で・・・」」と書いて下さっていますが、これはボランティアさんにとっても、参加児童にとってもいかに「限定できるか」を考えたからだと思っています。「これだけ」ってやつです。最初は混沌の海に放り出しては行けないような気がします。例えゆくゆくはその海を泳げるようにするのであっても。
第1章 その子の個性を知ろう
自閉症スペクトラムの子
著者がここで、自閉症の世界がわかりやすい、としてあげられているのが次の2冊。
この本はピアノ講師さん向けと思われますから妥当なところじゃないでしょうか。あんまりむつかしい本を読む必要は無いと思いますし。もちろん私としてはできれば「自閉症・発達障害の人への支援(伝える・尋ねる)」とかも読んで頂きたいところではありますが。315円だし・・・

(1)具体的に伝える
「自閉症の生徒さんは、漠然とした声かけや説明がとても苦手です。こちらが伝えたいと思うことを長々と説明しても伝わりにくいことが多く、伝えたいことは短い言葉で端的に話す必要があります。生徒さんによっては”ですます調”で話すほうが伝わりやすいこともあるほどで、自身が“ですます調”で話す生徒さんもいます。ここでぱ具体的”がどの程度のことをいうのか、どういう指導が具体的な指導といえるのかについてお話しようと思います。」
つねに「丁寧語」なお子さん、いますね。まあそれはそれでいいのじゃないかと思います。
「1.家での練習方法を伝える
「家で練習してきてね」という一言。なんと漠然とした言葉でしょう。“練習する”ということが具体的に何を指しているのかわからない生徒さんは、家でピアノの前に座ったものの何をしたらよいのかさっぱりわからない、ということになりかねません。私はレッスンノートを毎回のレッスンで使用しています。そしてそこに、それぞれの楽曲の練習方法を具体的に書くようにしています。
(kingstone注・本の中では「表」になっています)
おやまのがくたい
かしでうたう 2かい
ドレミでうたう 2かい
□だけひく(ぶぶんれんしゅう)4かい
ぜんぶひく 2かい」
具体的、かつ目でみてわかるようにしてはるわけですね。
「また、自閉症のお子さんは、自分の思いを人に伝えるのが苦手なため、指導者側からの一方的なレッスンになりがちですが、練習する回数など本人に選択させることで、その子の自発性を促すことができます。このときの声かけも「何回練習する?」というのは漠然としすぎていて、わかりづらいものです。「練習の回数は何回にしたい? 3回、4回、5回から選んでくれる?」と具体的な選択肢を示せば、自発的に意見を言ってくれます。そしてそれは、「自分の意見を聞いてくれた。自分の意見が言えた」と、自分の思いを言葉にするのが苦手な自閉症の子に、やる気と喜びをもたらしてくれるように感じます。」
選択肢を示して選択してもらう!!もうすごいです。
「 2.レッスンの見通しが立つ
具体的ということは、見通しが立つということでもあります。自閉症の生徒さんは見通しの立たないことがとても苦手です。これは(3)でお話する新しいことへの不安にも通じることですが、ここではレッスンの枠組みである“時間”と“レッスン内容”に、具体的な見通しが必要な生徒さんについてお話しようと思います。
時計ばかり気にして、レッスンに集中してくれない子に出会うことがあります。これぱレッスンが何時に終わるのががわからなくて、気持ちの落ち着きどころがなくなるからです。つまらないから終わりの時間が気になるわけではなく、物事がいつ始まりいつ終わるのかがわからないから不安になるのです。これがはっきりしないといつまでたってもレッスンに集中することができません。そんなとき私は、レッスンを始める前に次のような一言を添えています。
「○○くんのレッスンは、○時から○時までです。○時になったらレッスンは終わりです。」
「この時計の針が数字の○のところまできたら、レッスンは終わりです。」」
まったくその通りですね。しかしもう一歩踏み込んで書いて目の前に置いておいてあげたいところ。

この後に、何度も何度も「◯時までだよね?」と聞いてくる子の例が出てきますが、それも無くしたり減らしたりできるんじゃないかな。
またレッスンの順番も
「1.2つのお山を探す(2つの黒鍵のこと)
2.鍵盤図で「ドレミ」を探す
3.ピアノで「ドレミ」を探す
4.3つのお山を探す(3つの黒鍵のこと)
5.鍵盤図で「ファソラシ」を探す
6.ピアノで「ファソラシ」を探す
7.「アイアイ」を歌う
8.「アイアイ」をタンブリンで叩く」
などと見てわかるように示してあげるのですが、
「あるとき、この順番を示してもなかなか集中してくれない生徒さんがいました。レッスンに見通しを持たせるためのアプローチはこの子に必要ないのかな? と思ってはみたものの、どうやらそうではないようです。そこでこんな提案をすることにしました。
「自分でレッスンの順番を決めよう!」
レッスン内容の書かれたカードをレッスン開始時に渡し、やりたい順番にカードを並べてもらうことにしたのです。このことで、それまで以上に生き生きとした表情を見せてくれるようになり、しかも集中してレッスンを受けてくれるようになりました。
こういう経験をすると、生徒さんの意見を聞き出し、生徒さんの自発性を促すことがいかに大切かを実感させられます。特に自閉症のお子さんは自分の思いを言葉にするのが苦手なので、「何を考え、何を求めているのか?」を知るための働きかけは、とても大切なことのように思えます。今、この生徒さんはカードを使わずにレッスンしています。レッスンノートの順番だけで、十分落ち着いてレッスンできるからです。」
手順書(スケジュールと言ってもいいし、ここは移動を伴わないのでワークシステムと言ってもいい)を自分で決め、やっていくわけです。時々「スケジュールは本人にさわらせない」と言われる方もいらっしゃいますが、そんなことはないのです。で、最後のところも大事ですね。「不登校対策に関して ある地域の公開情報から」の不登校の子への支援をする時に「工夫することを徐々に減らしていくことが目標→スモールステップで!!」という記述がありますが、確かに支援方法は変わっているのだけど、無くしたわけじゃないんです。ここ大事。すぐに「無くそう」なんて思わなくていい。必要なくなればたぶん本人さんが何らかの形で教えてくれますから。
「3.発表会のための練習を説明する
ある年の発表会で、自閉症の子同士で連弾をしてもらったことがありました。連弾レッスンのとき、私は2人きりにする機会を必ず設けるようにしています。そこで、この子たちも2人きりで練習してもらうことにしたのですが、何度弾いても最後の数小節が合いません。プリモの子のテンポが遅れてしまうのです。とうとうレッスン終了3分前のこと、セコンドの子が「今のは完璧でした! 完璧に合いました! 先生を呼ぼう!」と満足そうに声をあげました。プリモの子も「うん! 完璧だった! 完璧に合ったね!」と嬉しそうに応え、その後達成感に満ち溢れた2人は揚々と帰っていったのでした。
ところがところが、その後プリモの子が「ボクはもう完璧に弾けたから練習しない」と、家で全く練習しなくなったというではありませんか。思わず納得してしまう言い分です。だって弾けるようになったのですから! しかし、このままでは本番までに忘れて、弾けなくなってしまいます。そこで、次のレッスンのとき、このような説明をすることにしました。
「○日に、この曲を発表会で弾きます。 どんなに弾けるようになった曲で習します。これから○日までは、弾けるようになるための練習ではなく、忘れないための練習です。レッスンも忘れないためにレッスンします。」
具体的な説明を受け、それに対し納得できないと前へ進めない自閉症の生徒さんですが、納得すれば素直に受け止めてくれるのです。何のための練習なのかを理解し納得してくれたその生徒さんは、その後、お家で「先生と約束したから練習する」と毎日弾いてくれていたとのこと。忘れて弾けなくなっていた箇所もすぐ思い出してくれ、本番は素敵な演奏を聴かせてくれました。」
もうここを読んで爆笑しました。目に浮かびます。しかし笑っていられないんですよね。ここに「運動会」や「音楽会」の練習で自閉症のお子さんがパニックを起こしたり、家で荒れたりする原因が現れていると思います。
なお妻によると自閉症じゃない子にとってもこれを伝えてあげるのは大切なんじゃないか、ということでした。(その場合は音声言語でいいでしょうが)
「4.音量を数値化する
ある生徒さんが、自分からフォルテ・メゾフォルテなどといった言葉を「レベル○」という言葉に置き換えてくれたことがありました。音量の幅をレベル1〜レベル5まで数値化したのです。「やや大きい」とか「やや小さい」などといった捉えどころのない言葉で説明していたものが、一気に具体的なものに様変わり! このことで、より一層音楽的な表現を求めることができるようになりました。
実はこの音量の数値化、ある程度演奏力のある生徒さんにも(それこそベートーヴェンのソナタを弾くような生徒さんでも!!)使えることがあります。」
で「レベル」という言葉もわかりやすそうだ、と。これはゲームからでしょうね。また数値化・見える化もいいことだと思います。
(2)視覚的に訴える
「具体的」ときて「視覚的」と来ました。
「2.音の長さを視覚化する」
ところで、視覚化できる音は音量だけではありません。音の長さも視覚化することで具体的に伝えることができます。2分音符や4分音符の違いは感覚で覚えられるものですが、これがスタカートとなるとそうはいきません。もともとテクニック的にもスタカートの違い動き(鍵盤からすばやく指が離れるという意昧での速さ)は、発達障害のお子さんにとって非常に難しいものですが、それ以前にどのように意識したらスタカートになるのかがわからない場合があるのです。そういうとき、私はこの視覚化でアプローチすることにしています。

