私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年03月14日

震災とインターネット―「神戸からの提言」 田中克己編著

 今回の3月11日(金)に起こった地震で、東北4県の特別支援学校のホームページは見ることができなくなりました。それが、13日(日)の昼には少なくとも青森は見ることができるようになり、(この段階では私は岩手は確認せず)13日(夜)には岩手も見ることができました。そして今日14日(月)夜には福島のホームページは見ることができるようになっています。

 それぞれ、県のサーバがダメージを受けたか、通信量が増大して落ちてしまっていたと考えられます。その中で施設関連、回線関連の業者の方の奮闘があったものと想像されます。

 1996年12月27日に出版された「震災とインターネット―「神戸からの提言」」 これは当時神戸大学教授だった田中克己氏の編著です。



 この中の「地震発生時の通信システム」から引用します。書いておられるのは当時NTT神戸支店通信システム営業部のアカウントマネージャー(AM)をしておられた高橋雅也氏。氏は地震発生直後に神戸大学(当時の神戸のインターネットの基幹を支えていた)に入り奮闘されます。

通信スピードをわずか1日で8倍に
 そうこうしているうちに、NTT神戸支店の災害対策本部より「神戸大学と神戸市外国語大学間のトラフィックがオーバーしている。急速バージョンアとフするので対応せよ」との指令が入り、192Kbpsから1.5Mbpsヘバージョンアツブした。一挙に8倍のスピードである。このようなスピードアップ作業は、通常の手続きを踏むと1〜2カ月はかかる。このときばかりは関連部署すべてが積極的に協力しあい、即日処理できた。当然、連絡は電話のみですませ、書類(オーダーシート)などは一つも存在していない。私は普段、自分の会社を自慢することはほとんどない。また、ネットワーク上の情報に感銘したこともあまりない。しかし、このときばかりはある種の感動を強く受けた。」

 本当なら1〜2カ月かかる手続きをすっとばしちゃったわけですね。もちろん平時は「安全」「情報を後で見返すことができる」とか様々な理由で手続きが組まれているのでしょうが、おそらく上司のみなさんも、中井久夫さんの言われる「おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。」を実行しはったのだと思います。

 何か紹介したくなりました。

 たぶん、現在、被災した各地で、電気・ガス・水・通信などそれぞれの場で奮闘してはる方がたくさんおられると思います。自衛隊にしても原発関係者にしても。こないだも紹介した映像ですが、「「15才の君へ」篇【60秒】(関西電力株式会社)CM」

 復興できます。



・・・しかし、当時は大きくして1.5Mだったのですね・・・



福島県の学校ホームページを見ることができるようになった

 東北4県の特別支援学校のうち、福島県のホームページが見えるようになりました。
 青森・岩手のものは昨夜ほとんど見ることができるようになってます。
 宮城はまだです。
 3月14日21時段階です。

 なお、不要不急の連絡はしないようにして下さい。

青森県
  国立特別支援学校
      弘前大学教育学部附属特別支援学校(知)
  県立養護学校
    青森市
      青森県立青森第一養護学校(肢)
      青森県立青森第二養護学校(知)
      青森県立青森若葉養護学校(病) 
      青森県立青森第一高等養護学校(併)
      青森県立青森第二高等養護学校(知軽)
      青森県立浪岡養護学校(病)
    弘前市
      青森県立弘前第一養護学校(知) 
      青森県立弘前第二養護学校(肢)
    八戸市
      青森県立八戸第一養護学校(肢)
      青森県立八戸第二養護学校(知?)
    黒石市
      青森県立黒石養護学校(知)
    むつ市
      青森県立むつ養護学校(知)
    つがる市
      青森県立森田養護学校(知)
    七戸町
      青森県立七戸養護学校(知)
  盲学校
    青森市
      青森県立盲学校
    八戸市
      青森県立八戸盲学校
  ろう学校
    青森市
      青森県立青森聾学校
    弘前市
      青森県立弘前聾学校
    八戸市
      青森県立八戸聾学校



