私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年01月17日

1995年1月18日(水曜日)

 震災翌朝です。この時点で電気が通じていたことがわかります。関西電力にしろNTTにしろ、この時はものすごい努力をして下さっていたようです。


kingstone 地震から一夜が明けました
(18) 95/01/18 07:31

昨晩はうちの家族はジャンパーやコートを着たままふとんに入りました。
それでも余震が続いており、うちの家もいつどうなるか、と思うとなかなか熟睡はできませんでした。

しかし、まだ家があるだけ幸せなのだ、ということがテレビを見ているとよくわかります。私の肩のダメージも思っていたより大きいみたいですが、子供たちのケガとひきかえだと思うとありがたいくらいのもんです。

うちの学校は校区が広く、一番被害の大きい地域にもたくさんの子供たちがいます。子供・職員ともなかなか連絡がとれません。



これは知的障害特別支援学校の方

(18) 95/01/18 14:36 コメント数:1

 私の学校では、今週いっぱい休校ということになりました。まだ、連絡がつかないところがたくさんあります。電話が随分つながりやすくなってきて、続々と無事の知らせが届いてはいますが、中にはとても悲しい連絡もありました。すぐに駆けつけたい思いですが、市内の交通事情では、それもままなりません(;_;)
   
 我が家では、ようやく電気、ガス、水道の全部が復活して、普通の暮らしができるようになりました。スーパーが大行列で、食料品の確保が十分ではありませんが、何とか食いつなげそうです。
 実家の方は、倒壊までには至っていませんが、大きな余震があると、倒れるかもしれません。私の両親は、近くに住んでいる次男(私が長男(^。^))のところに身を寄せています。
   
 死者がついに2000人を超えました。テレビで紹介される名前の中に、知っている名前があるのは、本当につらいです。



kingstone オンラインで
(18) 95/01/18 16:05 コメント数:2

 うちの学校も今週一杯は災害復旧にかかるだろう、ということでした。

私は鎖骨を骨折してました。

悲しい報せは入ってないのですが、連絡がまだつかないところがありますから・・・・


 この日、形成外科に行きました。断水で診療をお休みする医院が多い中、開けて下さっていたのはありがたかったです。レントゲンできれいに線が入っていました。この時点で、17日朝、両腕を使ってタンスを動かせたのがとても不思議でした。

 私の地区はケガ人も少なかったのですが、その統計の中に私が入っているのだと思うと、何か恥ずかしかったです。なんせタンスの前で寝るという無防備なことをしていたのですから。

 茨城県の百里基地の自衛隊員と思われる方からの書き込みがありました。フル装備で出動準備をしているのだが、閣議決定が無いために出動できない、と苛立っておられました。何もできないけれど献血に行って来た、という方も。


kingstone ご心配をおかけしました。
(18) 95/01/18 23:34 コメント数:2

あ、言いっぱなしでご心配をおかけしました。

ねぼけまなこで偶然タンスを肩で受けたのですが、その後すぐ真っ暗でわけのわからない状態のまま、とにかくタンスを持ち上げ、妻に長男を横に出してもらいました。3つあったタンスのうち、丁度次男の横にあったものは倒れずにすんでました。

 たぶん、直後はいろいろ動かしたり作業したりしていたのですが、学校へ行ったあたりからだんだん重い物が持てなくなりました。しかし食事をしたり、パソコンを打ったりはできてましたので単なる打撲だと思っていたのです。

 まあ念のためと思って今日近所の医者に行ってレントゲンをとってみたら骨に線が入っていて、「骨折やね。ただずれてはないから1週間様子を見よう。その時点でずれていたら針金を入れよう。とりありず、飲み薬と湿布と三角巾をしておこう」ということでした。

 ところで、この医院は昨日から診療をやってはりました。ありがたいことです。外科も科目になっているので、ケガをされた方も来てはります。近所では営業していない医院も多いです。お医者様がいても看護婦さんがいないからとか・・・それなりの対応で何とかなりそうなもんだけど・・・また長男もちょっと嘔吐することもあり、あいてる医者をさがしても「うちでは子供はやってません」とかいう医者もありました。

