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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年03月08日

予防接種は「効く」のか?ワクチン嫌いを考える 岩田健太郎著

 図書館で借りて来ました。



 すごくよくわかりました。

岩田健太郎さんのブログ
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 最近のHIBワクチンの事件についてインタビューされたことも書かれています。

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「日本の医療は、世界的に見て優れているところも劣っているところもありますが」

 そらそうやろな。

「予防接種に関する限り、先進国の中ではかなり遅れています」

 そっか。

「今の常識を捨て去る覚悟を持つ」

 なるほど。例に上がるのはゼンメルハウスとか野口英世。野口英世は「偉人」だけどそのたくさんの「科学的発見」はほとんどあやまり。その人が「偉人」であることと「主張が正しい」ことには別問題ということやな。

「僕はある病気の治療についての論文を紹介した時、ある医者から、
 『先生はこの論文を信じますか』
 と訊かれて、えらくびっくりしたことがあります。科学論文は読んで吟味するだけで、信じたり信じなかったりするものではないのです。その論文が妥当かどうかは検証できますが、『信じるべきか』どうか、という命題は科学的ではありません。
 でも、多くの議論は、妥当性の吟味というよりはむしろ、信念の主張に費やされてしまうのです。」

 ああ、これはよくわかるな。もちろん「そのデータを信じる」「そのデータは信じられない」とかいうことはあると思いますが。それと「その論理の持っていきかたは間違ってるやろ」とかはあるか。でも、本来そういうのは査読で落とされるはずやけど・・・

 18世紀ごろジェンナーが種痘を発明。それ以後、いろいろ予防接種は開発されるわけですが。

「ホメオパシーの実践者であるトレバー・ガンは、麻疹や破傷風、百日咳などは、予防接種の導入前からすでに死亡率が下がっていると指摘しています。
 また、猟紅熱など、実際には有効なワクチンが存在しない感染症も、同時期に死亡率が減少しています。19世紀から20世紀にかけて世の中から感染症が激減したのは、予防接種の功績だけとはいえないのではないか。
 僕はこの指摘には一理あるだろうと思います。僕ら医者は、予防接種とか抗生物質のような、いわゆる医学マターのツールだけが、医療における功績の担い手であると、どうしても考えがちです。でも、そうとばかりはいえません。
 感染症を減らす要因はたくさんあります。上下水道の整備、人々の栄養状態の改善、清潔な生活と教育……。こういったたくさんの要素が、感染症の減少に寄与している可能性は高いでしょう。予防接種「だけが」感染症の減少に寄与している、というのはちょっと言いすぎだと思います。
 しかし、ここでもう少し丁寧に考える必要があります。
 予防接種だけが感染症の減少に寄与しているわけではない、という命題は真かもしれません。しかし、そのことは、「予防接種は役に立っていない」とは同義ではありません。」

 そうやろな。いわゆる先進国では清潔・栄養状態の改善の効果はめちゃめちゃ大きいでしょう。いわゆる開発途上国ではどうなんだろう?

 1974年。クレーカンプらによる22人の小児発達障害やてんかんのケースについて、全細胞百日咳ワクチンのせいではないかと考え、メディアが取り上げ、英国で百日咳ワクチン接種率が81%から31%に激減。10万例の百日咳と31人の死亡者が出た。
 後の研究で、発達障害やてんかんとの関係は無いものとわかった。(ワクチンを接種していない子も同様の確率で発達障害やてんかんを発症したので)

 日本では2003年に日本脳炎ワクチンによる急性散在性脳脊髄炎という副作用が問題になり、それまで事実上の定期接種であったものが、医療現場では「原則接種してはだめ」と解釈され事実上中止に。2009年に副作用の少ない新しいタイプのワクチンが使用されるようになったが、その間に日本脳炎が復活。2006年1人、2007年1人、2009年2人。

 う〜ん、この数をどう見るか・・・

 麻疹(はしか)とインフルエンザは「死亡率は低いけれどもものすごく多数が罹患するために死亡者数が多い病気」で現在日本ははしかの輸出国と見られているとか。そう言えば、うちの息子もはしかの予防接種をしたのかどうか定かじゃない。

 確かJIN−仁−でもドラマの方ではなく漫画の方でははしかの流行が描かれていました。

「韓国ではMMRワクチンを普及させ・・・徹底的な予防接種の普及を行いました。そして2006年には麻疹根絶宣言を出すまでにこの病気を克服したのです」

ってことは韓国で疫学調査をすればMMRワクチンで自閉症が発症するのかどうかわかるわけやな。って、もう「MMRワクチンで自閉症が発症する」というウェイクフィールドの1998年の論文が捏造というのが明らかになったから必要無いか。