岩手県
  国立特別支援学校
      岩手大学教育学部附属特別支援学校
  県立特別支援学校
    盛岡市
      岩手県立盛岡となん支援学校
      岩手県立盛岡青松支援学校
      岩手県立盛岡峰南高等支援学校
      岩手県立盛岡聴覚支援学校
    釜石市
      岩手県立釜石祥雲支援学校
    花巻市
      岩手県立花巻清風支援学校
    宮古市
      岩手県立宮古恵風支援学校
    久慈市
      岩手県立久慈拓陽支援学校
    大船渡市
      岩手県立気仙光陵支援学校
    一関市
      岩手県立一関清明支援学校
    奥州市
      岩手県立前沢明峰支援学校
    滝沢村
      岩手県立盛岡みたけ支援学校
    一戸町
      岩手県立盛岡みたけ支援学校奥中山校
  私立特別支援学校
    一戸町
      三愛学舎養護学校

宮城県
  国立特別支援学校
      宮城教育大学附属特別支援学校
  宮城県立特別支援学校
    仙台市
      宮城県立視覚支援学校
      宮城県立聴覚支援学校
      宮城県立聴覚支援学校小牛田校(美里町)
      宮城県立拓桃支援学校
      宮城県立西多賀支援学校
      宮城県立光明支援学校
    気仙沼市
      宮城県立気仙沼支援学校
    石巻市
      宮城県立石巻支援学校
    登米市
      宮城県立迫支援学校
    栗原市
      宮城県立金成支援学校
    角田市
      宮城県立角田支援学校
      宮城県立角田支援学校白石校(白石市)
    名取市
      宮城県立名取支援学校
    岩沼市
      宮城県立支援学校岩沼高等学園
    大崎市
      宮城県立古川支援学校
    柴田町
      宮城県立船岡支援学校
    山元町
      宮城県立山元支援学校
    利府町
      宮城県立利府支援学校
    美里町
      宮城県立支援学校小牛田高等学園
  仙台市立特別支援学校
      仙台市立鶴谷特別支援学校
  私立特別支援学校
    仙台市
      いずみ養護学校


福島県
  国立特別支援学校
      福島大学附属特別支援学校
  福島県立養護学校
    福島市
      福島県立大笹生養護学校
    会津若松市
      福島県立会津養護学校
      福島県立会津養護学校竹田分校
    郡山市
      福島県立郡山養護学校
      福島県立あぶくま養護学校
      福島県立あぶくま養護学校安積分校
    いわき市
      福島県立平養護学校
      福島県立いわき養護学校
    須賀川市
      福島県立須賀川養護学校
      福島県立須賀川養護学校医大分校(福島市)
      福島県立須賀川養護学校郡山分校(郡山市)
    猪苗代町
      福島県立猪苗代養護学校
    西郷村
      福島県立西郷養護学校
    石川町
      福島県立石川養護学校
    富岡町
      福島県立富岡養護学校
  盲学校
    福島市
      福島県立盲学校
  ろう学校
    郡山市
      福島県立聾学校
      福島県立聾学校福島分校(福島市)
      福島県立聾学校会津分校(会津若松市)
      福島県立聾学校平分校(いわき市)
  市立養護学校
    福島市
      福島市立福島養護学校 ホームページは無いみたい
    相馬市
      相馬市立養護学校 ホームページは無いみたい

勝手に紙オムツプロジェクト10 公平な支援と不公平な支援

 私の「勝手に紙オムツプロジェクト」は意図は良いのですが、非常に計画性に乏しいです。

 また現在、「物資は県へ」「とりあえず物資は送るな」というような指示が出ています。これは収拾がつかなくなるからですね。現時点ではまず「救命」「被害の確定」が一番ということになると思います。ただ、それでもテレビに出ていたどこかの市(たぶん小さな市)の担当者は「送って頂けるのはありがたい」とおっしゃってました。そこには倉庫があり、次々物資が運ばれて来ていました。管理する人がおり、場所があればすごくありがたいのですよね。

 公的な支援(行政とかのもの、中央集権的なもの、公平なもの)とものすごくプライベートな支援(私的なもの、個別バラバラのもの、不公平なもの)について書きたくなりました。

 その前に私の1995年の阪神・淡路大震災時のことを振り返ってみよう、と私のブログの「阪神・淡路大震災」のカテゴリを読みなおしてみました。

 まず、1月17日に被災します。
 そして、その日から3日間ほどかけて教師は電話で児童・生徒・保護者の安否確認をしました。実は保護者は初日の段階で相互にバイクで走って行くなどして安否確認をしておられました。