 昨日ま夜中に岡山の親戚が急に現れました。電話もつながらないので、安否を気遣いとりあえずと思ってということで、水を持って来てくれていて、すぐに帰りました。骨折で水をもらいにいけないので、たいへん助かりました。ひょっとすると大渋滞を原因の1台ではあるかもしれないのですが・・・・今日もうちのまわりでも大渋滞でした。自助努力の問題と公的な救援体制のからみをどう解決していくか、結構たいへんだなと思いました。(あっ、これ読んだ人。こようなんて思わないでね。とりあえず大丈夫ですから。で今は公的な支援体制を先に作らないといけないと思いますから)

 この親戚の一人が保健所を勤め上げて退職なされた方なのですが、昨日も学校に行った話をすると「そうじゃ、公務員は災害の時はでにゃおえん(出なければいけない)」と力強くおっしゃったのに妙に感動しました。しかしながら、この肩の状態ではしばらく何もできないのが歯がゆいですが。

 実際、今日も清掃車が数少ないながらも動いていたり、郵便配達をしてはる方がいらしたりすることに何か感動を覚えました。実際、現場の者は消防も警察も精一杯やってるというのがひしひし伝わります。もちろん人手も器材もなく、またどう動いていいのか指示を出す方も茫然としてしまい、とりあえず目の前のことからやっていっているということなのでしょう。

 テレビでも医療ボランティアや土建関係のボランティアを募集していました。今日も土建屋さんの車がボランティアのマークをつけて動いているのを見かけました。ただし、渋滞で身動きがとれないようでしたが。

 昨日のかなり早い段階で近所のスーパーが店を開いたのにもびっくりしました。また今日はかなりの数のお店が小繁華街では開いています。もちろん物資の流入が悪いので「とりあえず食べるもの」なんかはきれいさっぱりありませんが、それでも少しは心が落ちつきます。あっ、ものすごく並んでいるスーパーにはそういうものも少しはあるのかもしれません。

学校の子供には連絡をつけようと努力していますが、まだつかないところも多くあります。しかし大きな被害を受けたすぐ横だったが、大丈夫だったという報告を受けたりもしました。



 親戚の持って来てくれた物で、あとすごく役に立った物に携帯ガスコンロがありました。まだうちには買ってなかったので。これで暖かい物を作って食べることができました。



震災とインターネット―「神戸からの提言」/田中 克己

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1995年1月17日(火曜日)3

 学校に到着すると物が散乱し、冷暖房のための配管が壊れたのか、あちらこちらが水浸しでした。もちろん暖房は効きません。この状態では命をつなぐこと自体が戦いの子も多い私の学校では授業を受けることは不可能です。通学バスは走ることができず、また公共交通機関もストップし、私は見なかったのですが各所で大渋滞しているとのことでした。

 とにかく片づけを始め、水を拭き取ることしました。しかしこの時点で私は片腕が痛くて動かなくなっていました。仕方がないのでもう一方の腕だけで物を拾い片づけていきました。

 多くの物は落ちましたが、パソコン室のパソコンはすぐに教室で使用できるように、私が作ったアングルで作ったの可動式の台に載せていたので、そのまま揺れ動き、落下することが無かったようです。ちなみにこの時点では全ては私の私物だったと思います。

 そうしているうちに休校は決定されました。その後の対応については、休校のことも含めとにかく保護者に電話連絡しよう、ということになりました。この時点では死亡した子はいませんでした。

 私はお昼に学校を退出させてもらったようです。



kingstone 今、呉からです。
(18) 95/01/17 13:05

くっそーー、どことも入れません。(アクセスポイントが近辺ではつながらない、ということ。火事で焼け落ちたのと、混んでいたのと両方あると思います)
やっと呉から入ることができました。

実はうちの長男が昨日からもどしてまして、それでわりと家族がよりそって眠るようになってたので助かったのです。これがいつもの通りの寝かただったら・・・

今、実家です。タコ部屋の方を見に歩いて1時間程かけていったのですが、あちらも何とか被害はなかったようです。(もちろん部屋はむちゃくちゃ)

学校はボイラーが壊れたとかでいろんなところが水びたしでした。
近所から避難してきてはる方もおられました。
応急のことだけして、息子たちが気になったので、帰らせてもらいました。
まだ余震が続いています。

では・・・・

○○さん、□□さん、△△さん、みんな大丈夫???


kingstone 無事を確認
(18) 95/01/17 18:20

○○さんがご無事だということはLEOさんからの電話で知りました。
電話はうまくつながったり、つながらなかったりします。
□□さんもご無事なようでした。

△△さん、AAさん、BBさんなんかはどうなんだろう。

posted by kingstone at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1995年1月17日当時の私の状況

 当時の私は肢体不自由特別支援学校で、主としてAAC(拡大代替コミュニケーション)に取り組んでおり、校長は若い頃に「意思伝達装置」を作ろうとしたこともあり、私のやろうとしていることがよく理解でき、私を信頼してかなりの仕事を任せて下さっていました。周囲の教師にも、私が実践をお見せし、研修を組織し、ようやく理解者が増えかけていたところかな。でもまだまだ理解して頂けないなあ、という思いはありました。

 そして、もともとのうつの傾向もあり、過労気味でもあったと思うのですが、学校を辞めたい、というようなことはよく言っていました。当時、夜、学校を閉めて一緒に出る時に校長にこんなことを話したのを憶えています。

「いや〜学校辞めたいって妻に言いましたらね、妻は『あんたの好きにしたらええ』言うんですわ。そう言われたら、何かすぐに辞めるいうわけにもいきませんわ」

 1995年1月17日はデパートで開かれる書道展に子どもたちの作品を持って行く必要がありました。しかし、気分は重く、デパートまで行けるだろうか、と思っていました。

 しかし、早朝の地震で、私の中の何かスイッチが入ったような感じがありました。何も考えずに動く、みたいな。

posted by kingstone at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1995年1月17日(火曜日)朝2

 すぐに家に戻り、どうしようと考えてまず校長に電話しました。やっぱり「組織」の人間だったのだなあ、と思います。

 停電し、断水していましたが、電話は通じました。

私「今の何なんでしょう?」
長「ワシにもわからん」
私「私、どうしたらいいんでしょう?」
長「わからん。ワシもすぐに学校へ行く」
私「じゃあ、私もとにかく学校へ行きます」

 そして次にしようとしたのが、パソコンを取り出すこと。当時、インターネットは見えるようにはしていたと思うのですが、まだそれほど利用していなかったと思います。パソコン通信の障害児教育フォーラムでは熱心にやりとりしていました。そこで一報を送ろうとパソコンを、本の散乱した中から探り当てました。起動し、つないだ所問題なくつなげました。(つまり近所のアクセスポイントがまだ生きていた)
 
 障害児教育フォーラムには当たり前ですが地震に関することを書く会議室(掲示板)はありません。そこで「お休み時間」というフリートークの会議室に書き込むことにしました。


kingstone すごい地震
(18) 95/01/17 06:31 コメント数:3

タンスがたおれてきて、私の肩で止まった。
それで長男や次男が助かりました。
昨晩は次男が泣きやまなかったのです。
きっと次男もなまず能力があるのでしょう。

みんなだいじょうぶか???


 この時点では「地震」と分かっていますね。電池式ラジオが手元にあったので、それを聞いていたのかな?

 この後、この「お休み時間」は、みんなのバカ話の場であったのが、臨時震災会議室の様相を呈します。これをアップした後、私はすぐ家を出て徒歩で学校へ向かいます。車で行ってはいけない、と強く思っていたわけではなく、何となく、です。

 空は薄暗いままだったと思います。信号は全て消えていて、私の家の周囲の道には車は一台も見えた記憶がありません。峠に向かって歩いていると雪が舞っていました。寒いけれど、雪がふるほどではないし、空もそんな感じではないし、変だなあ、と思っていました。後で考えるとこれは長田の方から飛んで来た灰ですね。

 峠に立った時、繁華街の方を見ると煙が立ち上っていたのが見えたような記憶があります。少し記憶が定かではないところがあり、後の報道とごっちゃになっている可能性はあるのですが、峠の上からしばらく見ていたような記憶があるのです。



posted by kingstone at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1995年1月17日(火曜日)朝1

 1995年1月17日(火曜日)朝

 突然の音で目が醒めました。

 真っ暗な中、水平線の向こうから何かがやってくるような音。ゴーッと、ものすごく広く波が覆い被さってくるような音。いったい何だ、何だ、という感じ。ただ寝て聞いていました。

 その音が大きくなると、ガタンゴトンとそこらじゅうが動き出しました。揺れた、という感じではなく、動いた、という感じ。ものすごい音もしていました。

 正直なところ私は、「第三次世界大戦だ!核ミサイルで攻撃されたんだ!(いったいどこからやねん?何でそんなこと思ったんだろう)いや世界の終わりか!」と思いました。

 で、ガタンという大きな音とともに右肩に痛み。180cmほどのタンスが倒れて来たのでした。長男は私の肩で止まったタンスと布団の間の空間にいて何ごともなく眠っていました。どのくらいの時間揺れていたのかはわかりません。妻が

「動かれへん!動かれへん!」

と叫んでいました。私は、とりあえず起きあがり
両手でタンスを持ち上げ、妻と長男を助け出しました。
・・・

 次男のほうを見ると、(と言っても明かりは無かった)そちらは上下2段のタンスの上段が、次男の数cm横に落ちてきていました。おかげで危うく長男も次男も無傷ですみました。

 この話をするたびに親戚からは「亡くなったお父さんが守ってくれたんやなあ」と言われました。

 家の中は電灯の破片が散らばっており、素足では歩けない状態でした。たぶん室内は(ふだんは素足ですが)スリッパを履いて移動したと思います。

 別の部屋で眠っていた母は、当時リューマチでもう体が動きにくくなってきていましたが、咄嗟に家中の開口部を開けてまわってました。そんなことは私は気がつかないぞ。

 家族を安全そうな台所に避難させ、表に出てみました。まだ暗かったです。隣近所で玄関のところに人が出て来て立っていました。その人たちに

「何があったんでしょう?」

と尋ねましたが、みんな首を振って沈黙していました。



posted by kingstone at 18:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1995年1月16日(月曜日)

 1995年1月16日(月曜日)

 この頃は1月15日が成人の日で、月曜日が振り替え休日。

 この日は家族で(3歳長男・6カ月次男)を連れてデパートに行きました。

 デパートの中の喫茶コーナーでお茶などを頼みました。3歳の息子は食品見本を見て、チョコレートパフェみたいなものを頼みました。それを全部平らげた後で「お腹が痛い」と言い出します。それはチョコレートパフェではなく、アイスコーヒーの上に生クリームやアイスクリームののったものだったのです。

 帰宅後も長男はゲーゲー嘔吐します。これは長時間続きました。そこで、眠る時、枕元に洗面器を置き、私と妻の間に長男を寝かせる形で川の字になり、次男は私たちの足もとの位置に寝かせました。私は左肩を下にし右肩を上に横向きになり、いつもより長男に近い位置で長男に右手を置くようにして眠りました。

 過去ログを読んでいたら、次男が何故か1日中泣きやまない、ということもあったみたいです。



posted by kingstone at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1995年1月15日(日曜日)

 1995年1月15日(日曜日)

 この日はパソコン通信の障害児教育フォーラムの人に声をかけて音楽オフというのをやりました。これは、障害のあるお子さんがいると音楽会への参加は、声や行動で周囲に迷惑がかかったらと思うとしにくい、という声があったので、じゃあそういうものを気にしなくていい音楽会をやろうよ、ついでにみんな素人の演奏や歌の自慢しようよ、という趣旨で開かれたものです。確か、その時が3回目くらい。

