「道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ」
Twitterでたぶん誰かの格言を紹介して下さったもの。
これは山のクラブで山を歩いていた者として具体的実感としてあります。
「あそこに行けばいい」とわかっていて、しかし道が無くなってしまう(わからなくなる)ことがあります。道を探すこともありますが、しかたないので道のない藪の中を突っ切ることもあります。「藪漕ぎ」と言います。これは道を歩くよりどれだけ時間がかかり体力を消耗することか。まあ、何か楽しいので結構好きだったりしましたが。
あと、道が無くなって岩をよじ登るって場合もある。
道があるのは、どんな小径でもものすごく楽で早いです。
で、肢体不自由特別支援学校でのコミュニケーション支援。これは道(先行事例)が無いわけではなかった。しかし、その情報は学校内に届いておらず、私は日本中の道を知っている人に尋ねまくって、地元に道を作って行ったわけです。で、この時も「パソコン使うな」「機械に頼るな」「そんなことより訓練が大事やろ」と反対されながら。
知的障害特別支援学校では上のことにプラスしてTEACCH。これまた周囲には道(先行事例)を知る人はいなかった。(私の周囲ではね)で、やっぱり日本中の道を知っている人に尋ね回ったわけですが。これまた「あんなことをするやつあ人間じゃない」みたいな言われ方をしながら。
どっちの場合も「普通の人が通る人通りの多い道」だけど「ある人々にはごっついしんどい道」をみんなが通れと言うのを、横に狭いけれど、すごく楽に通れる道を見つけて通れるようにして来た、そんな感じかな。
しかし、今、道はほんまにできたんやろか?
それから、あと、不思議なことがあってね。
例えば8000m峰にしても、ロッククライミングの岩場にしても。本当に誰も登れない時は難攻不落なんだよね。ところが、誰かが登った、とわかると別に詳しい地図とかルート図ができたとかじゃなくても、あら不思議、どんどん続く人が出て来れる。まあそれだけパイオニアはすごい、という話でもあるし、できるとわかればできる、という話でもある。
posted by kingstone at 14:10|
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