 その後、教師は全員で家庭訪問をし始めるのですが、これは翌週になったと思います。教師も被災しているのでマンパワーが割けなかったのです。被災した週の週末に教頭が全職員に電話して全員による職員会議を告げた(つまり出勤できていなかった教師がたくさんいた)のですが、たまたま私がその前日に風邪をひき、熱が出ていたので「休ませて下さい」と言ったら激怒されました。たぶん私にかける以前に多くの教師から出勤を渋る返事を聞かされていて頭に来ていたのだと思います。

 しかし、実のところ、周囲の状況を考えると、職員全員集合・全体会議・家庭訪問はもっと早くても良かったと思います。(もちろん出て来れない職員はいたとしても)実際に現場に行き、会ってみないことにはわからないことがいっぱいありますから。

 1月23日に家庭訪問に行き、帰って来た私は「オムツが足りなくなりそうだ」という話を聞き、校長(?教頭のような気もするが・・・)に許可を取った上で教頭の机の上の電話機からモジュラージャックを引きぬき、私のノートパソコンの外付けモデムに挿し込み、現場から「オムツが欲しい」と発信します。ちょうど被災1週間目ですね。

震災 1995年1月23日

 で、1月24日にはえらいことになって(教室1つが満杯になった)中止宣言を出します。たった1日です。それで、私の学校だけでなく、近隣の学校や施設に配布することができました。しかし量のコントロールは難しいと痛感しました。

 家庭訪問をしだして、他の物資も足りないものがいろいろあることがわかります。それで私の学校では私だけでなく他の先生も一緒になって物資の集積場に車で行き、必要な物資を学校に集積し、それを家庭訪問の時に持って行くようにしました。これは保護者だけでなく、保護者から情報を得た近隣で困っている人の所にも持って行ったと思います。

 その主な物品。

 ガスコンロ・ガスボンベ・食料・防寒着・下着・紙おむつ・紙皿・紙コップ・ポリタンク

 本当は、これは「やってはいけない」ことでした。公的な支援が降りて来るのを待つように、というのが公式な県などの見解でした。確かにその通り。

 しかし、実は現場の物資集積所に連絡をしてみると、管理しておられる方は「自分の判断で持って行って下さる方がいるとありがたい」という状況でした。

1995年1月27日の下のほう

 県の(県庁内におられる)担当者さんの状態とか、物資の状況はこんな感じ。

1995年1月31日から2月6日までの物資の流れなど

 担当者さんは流れ込む大量の情報の中で呆然としている、という感じじゃなかったでしょうか。

 1月24日に「紙オムツ」は中止宣言を出したものの、学校で子どもと過ごすために、いろいろな物が必要なのは間違いありません。で、必要な物は時々刻々変化します。そこで「送りたい」というみなさんのお気持ちはお金で頂くのがありがたい、ということを校長などとも相談し、26日にネットで相談、27日に決定発信します。

 同時に近隣の特別支援学校11校にもお金を配布できるシステムをこれは私がお願いして、校長が作ってくれました。(もっとたくさんの学校に声をかけましたが、被害が軽微ということで辞退した学校が出たので)

 1月27日には三洋電機が石油ファンヒータ20台・ホットカーペット10枚を、私の学校に寄付を決定して下さいます。28日に届きました。セントラルヒーティングが壊れていたのでたいへん助かりました。これは私がある三洋電機にお勤めの方とたまたま知り合いだった縁です。そして、そのまま三洋電機の担当者の方とお話して、近隣特別支援学校12校にも同じように寄付して頂くことに話が発展しました。

 これらもある意味「プライベートな支援(私的なもの、個別バラバラのもの、不公平なもの)」を少しずつ広げていったものだと思います。

 学校に物資を集積し、配るのは2月6日に終わります。被災10日後ですね。そろそろ教師がそれをする役割が終わったのかな、ということで、残っていたたくさんの物資を当時、被災者支援ボランティアの拠点となっていた一麦教会(プロテスタント)に引き受けてもらいました。一緒に物資を持って行った先生は「肩の荷がおりた」とおっしゃっていました。

