kingstone 報告(1月26日)
(14) 95/01/26 23:55
今日は長田区の子供の家を2軒訪れました。
まず、海岸線を走るJRも山陽電車も使えないので、バスで名谷まで出て、そこから市営地下鉄で板宿まで出ます。ザックをかつぎ、三角巾で右手をつり、左手で大きなオムツのパックを持って動いているとたくさんの方が声をかけて下さいます。
「持ちましょうか?」
「ここに置くといいで」
ありがたいことです。そこから話が始まり薬剤師さんで今から保健所に送られて来た薬の仕分けのボランティアに行くと言う方が
「もし学校のお子さんで、病院に取りにいけない方がおられたらFAXで処方箋を送って頂ければ今なら調合できますので」
というありがたいお話をうかがうことができました。
そういえば、こないだから非常措置としてできるようになった、という報道がありましたね。でも、それがちゃんと頭の中で結びついていなかったのが、これで結びつきました。実は夜帰ってから別の薬剤師さんにお聞きしたところ、垂水の駅前の薬局でもして頂け、「医療無料」の扱いも病院と同じようにして頂けるという話が確認できました。
板宿の駅で地下鉄を下り、外へ出ると周囲の家がほとんど倒壊しています。公衆電話で同僚に連絡する予定だったのですが、そのあたりの公衆電話はすべて壊れていました。東へ歩いて行くとブロックによってはひとかたまりに焼きつくされています。
ありゃりゃ肩が痛くなってきた・・・詳しく書くのはやめて、エピソードを2つ。
高台に住むあるお母さんの話。
5時46分に地震が起き、次の行動にうつるのに少し時間がかかった。長田の下町に住む祖母が気になり6時に父・母・子供3人が車に乗り道を下った。しかしガレキに邪魔され10分で走れるところが30分かかった。この時点では他の車はあまり走っていない。
家のある通り(普段なら結構広い)は両側から倒れてきた家のガレキでうまっている。車の中に子供だけ残せないので父・子が残り母親は真っ暗なガレキの上を叫びながら祖母の家まで走った。家は完全につぶれている。隣家もつぶれていたがその2階に居た夫婦が出てきた。そして祖母が助けを呼んでいる声が聞こえていた、と言う。
そこで母親は目につく所にいた男の人を呼び集め助けを求めた。そうしておいて父親のところへ戻り事情を説明。父親は親戚を集めに走る。
慎重にガレキをのぞき、祖母が助けだされたのは10時だった。
「車はだめ」という話もありましたが、うーん、まあこの場合も足で走っても30分くらいかもしれませんが、しかしそれだと子供を連れていけませんね。この子も障害を持っていますから一人にしておくのはかなり難しいのです。
それと、いかに消防・警察・自衛隊がす早く動いたとしてもその活動を待っていては助かる者も助からなかったケースも多いと思います。その時大事なのは自助努力ということになると思うのですが・・・しかしそれができる人はいいですが、そういうことができない人はどうなるのか・・・ただその場合でも近所の人が助け合って救出したという例も報告されていますし、実は別の家庭訪問でも実際にそうなさった方のお話を聞くことができました。
またいろんな所で聞くのは、我々教師が電話で何とか連絡をとろうとしていた時、親御さん達はオートバイで走り回り障害を持つ子供を持つ家族の安否を確認しに走り回っておられました。また紙オムツ等も当座の分は融通しあわれたようです。それこそものすごいネットワークです。
さて家庭訪問が終わって学校に戻ったところ、クニさんからの荷物が届いていました。大きなダンボール3つもありました。ゆうパックの速達便が中2日で届いているわけですね。ありがとうございました。
やってみて始めてわかる、ってことがたくさんあります。今回紙オムツを集めて適正に配分する必要が出てきて、どこで何が必要とされているかがわかって来ました。他の学校にも分配しています。
家庭訪問に持って行くと紙オムツもウェットティッシュも喜ばれますが、何よりも
「みなさんのお気持ちが嬉しいですね」
とお母さん方が言ってはります。(あっ、紙オムツとウェットティッシュは現時点で足りました)
やっぱりキーを打つのは鎖骨に負担が来るのかな・・・
ラベル:阪神・淡路大震災