 これについては日本ではMMRが1993年から中止されたにもかかわらず自閉症の人は増えているのでMMRが自閉症を増やしているのではないことがわかる。

 なおMMRワクチンの副作用による無菌性髄膜炎を発症するのは「おたふく風邪」(ムンプス)の部分であることがわかり、現在はMRワクチンとなっているので、2006年からはまた定期接種に組み込まれたとか。

 著者は「アメリカ医療には光と陰がある」けれどもワクチンに関する仕組みACIPの仕組みはいいものだと評価してはります。ここはワクチンをCDCやDHHSに対して専門家として推奨するかどうかを決めるシステム。メンバーも多様で利益相反に対しては厳しい。会議の内容はインターネットで公開。会議をやってる外でワクチン反対団体がデモとかしてても動じないって。

 ワクチンによって多くの人にまずくなった事件。
1930年ドイツBCG有毒人型結核菌が混入していた。
1942年アメリカ黄熱病ワクチンB型肝炎血清が混じっていた。
1948年日本ジフテリア・トキソイド事件(製造工程に問題がありあるロットに不具合)
1955年アメリカポリオウィルス不活化工程に誤りがあった。
1976年アメリカ豚インフルエンザ。ギラン・バレー症候群。ただし発症率は低い。がインフルエンザそのものも流行しなかった。

大きな成功例
1980年代のアメリカのHibワクチン。
1960年代の日本のポリオワクチン。

 何かこう書くと成功例が少ないようですが、天然痘もだろうし、日本脳炎もだろうし、その他多くの病気が少なくなった。

 医療はゼロリスクではない。ゼロリスクというのは幻想。

「ワクチンをしなくても今までインフルエンザにならなかった。だからワクチンをしなくてもいい」というのは「今まで事故に会わなかった。だからシートベルトなんかしなくていい」というのと似ている。なるほど。

 ワクチンは集団防衛と個人防衛の二面を持つ。多数が病気にかかる事態が減ってきたため、少数の副作用が問題になってきた。より個人防衛の側面が強調されだした。

 また、行政はかつては「不作為過誤(ワクチンを打たずに病気が流行る)」回避の方向にあったが、最近は「作為過誤(ワクチンを打って被害が起きる)」を回避しようという傾向にある、と手塚洋輔氏が述べているのに対し、著者は「単にメディアにより叩かれない方向」に向かっているだけではないかと述べる。

 事件・事故が起こった時にすべきことは「すべてのプレイヤーが道義的な責任を感じ、悔み、そして原因の追求(責任の追求ではなく)と改善を行うべきなのです」

 これはそうやなあ、と思います。特別支援教育でも事故は起こる。で、その責任追及より、システムの改善をすべきやろな・・・とか言って、私はいろんなものを批判してるなあ・・・システムの改善点も述べてるつもりではありますが。う〜〜ん、システムの改善ったって「人手を増やせばいい」というもんでは無いもんなあ。根本的に考えを改めてもらわなあかんとこがあるもんなあ・・・悩む。

 またインフルエンザワクチンの集団接種には効果が無いことの例に上げられる「前橋レポート」の考察にも1章をあててはります。結論から言うと1984年1985年当時としては関係者のたいへんな熱意のこもった良い論文ではあるけれど、今の目から見ると「効果が無い」という結論には問題がある。またその後「効果がある」という論文がたくさん出ている。ということであるらしいです。

 またインフルエンザワクチンについて予防接種の「当たり年」「外れ年」はよく言われますが、統計を取ってみると「外れ年」であっても死亡率は下がっているそうです。つまり多い少ないはあっても効果はある、と。

 著者は最後に「好悪を正邪にすり替えて語る人」について、違和感を述べてはります。

 う〜〜ん、そうかもしれない。ただし、私は昔から「これは正邪の問題ではなく、私の好悪の問題だ」と主張していろんなことをやってきましたが。

 まあ、本当に面白かったです。
 私も、安くてチャンスがあるならばワクチンをしに行こうと思えました。

総務省デタラメ予算配分 AERA 11.3.14号

AERA 11.3.14号 記事

「総務省デタラメ予算配分」

 3月1日に、総務省の職員が補助金適正化法23条に基づく立ち入り検査をした、というニュース。

「検査を受けたのは「NPO法人ディジタル・コンテンツ・インスティテユート(DCln)」。」

 DCInのホームページはこちら。
http://dcin.or.jp/index.html

 理事長は金子満・東京工科大大学院教授。

 ホームページのトップにある「DCInセミナー開催のご案内」の講師紹介を見ると、みなさんカタカナが多いなあ。アルファベットが多い人も。

 ここは

「09年度の補正予算で雇用対策として民主党が設けた「ICTふるさと元気事業」から約7900万円、10年度当初予算の「地域ICT利活用広域連携事業」から約1億2千万円か支出されることが決まっており、立ち入り検査は「ふるさと元気事業」7900万円に関するものだった。」