「3.レッスンそのものを視覚で説明する
この視覚的なアプローチは、音以外の説明についても使うことがあります。習い始めの生徒さんは、“ピアノのレッスン”がどういうことなのかがわかっていません。わからないということは不安になるということ。そのため、集中力がもたず落ち着きがなくなります。“ピアノのレッスン”を具体的に言葉で伝えるのはとても難しいことですが、他の人のレッスンを見てもらうことで視覚的に具体化することができます。他の人の“ピアノを弾いている姿”“ピアノを練習している姿”を客観的に見ることによって、ピアノのレッスンが具体的なものとなり珊解か深まるのです。さらに理解が深まるのは発表会での経験です。
ある自閉症の女の子。レッスン中はすぐにイヤイヤ虫が現れて、なかなかレッスンが進みません。ところが発表会後に様変わり! 発表会では一緒のグループになった同じ年頃の女の子たち(定型発達見も含む)と意気投合したのですが、この新しいお友達からの刺激がこの子を飛躍させてくれました。レッスンヘの集中力が別人のように高まり、イヤイヤ虫も滅多に現れなくなりました。いつも丸くなっていた背中も、「みんな背中がまっすぐだったでしょう?」という声かけに反応し、あっという間にまっすぐな背中で弾けるようになりました。手の形や表現への注意にもイライラ虫が現れにくくなり、とても素直に前向きに取り組んでくれるようになりました。」
これは視覚的ということもあるし、「いいモデルができた」ということでもありますね。また見られる喜び(これのある人も多いと思います)を知った、ということでもあるだろうし。
「(3)新しいことへの不安を取り除く」
いろいろな場合が出てきます。しかし・・・ひとつ思ったのは、中嶋さんがこれだけピアノ教室で一生懸命やっておられるのですが、おうちや学校でスケジュールやその他の視覚支援がなされていないっぽい感じはします。少しだけ「レッスンに来て寝転ぶ」「パニックになる」お子さんの例が出てきますが、日常生活の環境調整がなされてないんじゃないかなあ・・・と推測できてしまいます。
「2.無理のない新しい要素の取り入れ方
私は新しい曲の最初のレッスンを“聴””歌う”に限定しています。予習はさせません。一緒に曲を味わうこと、それが最初のレッスンです。新しいものへの不安感が特に強い生徒さんには、”歌う”は後回しにしで聴くだけのアブローチに留めることもあります。「先生が歌うのを聴いてください(もしくは、「聴きます」)」と言い、何も求めずにただ聴いてもらうのです。」
そして
「このほか、新しい曲をレッスンしていく上で“鍵盤把握系”“読譜系”“指の運動系””指番号””楽曲”と系統づけをし、順番もある程度決
まっているとよいようです。系統が同じであれば、具体的な内容が少しくらい変化しても、新しいものに変わったと思わずに済むからです。私は、導入期の生徒さんのレッスン開始を「鍵盤図とおはじき」(鍵盤把握)にすることが多くあります。この「おはじき」による鍵盤把握は、第5段階まで新しい要素を加えてレッスンするのですが、全体の流れを一定にしているお陰で、新しい要素による不安を招くことはほとんどありません。」
「変えることは一つだけ」の原則ですね。で、上だけでも中嶋さんが5分類の5段階でここですら25に分けて考えているのがわかります。1/10って話じゃないわけです。
「3.発表会の準備」
では
1.会場下見
2.おじぎ→弾く→おじぎ をレッスンノートに書いて見せて練習
3.スケジュールを文字にして知らせる
4.発表会DVDを事前に見る
などをしてはります。
「上がった曲」の練習をやめることができないお子さんに。
「「弾けるようになった曲は卒業するか、レパートリーにします。」
次に、レパートリーという言葉について説明します。
「レパートリーは、レッスンしなくても弾ける曲のことです。好きな曲をレパートリーにします。レパートリーの曲は、ピアノで遊びたいと思ったときに弾きます。」
そして念押し。
「レッスンでは、弾けない曲をやります。」
私が使っているレッスンノートには、一番後ろのページに「Myレパートリー」というコーナーがあり、レパートリーになった楽曲を書くスペースがあります。このページを見せながらこのようなレパートリーについての説明をするのです。そして、楽曲が終了するたびに、
「この曲はレパートリーにして、ピアノで遊ぶときに弾きますか? それとも、もう弾きませんか?」
と聞きます。レパートリーになった曲は、たまにレッスンで聴かせてもらいます。レッスンが始まる前に、このように話しかけるのです。
「レッスンする前に、○○ちゃんのレパートリーを聴かせてくれない? 先生、お客さんになって○○ちゃんの演奏が聴きたいな。」
レパートリーの欄を見せて、どれでもこのレパートリーの中から好きな曲を1曲選んで先生に聴かせて、と選んでもらうのです。みんな嬉々としておじぎをし、レパートリーを聴かせてくれます。おじぎをして拍手をもらって、「すごいね〜!」と褒めてもらう。嬉しくてたまらない瞬間です。演奏に気になる点があったとしても注意はせず、たくさん褒めてあげます。」
見えるようにし、かつ納得できるようにするいい方法ですね。
「ところで、おうむ返しに相手の言ったことを繰り返す生徒さんの場合、こちらが「好きですか?」と聞くと「好きです」と答え、「好きじやないですか?」と聞けば「好きじやないです」と答えてしまう可能性があります。そのためそういった生徒さんの場合、丸をあげた楽曲すべてをレパートリーに入れています。
「弾けるようになった曲は、レパートリーにします。」
そして、レッスンの最初に「この中からI曲弾いてください」とレパートリーの書かれたノートを見せながら選んでもらい、弾いてもらいます。弾きたい曲を選ぶことになるので、弾きたくない曲は自然淘汰されていきます。(逆に、曲に執着心の全くない子がいます。その場合、レパートリーは苦痛になるだけのようです。弾かなくなった曲はすぐに忘れてしまうため、忘れないように弾き続けなければ、という義務感だけが残るからです。)」
この「おうむ返し」の部分はおしいなあ。書いて尋ねればちゃんと答えてくれる場合も多いです。最初は「すき」「きらい」の二択から始めればいいだろうし、選ぶことができるようになったら3択・4択としていけばいいだろうし。おめめどうの「えらぶメモ」だったら

睡眠障害がひどくて、レッスン時刻になっても来ることができないお子さんの保護者へ「お休み」を勧めるところ。
「私の教室に通ってくる生徒さんの親御さんたちは、“音楽のある生活はこの子の人生を豊かにしてくれるだろう”と教室へいらっしやいます。私は趣味としてピアノを楽しむには、それぞれの時期に応じたピアノヘの向き合い方があると思っています。毎日毎日コンスタントに練習をするというのではなく、それぞれの時期に応じたピアノヘの向かい方があるはず。学校行事で精神的な疲労が重なっているのであれば、ピアノは息抜きです。ゆすって起きないのであれば、今その子にとって必要なのは休息であり、ピアノを弾くことではありません。お母さま方とのコミュニケーションを密にし、常にその子のことを知ろうと思い続けること。それが楽しく上達していくための秘訣なのではないでしょうか。」
ほんと大事なのは「レッスン」じゃないんですよね。本人の生活が豊かになること。楽しめること。成長。これは学校だって同じはず。
で、確かユング派で箱庭療法(砂遊び療法)を発展させた、スイス人のドラ・カルフさんて、もともとピアノ教師じゃなかったかな。で、生徒さんがなぜかとても成長するというかそういう人だったと思いますが。
「こういうとき、私はレッスンのルールをノートに書いて読んでもらうようにしています。
「けんばんにはあしをのせません」
「レッスン中には立ちません」
「けんばんにすわりません」」
惜しい!!
「レッスン中には立ちません」については、中嶋さんも他のところで「座り続けることがむつかしい時は立って動けるように」とリトミックみたいな活動を入れたりしておられます。で、場合によっては「立って弾く」もありかなあ、とは思いますが、上記のルールの場合、「してはいけない」ことにのみ注目してはるのがめちゃくちゃ惜しい!「おっぱいを想像しないで下さい」はめちゃむつかしいのです。「やっていいこと」を示さないと。で、そういう時のためにおめめどうの「◯×メモ」はあります。

あと「怖い顔で叱るのがいいこともある」みたいなことを書いてはるところもありますが、実はそれは「笑顔のように情報量が多くなく」「多弁でなく短い言葉で」というのがわかりやすいだけかもしれません。
それとある箇所に「自閉症の方がみんな視覚優位とは限りません」と書いてはります。そうかもしれない。視覚優位でない自閉症の方もいるかもしれない。しかし私は会ったことはありません。「視覚優位じゃない」と言われている自閉症の方には会ったことはあります。しかしそれは「好きでもないこと」「やりたくもないこと」をやらせようとして見せてる場合で、本当に好きな写真などは選べてました。それこそ医学的に盲の方だってこんなことがあるのです。「久里浜日記1993年 6月5日〜6月7日」の6月7日、松木健一先生の講義をご覧下さい。
もちろん自傷で目をつぶしちゃってる方も視覚優位だ、なんて言う気はさらさらありません。
ふう〜〜、もっともっといろいろと引用したいいいところ、また少し解説が必要そうなところがあるのですが、このあたりで終わります。もうほんと、ピアノレッスン実践上も、その他でもいろんな知恵の宝庫です。関連したホームページはこちらにありますね。
ひまわりの丘