 この時の会場は、義弟の家。義弟の家には狭いんですけど、スタジオがあり、また小さいけれど観客席みたいな部分もあるのでやっちゃおうと。

 たまたま私が本屋さんにいたら、全盲の人が店員さんに本について質問され、それについて私が知っていたので話したところから仲良くなった方がピアノを弾いて下さったりもしました。

 たぶん、みんなおおいに楽しめたと思います。東京から来た友人(って月子チャンの死に神さんですけど)が、「ここまで来たんだから泊まっていこうかな」と言ってましたが「やっぱり仕事があるし帰ろう」と言って帰って行きました。そのままいたら震災に巻き込まれていた可能性がありました。

posted by kingstone at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

震災のこと

 阪神・淡路大震災の体験は書かないでおこうと思っていました。他のエントリで、いろいろやばいことも書いてるし、身バレの危険は無茶苦茶高くなるし・・・

 でも考えたら、私の過去の思い出(威嚇と暴力のこととか)に反論とかしたい方は、なんぼでも反論していいんだし、私にはそれにおつき合いする時間はある。逆に、反論したいと思われる人々は地位も名誉もあり、私に反論することは危険だし(いろいろばれて・・・)、私には失う物は無いのだった。

 ってことで、思い出を少しずつ書いてみたいと思います。

posted by kingstone at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

相棒 劇場版U



 入場料分の価値は十分。

 映画の最後のスタッフロール、水谷豊がトップ。それは当然として、ラスト(トリ?)は岸部一徳なんですね。国村隼かと思った。

 全体に「組織と人間」がテーマかな。

 予告編の動画の最後に「あなたの正義を問う」と出て来ます。そういう意味で私は石倉三郎のやってた役に感情移入します。組織のために少しは手を汚して来た。それを理由に懲戒解雇される・・・

 私自身、「正義」より「長いものに巻かれろ」的なところがありましたから。

肢体不自由養護のパソコン導入3
 
 私には「税金の無駄遣い」とわかっていながら業者・行政・教育委員会と妥協しようとしたのですね。校長の一言で回避できましたけど。(業者は別として、行政・教育委員会は私の考えを「オタクが趣味に走った税金の無駄遣い」と考えていた可能性は高い)

 まあ、いろいろあります。

posted by kingstone at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

光り輝くあしたへ フォアミセスに載った漫画

for Mrs. (フォアミセス) 2011年 01月号 [雑誌]/著者不明

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フォアミセス2011年1月号 巻頭100ページ 特集「光とともに・・・」が遺したもの

「光り輝くあしたへ ぼくは元気に働くとうふ屋さん」 河崎芽衣画


−−−−−−−−− ネタバレ含みます −−−−−−−−−−−−−−−

 実話に基づいている。

 相葉奈央子さん、洋介さん、の間に生まれた勇人(ゆうと)君は逆子で超未熟児で生まれ重い障害を持つ。その後、女の子瑠菜(るな)さん、男の子隼也(じゅんや)君が生まれる。しかし隼也君が成長するにつれて何かおかしいと感じる。最初の診断は「知的な遅れ」。通常学級に就学。小学校3年生になる直前、通常学級についていけなくなり、近所の特別支援学級のある学校に転校。その頃また診断を受け「広汎性発達障害。自閉症です」と診断される。
 転入先の特別支援学級での担任が武田仁先生。武田先生に「光とともに・・・」を紹介され、ひとつの希望となる。
 いろいろありながらも隼也君は(たぶん特別支援学校高等部)を卒業し、その頃、武田仁氏が学校を退職して始めた「とうふ工房」で働くようになる。それは「光とともに・・・」で出てきた「元気で働く大人になります」そのものだった。

 というような話になるかと思います。


−−− 以下はおたく話です。で、批判めいた部分もあるので嫌な方はスルーで −−−−

 漫画を読んで思い浮かぶことなど。

 隼也君の3歳児検診の診断。医師は「自閉症」については気づいていたかもしれませんね。あの時代だと、まだまだ「自閉症という診断名は言ってはいけない」と考えていた可能性があります。あと診断に自信が無かったかもしれない。小学校3年生直前に診断したお医者様は「幼い時だと知的な遅れに自閉症の特性が隠れていたり、出ていなかったりで、診察時に診断できないこともあるんです」と言われているわけですが。

 まあ、後から思い出してのことを描いているので、よくはわかりませんが、3歳児検診以前の隼也君の描写は既に自閉症の特徴を出して描かれています。

 しかし「知的なおくれ」・・・これは過去実際に使われた言葉ですし、今も使われたりするかもしれない。で、擁護する意味で「この人は劣っているのではないのです。発達がゆっくりなだけなのです」というふうな言い方がされることもあるのですが、何か変な感じがするなあ。

 小学校に入学し、通常学級での授業参観で隼也君が教壇にくっつけて座らされていたのを見て奈央子さんがショックを受ける場面があります。「先生はどうして相談してくれなかったの」という思いをもたれます。

 う〜ん・・・この部分では少し教師に同情してしまう。通常学級の担任だと、授業中落ち着けない子がいたらまずこういう手を考えるだろうなあ。時代的にも特別支援教育とか言われる前だし。また言われていたとしても診断名も対策も無いみたいだし。

 まあ、今だと「相談と合意」は大切だし、されるようになってるかな。

 この漫画は、河崎さんが武田仁さんと相葉奈央子さんに取材して漫画にまとめはったものでしょうね。ですから河崎さんが注目せず、また武田さんや奈央子さんが強調されなかった部分は描かれていないと思います。その上でですが、

「見てわかるもの」での対応が描かれていない(実際に無かった可能性もあります)のは少し不満です。通して読んでいて隼也君は音声言語ですべてやりとりしてうまくいく方では無いような気がしますが。ここに出てくるのは「音声言語」「具体物」「繰り返しやらせる」ですね。

 また隼也君からの表現や選択は出て来ない。

 ところで(たぶん)特別支援学校高等部に入って初めての先生との出会いや授業。(これも実際には取材されてはおらず奈央子さんの記憶などで構成しているだろうし、正確かどうかはわかりませんが)

先生「相葉隼也くん。僕は誰ですか?」
隼也「吉田先生・・・」
先生「(写真とか見せるのではなく。また首からかけたIDカードを見せるのでもなく)それは中学校の先生です。僕は石橋先生です。」
隼也「石橋先生」
先生「石橋先生”です”」
隼也「石橋先生”です”」
先生「今日は何の授業がありましたか?」
隼也「・・・音楽」
先生「音楽はありません。国語の授業をしました。教えてくれた先生は誰ですか?」
隼也「・・・・」

 これは私には「いじめ」に見えます。少なくとも特別支援学校で隼也君のような生徒と行なって「良い」やりとりでは無い。ただし、こういう光景が「普通」にあったことは事実です。まあ、このエピソードがあったことかどうかは、上にも書いたようにわからないわけですが。しかし河崎さんや取材を受けられた方の頭の中にこのようなイメージがあったのは事実でしょう。そして今でも「普通」にされているやりとりかもしれません。

 何らの「見てわかる手だて」なしで音声言語で問いつめて行く。

 1988年の映画レインマンの最後に近いシーンを思い出します。
−−−−−−−−−−−−−−−
レインマンより。

 それから、最後の方の彼の処遇を決めるシーン、で措置を決める人がレイモンド(ダスティンホフマン。自閉症役)に何度も質問をします。で弟(トムクルーズ)が

「もういい、やめろ。(ALL WRIGHT,ALL WRIGT)」
「彼を辱める事はない」

というシーンが出てきます。

 処遇を決めるシーンのセリフは英語に堪能な方が教えて下さいました。

No, no, all right, all right.
You made your point, OK?
You, you don't have to humiliate him.

−−−−−−−−−−−−−−−
 
 個別懇談会で先生から

「ただ友達に対して少し言葉が乱暴ですね。それから人の名前や自分のやったことを憶えるのが苦手でまちがったことを言ってしまい、結果的にウソをついたことになったりします。これでは対人面で問題になりますし就職も不利になります。でもくり返し憶えさせることで克服できるでしょう。あの子たちは磨けば光る原石ですから」

 ここは「いい場面」として描かれているようです。私には???手だてが「くり返し」以外、何も示されていない。

 とうふ工房にて、支援員さん(?ジョブコーチ?従業員さん?)との会話。朝、やってきて隼君がぬっと立っている場面。

員「(後ろに立っていたので驚いて)隼也君・・・!?」
員「隼也くん。入ってきたらあいさつをしましょう。おはようございます」
隼也「おはようございます」

 うーん、よくはわかんないすけど、全体を読んでいて隼也君に「おはようございます」を言ってもらおう、というのは厳しいような気がするのですが。特別支援学校の子が地域校の特別支援学級に交流に行き、「おはようございます」を言うように強制され、その1日であと2週間くらい激しいチックが出たことがあります。


隼也 箱を2つ一度に運ぼうとして危ない状況に。
員「ダメッ・・・! 危ないっ!」
隼也「(どうしていいかわからなくなり歩きまわりながら)危ない・・・危ない・・・危ない・・・」
員「大きな声を出したごめんね。落としたら危ないから一つずつ運ぼうね。」
隼也「・・・・」

 「一つずつ運ぼうね」はいいですね。「危ないから」はわかりにくいだろうな。絵で描けばまた別かもしれないですけど。こういうシーンでは「責任持ってやってね」はわからず混乱させ「○○を□□に置きます」と具体的な指示ならよくわかる、というようなことは

自閉症でOK! VISUALメッセージライブラリー2

に出てきます。10年以上前の冊子です。

 あととうふを買って下さったお客さんに「ありがとうございました」と隼也君に言ってもらうのに「隼也くん『ありがとうございました』は?」と「指導」するシーンも出てきます。これで隼也君が言えるようになったみたいに描かれています。

 う〜ん、どうかなあ。私なら私がやって見せての「モデリング」と、「お話ツイン」や「4コマメモ帳」で絵とセリフを描いて「お客さんに袋を渡す時に『ありがとうございました』と言います」というのを伝えるかな。

 全体に「見てわかる手だて」が出てこないのが、すごーーく気になりました。

 なお、障害のある人の職場を広げようという武田仁さんの実践には敬服するばかりです。私も引退した人間だし、実際に「やっておられる」人に何も言うことはありません。

 ただ、漫画を描かれた河崎さんにはよくおわかりにならなかったこともたくさんあるだろうし(それは当然のことです。専門家では無いでしょうから)特に特別支援学校高等部やとうふ工房での「指導」というか、「自閉症の人への関わり方」の部分で、これを「いい話」と思われたら困るので、いらぬことを書かせて頂きました。何かもう「いつの時代のことなんだ」という感じがして。

 「光りとともに・・・」は少なくとも、ここに描かれている地点よりは前に進んでいたと思います。

posted by kingstone at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

syunさんの講演(たぶんsyunさんが生まれて初めてのもの)

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 syunさん、どうもです。
 kingstoneです。

 うう、帰ってきたらデスクトップのメールの調子が悪くてストレスたまる、たまる・・・・・

>参加されてた方、何か感想でもあったら教えてください。

やっぱりあれだけたくさんの写真と、まとまった時間での話があるとよくわかりました。

「今、ここでできることで、楽しいこといっぱいしようよ」

っていうことやなあ、と思ってお聞きしていました。

 ほんま、いろんなところからまた声がかかると思います。
 「まぼろし」なんて言わないで、これからも講演にどんどん行きはって教えてあげたらいいなあ、と思いましたです。

posted by kingstone at 09:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実践研究大会にて「構造化のパワーに気をつけろ」の元ネタ

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


※「構造化のパワーに気をつけろ」の元ネタですね。


 kingstoneです。

 まあ研究会も講演も内容や雰囲気がわかるのはお金を払って参加したものの特権かもしれませんが、内山登喜夫さんからは許可を得れたので、お話の中に出てきたエピソードを。

 ノースカロライナで研修を受けている時にJackWallから言われたこと。

「彼らがどうわかり、どう考えているのか推測するのが大事。そのためにも彼らをよく見なさい。表情も」
「情報処理には時間がかかる。しかも今日と昨日では違ったりするんだよ」

 内山さんが研修を終え帰国するために空港に向かう車の中で

「お前は構造化のパワーを知っただろう。気をつけろ。パワーの使い方に気をつけろ。気をつけないと、構造化は見えない檻になるぞ。TEACCHの基本はヒューマニズムなんだ。自閉症の子ども・大人の自己実現を大切にすることなんだ」

 ハリー・ポッターやゲド戦記みたいに、魔法使いが弟子に伝える言葉みたいですね。

 これだけでも、横浜に来たかいがあります。

−−−−−−−−−−−−−−−
 ハルヤンネです。

 カッコイイ!!!

 私がTEACCHを好きな一番の理由は、「基本的人権が守られているから」ですが、いつも思うのは、援助する大人側の人権意識が問われてしまうということ。

 昨年の私自身のヒットの一つは、大阪でジャックさんの講演を聞けたことです。
 レジュメとノート二冊分、そのままにしていますが、いつかレポートにまとめたいです。

 ホントに珠玉の言葉が並んでいるのです。

−−−−−−−−−−−−−−−
 ハルヤンネさん

>  カッコイイ!!!

 ほんま、Jackの言葉ってカッコイイんですよね。
 あこがれます。

 Jackに5日間トレーナーをしてもらったので、姿や口調が思い浮かびます。

 さて、明日は生syunさんの講演だ!!

posted by kingstone at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私はもう逃げない 島田律子著

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。

 こんにちは。
 KING STONEです。

 現在横浜に向かうのぞみの中です。
 「そこにいるしかない」時間は普段読みにくい本を読むのにぴったりです。今回は

「私はもう逃げない」島田律子著(講談社)
1600円

 を読みました。自閉症の弟さんとのあれこれを書いた本です。

 裏表紙の著者近影を見るとへえきれいな人やなあ・・・説明を読んだらもとスチュワーデスで「恋のから騒ぎ」がきっかけでタレントやってはる方だって。

 弟さんは1971年生まれ。
 そして2歳の時に当時東大精神科児童外来で佐々木正美先生から「自閉症の可能性あり」と告げられ、また佐々木先生は自閉症について今だったら決してされないような説明をしてはります。30年前・・・・

   追記
    本棚を探したが見つからず、佐々木先生がどうおっしゃったかは確認できませんでした。

 弟さんとのやりとり、実はつらくて何度も中断しながら読みました。学校で「怖い」先生との出会いでいろいろ身についていった(?)ようす。困った行動(?)を取った時、著者にも叩かれるようす。

 今だから言えることだけど、自閉症にたいする理解があれば、楽に改善できてたり問題にならなかったりしたところがたくさんあるだろうな。

 そして入所している施設が2000年から「TEACCHプログラムの一部を導入」したと書かれてて、「まるで魔法のように成果をあげている」と書いてはります。

 もちろん魔法ではなく、アセスメントをして、本人さんにわかるように再構造化を繰り返すからなわけですが。

 29歳にしての出会いだけど良かったな、と思いました。

 ちなみに解説は佐々木正美先生が書いてはります。


 なお、題名だけはどーにかならんかなあ、と思いましたです。ほんま「逃げたってええやん」もちろん「逃げなかったってええやん」なのですが、この「逃げる」って言葉自体に「良くない価値」が与えられているようで・・・・

posted by kingstone at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1月17日(月曜日)  阪神淡路大震災の日

 おはようございます。

 昨日、ブログにエントリの大きなリンク集を作ったけど、(作業そのものはたいへんだったけど)画面の描画などはあまりストレスを感じなかった。「こんなもん」と思っているせいかな?

 とてもいい天気。
 でも寒そう。

posted by kingstone at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする