ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み (中公新書)/本田 良一

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ルポというより資料的な意味合いが強いかな。
グラフ 被保護人員、保護率の年次推移
1951年度 2,046,646人 24.2パーミル(パーセントを10倍した数?)
そこから右肩下がり
1995年度 882,229人 7.0パーミル(ここが底。そこから右肩上がり)
2008年度 1,592,620人 12.5パーミル
※保護率 1000人当たりの保護人員を示す数値
ってことは「どんどん増えてる」というのは1995年からのことで、1951年よりは少ないわけだ。
釧路市 2009年12月の保護率は過去最高の50.2パーミル
「水際作戦」これは窓口に相談に来た人をあの手この手で追い返すこと。
「硫黄島作戦」これはよくわからない。硫黄島の戦闘は太平洋戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害実数が、日本軍を上回った稀有な戦いですけど。(Wikipedia)
市民からの通報「昼間から酒を飲んでいる」「パチンコへ通っている」
う〜ん、人の趣味には何とも口を出せないと考えているのですが。私がお酒もパチンコもたしなまないのは、たまたまだし。お酒は飲めないから。パチンコは負け続けてただの一度も勝ったことがないから。これが「飲める」体質だったり、一度「大当たり」してたらどうなっていたかわからないな。で、私がうつがひどかった時、この両方に依存的になる可能性はおおいにあったと思います。まあ逆に言うと、依存とか適度に楽しむから逸脱するのは、他に楽しみが無いからだとも言える。コミュニティの中に楽しみが無いというか・・・
2005年度釧路市市民経済計算
水産業が釧路市で生み出した付加価値 71億円
酪農を中心とした農業・林業を加えた一次産業全体 111億3000万円
生活保護費支給額 117億7000万円
「第四の基幹産業」と言われている。
2009年11月 事業仕分けで「生活保護受給者のうち就労能力がある者の支援対策費」は異例の前向き見直し。
イギリス
18世紀後半 産業革命
19世紀 世界の工場
1857年、初めて世界的規模の経済恐慌
その後ほぼ10年周期(ってことは岩倉使節団も見てるな)
海運経営者チャールズ・ブース(1840〜1916)の調査
「ロンドン民衆の生活と労働」1902〜1903
1.ロンドンの全人口の30.7パーセントが貧困状態
2.原因は個人の生活習慣でなく、雇用問題と生活環境問題
老齢年金の必要性
製菓工場経営シーボーム・ラウントリー(1871〜1954)
家事使用人を置いていない家を労働者階級と定義
「貧乏−地方都市生活の研究」1901
「貧乏線」「第一次的貧乏」「第二次的貧乏」
貧乏線の消費水準。最も安い商品の価格を積み上げて算定「マーケット・バスケット方式」
貧困世帯(第一次的貧乏+第二次的貧乏)は労働者階級の43.4%
総人口の27.84%
低賃金が最大の理由
1906年学校給食法
1907年学校保健法
1908年無拠出の老齢年金法
1909年賃金委員会法
1911年国民保険法(健康保険+失業保険)
1934年失業法(1929年の大恐慌のため)
ドイツ
1850年代から70年代にかけて労働人口の増加、窮乏化、社会主義勢力の伸長
1878年社会主義者鎮圧法(ビスマルク)
1883年疾病保険
1884年労災保険
1889年年金保険
取り締まりと福祉の増進
1942年イギリス 社会保障計画(ベバリッジ報告)「ゆりかごから墓場まで」
フラット・システム収入にかかわらず同一拠出金・同一保障
「資力のある者はたくさん納税するからこれで公平」ベバリッジ
日本
1874年(明治7)じゆつきゅう規則「あわれみ救うこと」「隣保相扶」
幕藩体制での浮浪者病人収容施設・飢饉に備えた備蓄などは廃止
戸籍上の確認がされたため浮浪者は排除
1890・1902救貧法などは「惰眠をつくり貧民の数が増え、国費が乱調される」と成立せず。
1929(昭和4)救護法
1937年軍事扶助法・母子保護法
1938国民健康保険法
1941医療保護法
1942戦時災害保護法
1946生活困窮者緊急生活援護要綱
生活保護法
1946年11月3日公布・1947年5月3日施行日本国憲法
25条一項「生存権」
貧困の連鎖 貧困と学力
生活保護を受けるためには車を持っていたらダメ。うむむ先日裁判があったけど・・・どうなったっけ。貯金は確か3万円(場合によるみたいだけど)以上あったらダメとか。だから貯金があったら「使ってしまってから来て下さい」と言われることもあるみたい。だからこれを「丸裸にしてから着物を渡すようなもの」という意見があるらしい。
中にも書いてあったけど、「貯金は少しはある」が「収入が無い」人は不安でたまらないだろうな。まさに私ですけど。
釧路の福祉事務所では「自立支援プログラム」もやっている。
まず、生活が規則正しくできるようにする。
次に生活保護受給者にできそうなボランティアを紹介する。障害者の作業所であったり、高齢者介護施設であったり、公園掃除であったり。
次に少しお金が貰える活動で、次に就労だったかな。
私は「ボランティアを考える」の中で「生活の方が本当に追いつめられてしまうと」ボランティアもできない、みたいなことを書いたけれど、これはまさに生活保護によって少し余裕ができたからできることだろうな。
で、ボランティアをすることで「認められる喜び」「生き甲斐」みたいなものを見つけていきいきしてきはると。もちろんうまくいった例もあればうまくいかなかった例も出てきます。
またボランティア活動とかを組織したところで市役所としては価値を生み出していないのじゃないか、という意見に対し「公園掃除はお金を出して頼めば年5〜60万円かかるのだから、それだけの費用を生み出している」という意見もあるそう。
また「株式会社ビケンワーク」という産廃処理会社の場合は実際に利益を生み出しそうとのことです。
で、経済的自立の他にも日常生活の自立とか社会的自立(社会参加)とかも大事じゃないか、みたいなところが出てきます。そうだと思います。まあ障害などによっては日常生活も支援が必要で「自立」というより「自己決定し、支援してもらう」みたいな方もいらっしゃいますが(それを「自立」と言ってもいいんですけど)
ただ自立支援プログラムについては福祉事務所の方も「本来の業務では無い。本来の人員は別の仕事に割り当てられており、やれと言うなら人的・財政的裏づけが必要」という意見を述べておられて最もだと思います。でも新しいことを始めるにはいつもこの問題は出てきますね。
釧路のコミュニティハウス冬月荘
こちらでは生活保護家庭のお子さんが塾に通えないなどの問題を解決するために中3の子どもたちに勉強を教えることを始めたそう。本の中のルポを読んでいると、学習塾と言うだけでなくフリースペース的な活動になっているようです。実際に不登校のお子さんが、すぐになじんでいろいろ活動を始めたりもしたそう。
また教える方でも生活保護を受給している人が教えにきたり。で、そこでまた新しい人間関係ができたり。
ブログはこちら。
江戸川三中勉強会ってのも紹介されてました。
いろいろな試みがされているのですね。
昭和31年(1956)厚生白書の結語は
「(国民の健康・生活の質の向上は)不可能な願いではない」
だそうです。厚生官僚の方も、ええこと書くなあ。(1956年だからこそかもしれませんが)
本の中で紹介されていた厚生労働省関係の審議会(?)の報告書とかもいいこといっぱい書かれてました。
あと出てきた言葉。
給付付き税額控除→ベーシックインカムへ
社会的包摂