お江戸豆知識というページがありました。時代考証をされた山田さんって方が書いています。面白い。
第1話の「ごはん」を食べるシーンについて
「あのご飯の盛り方はちょっとマンガチックだったけれど(笑)、あながち間違ってもいないわね。江戸の人たちは、ひとりで1日5合ぐらいの白米を食べていたから、朝からあのぐらい(約1合強)は食べていたんじゃないかしら。その他のメニューを見てみると、御御御付(おみをつけ)に梅干し、なすとだいこんのお漬物。夕食時、これにめざし(干物の一種)なんかがつくと、「今日はごちそうだねぇ」って感覚だったと思うわ。めざしもそうだけれど、昔は梅干しも超高級品だったの。」
5合ね。
第3話のコレラ対策で水分補給のためのORSを作るシーンで。砂糖を長屋の人たちが使っているのが不思議でしたが。
「この時代の庶民たちが、塩や砂糖を簡単に手に入れることができたのか・・・。」
「一方で、砂糖は国内でも琉球や徳島あたりでしか生産されていなかったし、確かに高級品ではあったのよ。だけど、江戸の味といえば「甘辛」というぐらい、甘いものをこよなく愛していた江戸の人々。どこからその砂糖を手に入れていたのかというと・・・実は、幕府が海外から大量に輸入していたのね。鎖国中にも親交のあった国・オランダから輸入していたものの中でも、一番比重を占めていたのが砂糖だったという記録が残っているほどなんだから!」
長屋にあったかどうかはわからないですが、相当量は輸入されてた、ということですね。
遊女に身売りする値段について。
「貧しい家が生活のため幼い子供を売るというもので、相場は文化年間(1804〜1818)で3〜5両(約24万〜40万)。この子供は禿(かむろ)と呼ばれ、花魁の部屋子として身の回りの雑用などをしながら読み書きを習ったり、遊女になる教育を受けていくわ。もうひとつは、娘に成長してから売られてくるパターンで、すぐに客がとれるということから10両(約80万円)の値で売買されていたの。」
幼い子で40万円。娘で80万円。う〜ん。現金収入が無い家にとっては目もくらむような金額やったんやろなあ。
火を使うことに関する決まり事について。
「江戸の町には「大きい火を使ってよいのは原則夕刻の6時まで。ただし、風の強い日、将軍が江戸城から外出する日は火を使ってはならない」という決まりごとがあったのも、これまた事実。」
そうかあ。まあ昔は夜が早いだろうから夕刻6時以降禁止でもやっていけたのか。
「毎日のように女郎たちがヒマな時間帯を狙って吉原へやってくるのが貸本屋さん。」
この前の部分に「女郎は手紙を書くのが仕事のようなもの」というのもあったし、識字率というか読み書きの力は高かったんや。