1995年2月6日

 なお、特別支援学校に対する義援金の最終的なお礼は記録に残っているところでは4月2日に出しています。2か月半というところですか。

 これらの記録を読みなおしてみて思うのは、やはり「公的な支援(行政とかのもの、中央集権的なもの、公平なもの)とものすごくプライベートな支援(私的なもの、個別バラバラのもの、不公平なもの)」は、同時に必要なんだろうな、ということです。どっちも大切。

 で、「プライベートな支援(私的なもの、個別バラバラのもの、不公平なもの)」をやるためには、結局はそんなことは無かったのですが、私自身「後で処分は覚悟」みたいなことは考えていました。

 互いが、互いを活かす方向に動かないといけないのだろうな、と思います。

 また、記録の中に「どう動いていいかわからないボランティアさん」が、私とやりとりしてどう動いていいかわかったような部分もあります。

 今、現在、たくさんの人がボランティアに行きたい、と思っているかと思います。まあ、ちょっと待ってた方がいいかな、とは思いますが。なんせ、「ボランティアをしきる人」が必要なのだけど、現時点ではそのマンパワーは無いと思うので。

 また今行こうとしたら、徹底的に自己完結で行かないといけないと思いますし。「やることを自分で見つけて動ける」「食料・水自分で持っている」「宿泊も自分でできる(テントなど)」「オシッコ・ウンコも始末できる」でないといけないと思いますが、最後の条件が無茶苦茶厳しいでしょう。

で、落ち着いて来てからも、やはり「うまくボランティアさんを活かせる」人がいてくれないと、むつかしいところは多々あると思います。1995年当時、私の周囲にいた人たちはそこらへん、できる人は多かったです。でも確かにボランティアさんで「後の人生、大丈夫だったかな」と心配になるような人もおられました。

 う〜む、またまとまりなくなってきた。

 当時は、たぶん「家でも」「学校でも」発信できる人は当地では私くらいしかいなかったろうと思います。でも今は、どこの学校でもいるだろうな。私が「勝手にオムツプロジェクト」をしなくても、各学校で校長先生と担当教師が「やろう」と言ったら、すぐ発信、あるいはメーカーとの交渉もできるような気はする。

 まあ、そのためにも、私は手持ちの情報は公開して行こうと思います。

 で、メーカーさんも「厚生労働省の指示が無いと動けません」ばっかりでなく(それも大事)、個別対応もちょこっと頭のすみに置いておいて頂けたらありがたいかな。なんつーか、「(不公平に見えても)できるところからやっていく」みたいな。「気がついたところからやっていく」みたいなね。

 それと、今の報道を見ていて、阪神・淡路の時より、被害が大きく広いなあ、と感じます。それだけに支援はできるところからやっていかないといけないだろうなあ。

今日のiMac PamFaxで複数同時送信

 FAXを複数同時送信したいので、「PamFax Fax番号リスト」でぐぐったら、ページが順番に

Linux用
Windows用
Mac用

と出て来ました。Macが少ないのはわかりますが、Linuxが一番多いとは!!


PamFaxで複数同時送信。
複数の相手先にFaxを送信することはできますか?

 はい、PamFaxアプリケーション上のFax番号リスト(ステップ2の複数の相手先にFax送信を参照)に入力するだけ数千のFaxを同時に送信することができます。他のWindowsアプリケーションやMicrosoft Wordやメールからも直接Faxを送信することができます。

送信する相手を入力
 一人の相手、または複数の相手にFaxを送信できます。
 過去に送信した相手の履歴10件の中から送信相手を選ぶことも可能です。

Multiple recipients
 PamFaxなら送信先一覧のリストにFaxを送信するのも簡単です。送信先一覧リストをPamFaxの送信先一覧に コピーペイストするだけです。」

 複数同時送信ができると、例えば特別支援学校複数に同時に送信したい場合にめちゃ便利。もちろん私はメールの方が便利なんだけど、相手にとって便利とは限らないもんな。


Googleマップで送信先を表示
 Faxの送信相手がどこにいるのかを、PamFaxからGoogleマップを直接開いて確認できます。」

 おお、これができると相手の特別支援学校がどこにあるのかわかりやすいなあ。なんせ土地勘が全然無いから。


表紙の選択
 PamFaxならFaxに送信者や受信者の情報などを記載した表紙を追加することが可能です。表紙を追加すればそこにメッセージを記載することもできます。表紙にメッセージだけを記載して送信することも可能です。」

 これ表紙(カバーと言う)無しで送信したいのだけど・・・1ページ分、紙が無駄になるんじゃないか。

posted by kingstone at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勝手に紙オムツプロジェクト9 各社に連絡を取ってみた

 各社に連絡を取ってみました。

 わかったこと。

 厚生労働省が日本衛生材料工業連合会(紙オムツなど衛生材料を作っているメーカーの連合会)に子供用紙オムツ・大人用紙オムツの緊急支援要請し、それに沿って各社は対応に動いている。

 素早い動き、ありがたいことだと思います。

 阪神・淡路大震災の時も、県や市に物資は集積されたのだけど、それを末端に流すのがうまくいかない部分がありました。また様々なニーズをまとめて一覧表にして、って膨大な労力が必要になります。情報と人手。そこんとこですね。まあ無駄になってもいいから体制だけは整えておきたいと思います。

 一応連絡した所のホームページ、リンクさせておきます。不要不急の連絡はしないようにして下さい。やはり連絡が集中し、混乱している部分はありそうです。

リブドゥ様
ユニチャーム様
エリエール様
日本衛生材料工業連合会様 ページの下の「お問い合わせ」ボタンでメールが開く。

 これは公開していい情報だと思うので。
 ユニチャーム様から届いた返信メールの一部。

「この度は、お問合せありがとうございます。
3月11日に発生した、東北・三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、
お亡くなりになられた方々には心よりお悔やみを、不安な気持ちでお過ごしの被災者の 皆様には謹んでお見舞いを申し上げます。

また、被害の拡大が最小限に留まり、一刻も早い復旧ができますよう、心からお祈り申し上げます。
ユニ・チャームでは、3月12日、(社)日本衛生材料工業連合会に対し、厚生労働省より子供用紙オムツ・大人用紙オムツの緊急支援要請があったことを受け、当社では第1回目の救援物資として、ムーニーおよびライフリーリハビリパンツを提供することを決定いたしました。

現在、輸送ルートの確保に努めるとともに、今後も、厚生労働省、(社)日本衛生材料工業連合会など関係機関と連携し、引き続き更なる支援活動を行って参りたいと存じます。」

 で、ユニ・チャームの担当者様には私のメールアドレスを知って頂くことができたわけだ。

 エリエール様は、やはり「個人にはなんとも」ということでしたが「何もお約束はできません」でありながらも、私のメールアドレス・ブログURLを担当者に伝えるだけはして下さるそうです。知っておいて頂くだけでもありがたい。

3月14日8時段階の方針「勝手に紙オムツプロジェクト8」

 今朝の段階で決めたこと。

・私は肢体不自由特別支援学校との連絡に特化する。

 やはり、学校を書きだしてみて、知的とか他を含めると私一人の能力を超えるような気がするので。

 って、実は狛さん(ネット上で先日知り合ったばかり)が、手伝いを申し出て下さったので助けて頂いています。そんなふうに協力して下さる方が出てきています。

 まあ、いろいろ動いていると他のニーズも見えてくるかもしれませんが、それはまたエントリに書いて「他の方がやって下さるのを期待する」ことにします。ラグビーで言えば、「俺はセンターに突っ込むから、ウィングは◯◯さんお願いね」みたいな。

 特別支援学校とホームページのリンク集は作ることにします。

 現時点で宮城・福島はまだ見ることができません。

「1995年1月・神戸」中井久夫編(みすず書房)再掲

 有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々刻々、最優先事項は変わった。1つの問題を解決すれば、次の問題が見えてきた。「状況がすべてである」というドゴールの言葉どおりであった。彼らは旧陸軍の言葉でいう「独断専行」を行った。おそらく、「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。
 

3月14日(月曜日)

 おはようございます。

 薄曇りです。
 あたたかいですが、昼だったか夕方だったかから寒くなるとか。

 さておめめどうの ToDoメモ帳 に今日やることを書いていこうか。

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ラベル:挨拶 天気
posted by kingstone at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする