kingstone 地震から一夜が明けました
(18) 95/01/18 07:31
昨晩はうちの家族はジャンパーやコートを着たままふとんに入りました。
それでも余震が続いており、うちの家もいつどうなるか、と思うとなかなか熟睡はできませんでした。
しかし、まだ家があるだけ幸せなのだ、ということがテレビを見ているとよくわかります。私の肩のダメージも思っていたより大きいみたいですが、子供たちのケガとひきかえだと思うとありがたいくらいのもんです。
うちの学校は校区が広く、一番被害の大きい地域にもたくさんの子供たちがいます。子供・職員ともなかなか連絡がとれません。
これは知的障害特別支援学校の方
(18) 95/01/18 14:36 コメント数:1
私の学校では、今週いっぱい休校ということになりました。まだ、連絡がつかないところがたくさんあります。電話が随分つながりやすくなってきて、続々と無事の知らせが届いてはいますが、中にはとても悲しい連絡もありました。すぐに駆けつけたい思いですが、市内の交通事情では、それもままなりません(;_;)
我が家では、ようやく電気、ガス、水道の全部が復活して、普通の暮らしができるようになりました。スーパーが大行列で、食料品の確保が十分ではありませんが、何とか食いつなげそうです。
実家の方は、倒壊までには至っていませんが、大きな余震があると、倒れるかもしれません。私の両親は、近くに住んでいる次男(私が長男(^。^))のところに身を寄せています。
死者がついに2000人を超えました。テレビで紹介される名前の中に、知っている名前があるのは、本当につらいです。
kingstone オンラインで
(18) 95/01/18 16:05 コメント数:2
うちの学校も今週一杯は災害復旧にかかるだろう、ということでした。
私は鎖骨を骨折してました。
悲しい報せは入ってないのですが、連絡がまだつかないところがありますから・・・・
この日、形成外科に行きました。断水で診療をお休みする医院が多い中、開けて下さっていたのはありがたかったです。レントゲンできれいに線が入っていました。この時点で、17日朝、両腕を使ってタンスを動かせたのがとても不思議でした。
私の地区はケガ人も少なかったのですが、その統計の中に私が入っているのだと思うと、何か恥ずかしかったです。なんせタンスの前で寝るという無防備なことをしていたのですから。
茨城県の百里基地の自衛隊員と思われる方からの書き込みがありました。フル装備で出動準備をしているのだが、閣議決定が無いために出動できない、と苛立っておられました。何もできないけれど献血に行って来た、という方も。
kingstone ご心配をおかけしました。
(18) 95/01/18 23:34 コメント数:2
あ、言いっぱなしでご心配をおかけしました。
ねぼけまなこで偶然タンスを肩で受けたのですが、その後すぐ真っ暗でわけのわからない状態のまま、とにかくタンスを持ち上げ、妻に長男を横に出してもらいました。3つあったタンスのうち、丁度次男の横にあったものは倒れずにすんでました。
たぶん、直後はいろいろ動かしたり作業したりしていたのですが、学校へ行ったあたりからだんだん重い物が持てなくなりました。しかし食事をしたり、パソコンを打ったりはできてましたので単なる打撲だと思っていたのです。
まあ念のためと思って今日近所の医者に行ってレントゲンをとってみたら骨に線が入っていて、「骨折やね。ただずれてはないから1週間様子を見よう。その時点でずれていたら針金を入れよう。とりありず、飲み薬と湿布と三角巾をしておこう」ということでした。
ところで、この医院は昨日から診療をやってはりました。ありがたいことです。外科も科目になっているので、ケガをされた方も来てはります。近所では営業していない医院も多いです。お医者様がいても看護婦さんがいないからとか・・・それなりの対応で何とかなりそうなもんだけど・・・また長男もちょっと嘔吐することもあり、あいてる医者をさがしても「うちでは子供はやってません」とかいう医者もありました。
昨日ま夜中に岡山の親戚が急に現れました。電話もつながらないので、安否を気遣いとりあえずと思ってということで、水を持って来てくれていて、すぐに帰りました。骨折で水をもらいにいけないので、たいへん助かりました。ひょっとすると大渋滞を原因の1台ではあるかもしれないのですが・・・・今日もうちのまわりでも大渋滞でした。自助努力の問題と公的な救援体制のからみをどう解決していくか、結構たいへんだなと思いました。(あっ、これ読んだ人。こようなんて思わないでね。とりあえず大丈夫ですから。で今は公的な支援体制を先に作らないといけないと思いますから)
この親戚の一人が保健所を勤め上げて退職なされた方なのですが、昨日も学校に行った話をすると「そうじゃ、公務員は災害の時はでにゃおえん(出なければいけない)」と力強くおっしゃったのに妙に感動しました。しかしながら、この肩の状態ではしばらく何もできないのが歯がゆいですが。
実際、今日も清掃車が数少ないながらも動いていたり、郵便配達をしてはる方がいらしたりすることに何か感動を覚えました。実際、現場の者は消防も警察も精一杯やってるというのがひしひし伝わります。もちろん人手も器材もなく、またどう動いていいのか指示を出す方も茫然としてしまい、とりあえず目の前のことからやっていっているということなのでしょう。
テレビでも医療ボランティアや土建関係のボランティアを募集していました。今日も土建屋さんの車がボランティアのマークをつけて動いているのを見かけました。ただし、渋滞で身動きがとれないようでしたが。
昨日のかなり早い段階で近所のスーパーが店を開いたのにもびっくりしました。また今日はかなりの数のお店が小繁華街では開いています。もちろん物資の流入が悪いので「とりあえず食べるもの」なんかはきれいさっぱりありませんが、それでも少しは心が落ちつきます。あっ、ものすごく並んでいるスーパーにはそういうものも少しはあるのかもしれません。
学校の子供には連絡をつけようと努力していますが、まだつかないところも多くあります。しかし大きな被害を受けたすぐ横だったが、大丈夫だったという報告を受けたりもしました。
親戚の持って来てくれた物で、あとすごく役に立った物に携帯ガスコンロがありました。まだうちには買ってなかったので。これで暖かい物を作って食べることができました。
震災とインターネット―「神戸からの提言」/田中 克己

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