 1億9000万円国からお金を取って来た、ということ。目的は

「地域の公共的サービスの新たな担い手としてNPO等が主体となって、ICTを利活用した取り組みを促進し、地域公共サービスを向上させ、地域の雇用を創出するもの」

 なるほど。で09年は

「古い映像を再生する技術が今後、大きく必要になると考えられ、これを主婦やニートなどに教えて、在宅で再生できるシステムを世田谷区につくりたい」

で7900万円を獲得し、10年度は

「DCInは「ふるさと元気事業」とそっくりなチャートに、東京都三鷹市を書き加えたものを総務省に提出。「世田谷区と同じネットワークを三鷹市にもつくる計画だ」と説明した。」

で1億2000万円を獲得した、というわけです。

「関係者の話を総合すると、DClnは、人材育成約1700万円▽システム設計・構築約3200万円▽機材購入約2600万円などの経費がかかったと領収書や納品書をつけて、総務省に請求した。」

ってことです。ホームページを見ると、無料のセミナーをやったことは間違いないでしょうね。いろいろ怪しいという感じで記事は書かれていますが、そこは私は検証できない。

 ただし、本当に「主婦やニートなどに教えて、在宅で再生できるシステム」を作れたのか。あるいは作ろうとしたけれど、うまくいかなかったのか、そこんとこは強く知りたいです。

 若年者やニートと呼ばれる人々への国の対策、結局「支援事業をします。就業訓練をします」という組織の人ばかりのふところにお金が入って、肝心の若年者やニートと呼ばれる人の力になっていない、という現実があるのじゃないかなあ、と思うから。

 そこらへん取材して頂きたいなあ。
posted by kingstone at 20:05| Comment(6) | TrackBack(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

診断名とか障害に対する知識とか(一緒に生きる)

 私の障害はいろいろあるけど、日常生活で問題になるのは難聴とストレス性障害(ひどくなると「うつ状態」になる)か。

 この中で難聴は周囲に言いまくってます。例えば職場が変わった時、自己紹介の挨拶の時に必ず言います。たいていは相手の方は大きめの声でゆっくり話してくれるようになります。

 また、大病院に行って検査を受ける時に看護師さんの話が聞き取りにくかったりすると、「私は難聴です」と言うと、看護師さんが周囲の検査チームの人に「難聴ですから大きな声で」と即伝言リレーで伝えて下さったりします。

 こんなふうに「難聴です」と言うと、相手がすぐに対応してくれて、私に(もちろん相手にも、ですが)メリットが大きいからよく使うわけですね。

 また、昔は「あんたは聞こえつんぼやな」と、まあ冗談の範囲でしょうが、馬鹿にする意味も少し込めて言う人がいたけど、今は無いなあ。「聞こえつんぼ」というのは確かにその通りで「自分に都合のいい(自分が得になる)ことはよく聞こえる」けれど「自分に都合の悪い(別に自分が得になるわけではない、時には損する)ことは聞こえにくい」というのは事実です。

 難聴の人には筆談も含めて一定の配慮をする、というのは社会的なコンセンサスを得ている、と言っていいと思います。

 ストレス性障害やうつについては問われれば答えることもあるけれど、こちらから言うことは無いです。だって、それを聞いても周囲の人、「じゃあどうやって対応したらいいんだ」というのがわからないだろうし。って、私自身にも目の前にAさんがいて、Aさんが「私ストレス性障害とかうつなんです」と言っても、私がどう関わり方を変えたらいいかわかりません。(ってか、他の人に対する時と同じだろうな、と思います)

 つまり、私にメリットがあると思えないですから、言わないわけです。また社会がどんなふうに見ているか、というのは雅子さまに関する報道やネット上の言説でもよくわかりますし。なんか「さぼり」や「なまけ」と思われている。私は、わざわざ隠す気はありませんが、こちらから先に言っておこう、という気にはならない。

 では自閉症はどうだろうか。

 映画「レインマン」以降、かなり知識が広まり、アメリカでは例えば入国審査の時に係官にお子さんが怪しまれた時に「He is autism.」と言うと「あ、そうか。ではお通り下さい」ということを経験された、とか言う話は聞きましたが。(もちろんレインマンに出てきたダスティン・ホフマンみたいじゃない自閉症の方もたくさんいますが)

 少なくとも私だったら、「このお子さんは自閉症です」と言われたら、まず「見てわかるものを用意しよう」という対応はすぐ浮かぶわけです。で、音声言語については慎重に、わかる範囲で徐々に増やしていく。

 そういうことがわかっている人たちの間なら「自閉症」という診断名はおおいに価値がある。

 先日Twitterである方が、「教師は中途半端に(自閉症とかアスペルガー症候群とかADHDとかだと思う)知識を持ってるんじゃないか。診断書が無いと対応できない、と言われたり」とつぶやいてはりました。

 なるほどな、と思います。ある意味「診断書があれば対応します」なら、昔よりはましなのかもしれませんが。(昔は診断書があってもまともな対応は無かった)

 ずれてる発言かもしれませんが、直感的に私はこう返しました。

「『排除するための知識』と『一緒に生きるための知識』じゃないでしょうか。」

 「排除するための知識」というのは言い過ぎかもしれません。でもレッテルを貼り、異物だとして排除する・・・(異物だ、という認識はいいんです。そう異物です。同じじゃありません。で、じゃあ、どうするんだ、というところの考え方ですね)

 違ったものが同じ時代を生きていく(必ずしも「一緒の部屋」とかでなくてもいい。時に「一緒の部屋」でもいいし)

 また教師はもともと「診断書」なんか無いところで、どうやったら通常クラスが、特別支援学級が、特別支援学校の各クラスがうまく運営できるか、考えてきたもんです。で、「診断書」は無くても「知識」は役に立つ、そんなもんなんだけどな。

 昨日の葬儀の話題に関して、後でハルヤンネさんがエントリを書いてはりますが。

仲間外れにしない

 ほんまやな、と思います。いや、もちろん「本人が『嫌だ』『別のところで過ごす』を選ぶならそれもよしですけどね。

 で、ものすごーーく話が飛びますが、下の写真。

イスラム・キリスト.jpg

感動!広場でお祈り中のイスラム教徒を手をつないでキリスト教徒が守る写真より(だけど、この写真はすごくたくさんのところに出まわっている)

 本当のところはどうなのか、よくわかりませんが、先日のエジプトのデモの場面、お祈りをするイスラム教徒をキリスト教徒が手をつないで守っている場面だそうです。

 こんなのも「一緒に生きる」だよなあ。



高機能自閉症のお子さんの授業への入り方

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 kingstoneです。

 ある小学校の高機能自閉症のお子さんの授業の入り方の話をうかがうことができました。在籍は特別支援学級。

 そのお子さんの場合、国語と算数は交流学級で、理科社会その他は特別支援学級で過ごされてそれが結果的にたいへん良かったそうです。

 なるほどなあ・・・・

 まあ、国語については授業によっては??かもしれませんが、算数がいい子ってのは結構いるだろうな。

 そうだよな。子どもによって一人一人違うけど、こういう入り方もあるよなあ、と納得でした。

追記
 これは、多くの特別支援学級在籍のお子さんが、国語・算数のみ特別支援学級で、というような例が多いのでちょっと新鮮だったわけです。しかしお子さんによっては一斉授業の音楽・図工・体育がいいとも限らない場合があるわけで。もちろんこれはお子さんによっていろんな場合があるとは思います。


研究会がある地域の教育委員会とある地域の後援を得たこと

 大昔の話です。

 特別支援学級の担任だった頃。


 ◯◯さん、どうもです。
 kingstoneです。

> 6月1日の服巻智子先生の講演会について、ある地域とある地域教育委員会の
> 後援名義をいただくことができました。
>ある地域の後援はクラス研究会の今年度の講演会すべて(発表済みの分)と、
>実践報告・製作会も含めての後援です。

 すごい、すごい。
 私が代表だったら難しかったでしょう(ニコ)

> 夢みたいでしょう?

 ほんまです。

いやだよーが言えるようになった(拒否の言葉)2

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 ◯◯さん、こんばんは。□□です。

> これ、来年度の目標で、昨年度の、最後の、学級懇談会のとき、クラスのお母さん方
> に、「『イヤ』の意思表示を何らかの形で、教えます。」と言ったんですよね。こん
> なに楽に事が、運ぶなんて・・・・あと2日、これを定着させることが、できたらい
> いなあ。

 ウチの子どもも数ヶ月前から「いりません」が使えるようになり、これ使えるとだいぶ行動が落ち着いてきますね。

 きっかけは息子が食べたくないものを出された(ように思われる)時、PCS(ピクチャーコミュニケーションシンボル。PECSの絵とはまた別)で作った「いらない」カードを見せて「いりません」と親が言ったら、食べたくない物を出された時だけでなく、好きな食べ物でも満腹になれば「いりません」を連発するようになりました。 意外と簡単に出ました。

 でもまだ応用範囲は食べ物だけで、これが嫌なことをされたとき、自分のしたいことを阻止されたときに「いや」をどうやって言わせるか模索中です。

3月8日(火曜日)

 おはようございます。

 めっちゃいい天気です。

 昨朝、起床時に喉の痛みを感じました。
 昨昼、目が痒くてしかたありませんでした。
 ハンカチ1枚がドロドロになるくらい鼻水が出ました。
 みんなが「今年の花粉は多い」とか言ってても、全然大丈夫だったのに、ついに来ました。

ラベル:挨拶 天気
posted by kingstone at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする