私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年12月12日

正岡子規 河東碧梧桐 坂の上の雲

正岡子規(1867−1902)の句

  柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺

  松山や 秋より高き 天主閣

  春や昔 十五万石の 城下哉

「柿食へば・・・」以外知らなかった。


河東碧梧桐(1873−1937年)

  蕎麦白き道すがらなり観音寺

  赤い椿白い椿と落ちにけり

  相撲乗せし便船のなど時化(しけ)となり


高浜 虚子(1874年−1959年)

  遠山に日の当たりたる枯野かな

  春風や闘志抱きて丘に立つ

  去年今年貫く棒の如きもの


袁 世凱 は画面に出てきた時は「こんな太った人と違うやろ」と思ったが、残っている写真を見ると似てる。

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自分の頭で考えるということ 羽生善治 茂木健一郎 対談

 図書館で借りて来ました。

自分の頭で考えるということ/羽生 善治

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 めっちゃ面白かったです。

第1章 「知性」とはなにか

茂木「通常我々は、見ているものの中心に注意を向けているように思っていますが、実際には、たとえば気になる女の子がいた時、そっぽを向いているふりをしながら、女の子に注意を向けていることってあるじゃないですか。ですから『注意』と『注視点』とは、ずれるものなんです。
 注意の定義は、『脳の中のある活動に資源(リソース)を割り当てる』ということなので、脳内の活動だったら何に対してでも注意を向けることはできる。」

 ふむ。自閉症のお子さんが、対象へ目を向けず、目の端で対象を捉えていることも多いですが。

 この後、羽生の考えている時は目をつぶる。さらに(目をつぶっているのに)手で目を覆う、という話。でも「目隠し将棋(昔、めくら将棋と言ってたけどNGワードになったのですね)」の場合は、本当に目隠しするより、目を開けている状態のほうがやりやすい。

 羽生が別のところで

「現代は将棋の戦術の最前線まで、高速道路を使ってパッと行けるけれども、その先が渋滞している。」

羽生「たとえばAさんがこういういい手を指したから、以前とは結論が変わってこういう作戦ができた、という時、現在はそれが公式戦に登場する前に、練習やネット上の対局などの実戦の場で先に結論が出ているんです。そこまでの情報を皆が共有して、また次の段階に進んでいく。逆に言うと、いま表に出ている情報に有益なものはそう多くありません。それがここ四、五年くらいの傾向です。」

 そうやろなあ。自閉症の人への支援だったらどうだろう。情報はネットにあふれていると思うのだけど。

羽生「(情報ネットワークに背を向けて直感で戦う棋士について)いや、そういう人もいます。でも狙い撃ちにされてしまうので勝ち越せないですね。」

羽生「(情報ネットワークでたくさんの人が深く研究し、知識が細分化しているので)そうです。この形だったら、私よりも三段の奨励会の子に聞いた方が詳しいですよ、ということはよくある話なんです。」

 で、それを知っていて若い人にも聞く、ということやろな。

羽生「(かなり序盤から調べ尽くされているので)ちょっと専門的な話になってしまいますが、『相振り飛車』というお互いに飛車を横に振って戦うという作戦があります。これは今までほとんど・・・全体で言えば5%くらいしか出てこなかった作戦でしたが、近年大流行しています。それは自力で考えられる楽しさがあるからなんですね。」
茂木「まだそれほど研究し尽くされていない、がゆえにロマンがあると?」
羽生「過去形になりつつありますが・・・。」

 相振り飛車かあ。

羽生「その傾向が促進されたのは、権威の存在と関わっていると思うんです。権威がなくなってしまえば何をやってもいいわけですから、自ずと煮詰まる方向に突き進むしかありません。」
茂木「将棋界からは権威がなくなってしまったんですか?」
羽生「過去にはありました。江戸時代から昭和初期までは脈々と続く家元制度ですから、その時代は権威の塊みたいなものでしたけど、情報化が進むうちに、たとえば内弟子みたいな制度もなくなり、上下関係の厳しさも緩やかになって・・・ということで自然とそういう方向に進んで行っているということですね。」
茂木「いま気づいたんですが、羽生さんからうかがう限り、最近の将棋の棋士の方はIT関係の人に感覚が似ているようです。ITの世界では、本当に権威自体には意味がないんですよ。大企業のCEO(最高経営責任者)でも、金持ちでも、ある問題についてどれくらい知識やセンスを持っていて、何が言えるかというところにしか意味がない。全部オープンなんですよね。あの人はこういう偉い人だから・・・という価値判断はあまり関係ない。」

 まあ、自閉症の人への支援でもそうやなあ。大学教授とか精神科医とかの権威者がずいぶんとんちんかんなことを言ってたもんなあ。でもそういう人、消えたのかな?あと、CEOとかお金持ちとかは、IT以外の部分では「資本を出す人」「資源を割り当てる人」という意味で大事なんだろうけど。

茂木「現代はそういう時代なのかもしれませんね。この問題と関係するかもしれないのですが、あれだけ一人勝ちしているグーグルは、やはり大きな変化の象徴と言えるのではないでしょうか?というのは、脳のはたらきの中でも、直感とか創造性というものは機械では再現できないということで、三十年をかけた人工知能の研究は失敗したとみなされていた。そこには原理的な壁があると、九十年代に我々脳科学者は思っていた。ところがグーグルがやったのは、身も蓋もない古典的な人口知能の手法だった。それでもやることが実はたくさんあって、グーグルはそれを愚直にやった。それが大成功しちゃったんです。直感とか創造性に対してロマンティックな信仰を持っていた人たちは、敗れつつある。それが現代の潮流です。」

 ほお、そうなんかあ。直感とか創造性を人工知能(ってコンピュータですよね?)に求めることは失敗したけれど、ネットやハードの進歩によって、今までのアルゴリズムを利用し、情報を集めることで成功した、ということかな。

茂木「ディープ・ブルーがカスパロフを破ったことだって、別にディープ・ブルーがカスパロフと同じ思考力を持ったとは誰も思っていないんです。だから未だに人間の知性とか直感の機嫌ということについては神秘的な印象が残っている。でもそれが神秘だと言ってもしょうがないなという気分がある。今日やれることをとりあえずやりましょうという、非常に現実的な感覚が支配しているなぁという感じなんですよね。」
羽生「あれはもう十年以上前ですよね。見ていて、やはり明らかにコンピュータが指しているというのがわかる。」
茂木「どうしてわかるんですか?」
羽生「これは人間は生理的に絶対にささないだろうという手を指しているんです、ディープ・ブルーは。」

 羽生さんはチェスも強いそうですが、わかっちゃうんですね。

茂木「序盤の難しさは何に由来するのでしょう?」
羽生「やはり目的がはっきりしないということじゃないですか。(中略)
 コンピュータはひとつの法則に従って、ゴールに一直線に向かうことを得意とするはずですが、ゴールに向かわずに途中で戻って来ちゃうとか、価値観がどんどん変わっていってしまう、なんて状況はたぶん苦手なはずです。そういうことと序盤の難しさは密接に関係していると思いますね。」
茂木「人生には、将棋で言えば、『序盤』に相当する部分が意外と大きいですよね。たとえば学校教育では、当初ガチガチに教科を決めて教えます。そうしないと逆に途方に暮れてしまうのかなと、最近思っているんです。」

 ボナンザについて。

羽生「奨励会の子が、一手十秒の超早指しならかなり負かされているのを見ています。どういうことが起こっているかというと、「Bonanza」はとんでもない手を指すんです。とんでもないけど、なぜか具体的に咎めるのは難しいという手を指してくる。人間が持っている発想とか着眼みたいなものの死角を突いてこられているという感じがしているんです。」

 そんな強い将棋ソフトがあるんですね。しかもフリーウェア。で開発者の保木邦仁氏は自称11級。(大体、少し勉強した初心者が将棋会所に行くと5級くらいから始めることが多いです。実際、どなたかが保木氏を5級と評価した話がどこかにありました)つまりめちゃ初心者ということ。実際に、チェスのソフトの思考ルーチンを採用していたと言うことですし。

羽生「美意識はものすごくあります。将棋のトッププレイヤーには非常にたくさんのこだわりが・・・むしろそれが最大のモチベーションになっていると言ってもいいですね。最も美意識が強いのは谷川浩司さんです。
 対戦していてわかるんですけど、谷川さんという人は指し手にものすごく制約があるんです。自分の美意識ではこの手は指せないし、この手も指せないし・・・という制約がすごくたくさんある。だから強いんです。普通は『だから弱い』はずなんですけど。」

羽生「コンピュータになくて人間にあるのは、恐怖心みたいなものだと思うんです。それが同時に美意識をも生んでいる。だから美意識や恐怖心を持ちつつ、完璧に自分の中でコントロールできれば、そっちの方がいいとは思うんです。ただそれは相当困難というか、本当にそんなことができる人間がいるとは思えないんですけれども。」

 なるほど。「恐怖心」に限らず喜怒哀楽の感情、そういったものが無いでしょうね。そういった感情というのは、小さな微生物に走光性があったり、人間が体にいいものをおいしいと感じたり、体に悪いものを苦いと感じたり、とかそういうところからだんだん分化してきたものだとは思います。


第2章 進化とは何か

羽生「(将棋は自分も壊れながら攻めていく、という話から)昔流行ったインベーダーゲームで自分の陣地を壊していくのと似ているような・・・。慣れちゃえば別にどうってことはありません。もともとそれを前提にやってますしね。しっかり守って勝とうというのではなく、自分の陣地も壊しつつ、どれだけ持ちこたえられるかということを考えて指すゲームなんです。だから本当に最後はもう全財産を注ぎ込んでいく。
 そのぎりぎりのところは指していてものすごく面白い部分でもあって、読みではなく、勘の世界なんです。盤面を見ていて、これは一手残りそうとか、これは一手足りなさそうだという勘にかなり頼っている。」

 で、他力本願の話。

羽生「うーん・・・。他力思考にはなりますね、ずっと将棋をやっていると、自力じゃどうしようもなくなるので、他力本願だという気がします。極端な話、一手指した瞬間に自分の選択権は無くなるんです。もう何もできなくなってしまう。」
茂木「相手に預けるわけですよね。」
羽生「ええ、何でもやってください、どうぞご自由にということをやらなくちゃいけない。そうすると自力で頭を捻って何とかして上手くやろうというよりも、もう好きなようにやってください、という発想になってくると思います。だから、実は将棋には闘争心はあまり必要ないと思っているんです。戦って相手を打ち負かそうなんて気持ちは、全然必要ない。」

羽生「そうですね。でも相手が先に態度を決めれば、こちらはそれに合わせてまた一番いい組み合わせを選べるということですから。」
茂木「そうか、そうか。敵と味方で共有する資産みたいなものなんですね。」
羽生「そうですね。だからこそあまり闘争心も必要がない。」
茂木「じゃあこの手を打ったら、もうあの手しかない、というような打ち方は、もちろん最終盤は別として、あまりしないということですね。」
羽生「そうですね。単純化の方向へ行ってしまると、最後で一手足りないというケースが非常に多いですね。」

 ここで出てくる「他力本願」は「大きなはからい(浄土宗や浄土真宗では阿弥陀仏)にお任せする(他人に依存するというのではなく)」というもともとの意味に非常に近いと思います。もちろん事前の研究など自分自身での努力はしている。しかし本番はもう自力を捨てる。

 別に「他力本願」は日常の様々な努力を否定するわけでは無いですもんね。ただ「救われる」理由を「自力の修行」などに求めないだけで。

茂木「羽生さんたちの将棋のプレイスタイルは、単なる『引用』とか『参照』、『編集』ではない、いわゆるポストモダンの先にあるもの、という気がします。そういうものがこれから人類社会の様々な局面で出現してくる。将棋の世界でそのような動きが一歩先駆けて起こっているのでは?
 ポストモダニズムはどちらかというと偽悪的というか反神学的で、価値はすべて平等であるというところからスタートして、少しやけなところがあった。一方、最近の動きの象徴であるグーグルはもっと建設的というかポジティブです。変な話ですけど、グーグル周辺の人たちの思考は遅れてきたフラワーチルドレンというか、あの頃の理想主義者たちが考えていたことと近い。時代の歯車が一回転して、ポストモダニズムとは趣が変わってきた。それにはまだ名前が付いてない。
(中略)
 何と言ったらいいのかな。彼らはできることをやるんですよね、ガタガタ言わないで。そんなことをやってたも結局楽園には行けないよ、なんて言わないで、だだできることをやっていく。その感じがすごく新しい。その先に何があるんだろうって、思わず気になっちゃう。
 コンピュータが人間のような美意識を持てないというのはもう仕方ないことだけれども、だからといってコンピュータ的なものを敵視していたら今の将棋では勝てない。もちろんそれがすべてでもなくて、やはり自分の感性とか直感も大事である−−、この『ハイブリッド』な感じがすごく現代的というか、自分もそういう感じで行きたいと実は思っています。しかしそういう生き方にはまだ名前が付いていないんですよね。」

 なるほど。ポストモダンという言葉はよく聞くけど、意味は知らないなあ。今Wikipediaを見たら構造主義にもかかわっているのか。でもたいていの構造主義者はポストモダニストと呼ばれるのを嫌うと。

茂木「経済学では『効用関数』という概念があるんですが、これは要するに脳の中にある『嬉しさ』みたいなものの単位なんです。今、仮に人生という勝負は効用関数を最大化するということであるという命題を立てると、人は必ずこの効用関数を最大化するような行動をするはずなんですけど、なぜかそうはならない。それが現在我々が神経経済学で直面している大きな問題なんです。
(中略)」
羽生「まあ思考自体が元々合理的ではないですからね。少なくとも私は将棋の手を考える時、自分の思考のプロセスはまったく合理的でも論理的でもないと思っています。だから効用関数を最大化することに反するような行動が生まれても、それほど不自然じゃないのかなと。もちろん勝負に勝ちたいという気持ちはあるんですけど、何かを見つけたいという気持ちもやはりある。」

 「効用関数」という言葉は初めて見ました。でもそれが「嬉しさ」の単位だとすると、それは最大にしようと行動すると思うけどな。「みたいな」と書いてあるから「嬉しさ」とはちょっと違うんだろうな。

茂木「経験について考えるとき、質という要素を無視することはできません。将棋を指していて感じることとか思うこと。年間何勝何敗とかいう数字が残ったとしても、その数字自体に含まれている情報は非常に少ない。それが羽生善治の今年の成績ですという言い方をしたって、体験の内容については何も言っていないのも同然なんです。むしろその間に起こっていることの中に『実質』があるわけです。体験を表現する時、何勝何敗でしたという言い方はまったく適切ではありません。」

 これは教育の効果を測定しようとする時にも起こる問題ですね。あることを測定して数値にする。もちろんそれからも多くのことを学べるのだけど、実質は測定できる以外のとことにある。たとえば自閉症の人が「居心地いい」と思っていることをどう測定すればいいのか。

羽生「直感は感情と密接に関係しているんですよね。」
茂木「関わりますね。感情が関わる領域はもうコンピュータは無理でしょう。これについては大変面倒な話がいっぱいあるんです。
 現代の科学が人間の選択や行動をどう理解しているかと言えば、基本的に脳の中で効用関数みたいなものの計算をやっていると考えられているんですよね。コンピュータは律儀に効用関数を計算していちばんいいオプションを選ぶはずなのですが、脳は必ずしもそうはなっていない。直感というのは必ずしも最適化をしない感情のシステムから生まれてくるので、直感はいつも最適な回路を選んでいるとは限らないということなんです。
 だから直感が間違うことがあるのは当たり前の話。『最適性』や『正解』とは異なる基準がそこにはある。では、その基準は何なんだろうかというのが、いまとても関心があるところなんだけど、なかなかわからないんです。」
羽生「それは客観的に見て、自分にとって完璧にマイナスなことでも・・・。」
茂木「あえてマイナスの選択をするという現象がたくさん見つかっています。」

茂木「人間の場合は遊びの余地が大きいということです。動物はコンピュータのプログラムに似ている。昆虫になると、遊びの余地が少ないプログラムに近いんです。たとえば『蝶道』というものがあります。クロアゲハのような蝶は飛ぶルートがコンピュータプログラムのように決まっていて、森の中に明るい所と暗い所がパターンになっていると、もうこのラインを飛ぶと決まってしまう。
 一方、人間の場合は、どこをほっつき歩くかわからない。昆虫に比べると、人間の本質は逸脱です。だからミスをしてしまうのは非常に人間らしいことだし、そこに人間の知性の本質がるとも言える。」

羽生「(指してが正しいのは羽生の場合8割くらいかなあ、1〜2割は正しくないという話で)厳密に言うなら。ただミスショットなんだけど、方向性は間違っていないから、なんとか論理立って進んでいるように見えるのかもしれないですね。あるいはあえてミスが出にくい状況に持って行こうとしているから、そのくらいの確率で済んでいるという可能性はあります。だからそれこそランダムに適当な局面をどんどん出されて、いちばんいい手を見つけなさいと言われたら、9割の確率で正しい手は見つけられないという感じはします。」

 なるほど。「方向性」が大事と。一手一手のミスがあっても、その方向性があっていれば、全体としてはOKと。

第3章 「美意識」とは何か

茂木「論文を書くことについても、他人の論文をどう読み、精緻に文脈を作って、その文脈に自分の論文を当てはめるかという時代になってきているわけです。それはアインシュタインの頃とはまったく違います。1905年に発表された相対性理論の論文は、引用文献が一件もありませんが、そういうことは、現在ではあり得ません。審査を通らないからです。そういう部分を見ると、情報化によって息苦しい時代になっているなという感じがします。」

羽生「打ち歩詰めがダメということは、要するに革命はするなと(笑)。」

 ほお、そんな意味が・・・江戸時代にルールが固定されたからだそうな。まあ革命じゃなくテロによる暗殺かな。

羽生「最初はインドの双六です。駒にも当時の要素みたいなものが残ってますね。『金銀財宝』ですから。
茂木「貿易なんですか?金将、銀将が?」
羽生「そうです。その金銀で、桂、香は香辛料。」
茂木「ホントに?(笑)それはすごく興味あるな。要するに駒のやりとりは交易のメタファということなんですね。僕は今日この時まで戦争のメタファだと思っていました。チェスと将棋を比べてチェスは駒が討ち死にしても操を守って敵に寝返ったりしないんだけど、将棋は寝返るなんてまことしやかに言う人がいますよね。でもあれは実は交易をしているんだ。俺はこの銀は要らないけど、その角をちょうだいとか。」

茂木「駒落ち戦というのも変ですよね。チェスに駒落ち戦はありますか?」
羽生「ないですね。チェスにはそもそも『駒落ち』という発想がない。日本の将棋だけなんです、駒落ちというハンデをつけるのは。」

 ほう。囲碁だと「置き碁」というのはありますが。

 肢体不自由特別支援学校で将棋ができそうな子がいたんですけど、私がルールを教えてあげ、簡単な詰め将棋(一手詰め)とか教えてあげても、相手をして下さる先生方が駒を落とすのを嫌がって・・・「負けるのが嫌」って・・・おいおいそら平手やったらあなたが勝つだろうけど、子どもが全然面白ないやん。
 でも肢体不自由特別支援学校なんかでも、将棋だと他の外部の人とも交流できるし、やれるお子さんには非常にいい教材だと思います。

 江戸時代の名人(家元)も強いことは強かったという話。

茂木「庶民の間でもチャンピオンはいたんですか?」
羽生「そういう人が将棋の権威に挑戦するというケースはあったみたいです。」
茂木「道場破りみたいな人?そういう記録は残っているんですか?」
羽生「試合の棋譜が残っています。簡単に捻られていましたね。といっても家元ではなく、その高弟にやられていました。」
茂木「じゃあ本気で勝負しても強いんだ。これはますます面白いじゃないですか!」
羽生「恐らく民間の強い人は一門の中に引き入れられ、技術を完全に囲い込んで、流出しないように守ったんでしょう。」

羽生「今流行っているのは昔のセオリーに反している手ばかりなので、江戸時代の棋士はものすごく驚くような気がします。それから『高飛車』という言葉がありますよね、あれが流行っているんです。」

 高飛車ですか。飛車を浮く手。私が勉強してた頃はあまり指されなかったな。ひねり飛車の時くらいか。

第4章 「勝ち負け」とは何か

茂木「認知科学の視点からみて、勝ち負けってすごく深い話なんです。たとえ子供でもトランプをやっていて負けるとすごく悔しがるでしょう。だからどうだということもないのに、勝ち負けは人間にとって非常に切実というか、プリミィティブな情動を喚起するんです。勝ったからといって、俺の命令をこれから一生聞けということではなく、ただ勝った、負けたと言っているだけ。でも何かあるんです。」

羽生「それで思い出したんですけど、プロ棋士の人でもコンピュータの将棋ソフトを作っている人がいて、その人は勝つプログラムではなく、接待するプログラムを考えているんだそうです。」
茂木「相手に対しておもてなしをするプログラム?」
羽生「プレイヤーの力に合わせて指して、負けてあげる。なかなかできないらしいんですが。」
茂木「それを目指しているんだ。でもそんなプログラムに勝って嬉しいものなんですか?」
羽生「そうとわからないようにやるというのが究極の目標らしいです。今は実力の差をつけるといっても、ただ単に計算処理能力を下げているだけなんですよ。そうではなく、相手の力を見切って楽勝させろといえば楽勝させ、良い手を指されれば良い手を指し返す。そういうのができるかどうか。」
茂木「手加減というのも面白いですね。」

 なーるほど。手加減。

羽生「そうですね、最後までは絶対にやらないのも美意識の問題かもしれません。一手詰めまでやったら、絶対に顰蹙を買います。あるいは結果がもうわかっているのに勝負を投げない時もそうですね。」

 私なんか「投了図」から指しついで、負けてる方が勝っちゃうということもよくありますが・・・

羽生「(ネット将棋で)アマチュアもプロも一緒にやっていますけど、指し方を見ればプロはわかりますね。覆面でも匿名でも。」

 これはプロかアマかわかる、というのではなく、名前がわかる、ということ。

羽生「そうですね。面白い将棋と面白くない将棋というのはあります。つまらない将棋を指した時は、なにか一日を無駄にしたという感じなんですよ。」
茂木「勝っても?」
羽生「勝ってもそうですね。やはり勝敗とは違う・・・矛盾したようなことをやっているような気がしてきました。」

第5章 「考える」とは何か

羽生「そうですね。ミスをするから人間なんだという気もしますし。変な話ですけど、そういうミスの統計学みたいなものは聞きませんね。」
茂木「最近は『失敗学』ということを言っている先生がいらっしゃいます。ただやはり皆、あまり失敗については触れたくないからきちんと科学しようということにはならない。人間は勝因を考えることはできても、敗因は見つめたくないというところがある。でも対局後の検討の時には、俺はこういう理由で負けたんだってちゃんと確認しているんですよね。」
羽生「将棋のプロなら、絶対に敗因は見つけます。」

茂木「ええ。人間が生きる中にもいろいろな失敗や成功体験があるのですが、失敗の理由を学ぶことは、ほとんど心理的にできないんです。人間の脳の性質からして、成功というのは勝手に強化されるんです。これを強化学習といいます。でも失敗から学ぶことは非常に難しい。失敗の原因を突き詰めて考え、同じことを二度と繰り返さないようにするということも、ごく単純な場合ならできるんです。
 たとえばお湯を沸かしたヤカンに触るとすごく熱かったから、もう二度と触らないようにするとか。そうではなく、もう少し複雑な理由が失敗の背後にある場合、脳の自然な学習のメカニズムに頼っていては絶対に無意識の学習はできません。論理的に言語化し、推理して、失敗の理由を白日の下にさらさないとダメなんです。非常に理性的な過程を経ないと、失敗からの学習はできないんですけど、我々はそれを実生活の中ではほとんどやっていません。
 人間は皆、失敗した時はそれを一刻も早く忘れたいと思いますよね。嫌な思い出は忘れたい。その時に冷静に、どういう理由で失敗をしたのだろうかと振り返ることはやらないんです。でも将棋界はそれをちゃんとやっている。アマの将棋はやっていないですよね。僕はよく知っているけど(笑)。負けちゃったら悔しいって言って終わり。」

 そう失敗から学ぶって難しい。だから成功体験が大事なんですよね。(失敗の責任は自分で被るとして)

羽生「当事者意識がない限り失敗からは学ばないじゃないですか。」
茂木「まったく正しい。人間の心理としては、負けた時とか失敗した時は当事者意識をなくそうとするんです。」
羽生「そうです。他人のせいにするとかね。本当はそれを真摯に受け止めるのがいいんでしょうけど。」

茂木「いわゆる脳の記憶には、イメージ的な記憶と暗示的な記憶があります。イメージ的な記憶というのは、あの時こういうことがあったという内容として思い出せるものですね。暗示的な記憶というのは、意識的に思い出しているわけではない事柄に行動が規定されるというか、なぜかわからないけどこうしちゃうというようなものなんです。
 将棋を指す時に、個々の局面でイメージ的な・・・つまりあの時にこう指して上手くいったとか、ダメだったという形で記憶が蘇ってくることは普通にあるんですか。むしろ暗示的な記憶、なぜか知らないけどこう指すのが良いと思ったことが、実は自分の記憶の中の、しいて探索すれば、あの時のこの経験が役に立っていたんだなということが、後からわかるということの方が普通なんですか。」

羽生「過去の一手一手をどういう理由で指したかについて思い出すことは、確信はもてませんけど、たぶんできるんじゃないかなと思います。どういう思考のプロセスでこの手を選んだかというのは、たぶん言えるような気がします。
 最後に決める時には、なにかしら理由がある・・・ただ単に気合いだけでやっているとかそういうことも含めて、何かしら説明はできると思います。」

 これは、理由を説明できるのがイメージ記憶ということであるなら、職業として何かをやっている人って、みんなその仕事についてはできることなんじゃないだろうか。

茂木「海上保安庁の潜水士の方たちは、潜水訓練をする時、無酸素の、要するに素潜りの状態でロープを結んだりしなくちゃいけないんだけど、その時にコツがあるというんですよ。そのコツというのが、なるべく頭を使わないようにしてロープを結ぶというんですね。考えちゃうと潜水時間が短くなるんですって。つまり考えると酸素を消費してしまうわけです。なるべく頭を使わないようにしないと潜水時間が伸びない。逆にいうと、それくらい脳が酸素を要求するということなんです。」

 この話は漫画「海猿」にも出てきたような気がする。

 あと羽生さんの過去の実戦例とかを振り返るのにはあまり脳を使わない感じだけれど、これからの手を考える方が脳を使っている感じがするとか。

 茂木さんの、今はネットで調べたりしている時間が長く、ピュアに8時間とか思考し続ける棋士というのは希有な存在だという話。茂木さんの場合は、そういう考え事をしたい場合は散歩に出かける。

羽生「(対局して思考がトップギアに入るような感覚の時)でもそういう時間をずっと続けていると、向こうの世界が見えそうだなという気はします。真っ当な人間に戻れなくなるというか。そこで世界がひとつできあがってしまって、他のことがどうでもよくなってくるので。」

 「ネバーエンディングストーリー」でファンタジーの世界に行ったきりになると、現実の世界に帰って来れなくなるみたいな話やなあ。

羽生「(最大のライバルである谷川との対局で。過去の棋譜は全部頭に入っているので)残っているから、いかに外すかというのが楽しいんですよ。同じになっちゃうとつまらないから、お互いに意識して外すようにしているんですけど、そこの工夫のし甲斐が楽しい。これもあるし、あれもあるし・・・というので、一局ごとに制約は厳しくなっていくんですが、その条件の中でまた何か次の手を見つけていくんです。」


 う〜ん、何か面白いなあ。

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子どもの方から「理科室へ行こう」と誘ってくれた

 大昔の話です。

 特別支援学級担任の頃。


 kingstoneです。

わかること、やりたいこと スケジュールを伝える 教材を作る」や「特別支援学級担任として職員会で伝えたこと 『お許し下さい』」などを書くきっかけになったお子さん。いろんな方からアドバイスも頂き、自分たちでも悩みもう一度そのお子さんのやりたいことは何なんだろう、これはつらくないのだろうか、やらんでもいいことを無理させていないか、とあれこれ考えてきました。

 まだまだなんですけど、かなり安定して過ごせる環境を作って来たと思います。

 今日、私のところへ

「りかしつ」

と言いながら理科室の鍵の写真を私に見せつつ、まっすぐやって来ました。

 身震いしそうでした。

 今週の担当者である相棒が「じゃあ理科室へ行こう」と連れて行ってくれました。

 相棒と、

「私たちのやって来たこと間違って無かったよね」

と、喜びあいました。

−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 たぶん理科室では「水に塩を溶かす」とか簡単な実験をそれ以前にやっていたのだと思います。水の好きなお子さんでしたから。


教師に「心も体も健康であること」を望まれる気持ちはよくわかるが・・・

 大昔の話です。

 特別支援学級担任の頃。



 ○○さん、どうもです。
 kingstoneです。

>「子どもが楽、保護者が楽、教師が楽」
>今度kingstoneさんをお呼びする講演会のキャッチコピーは
> 飛び切り元気で楽しそうなある地域の先生のお話をぜひ聞いて下さい!
>に決定です。

 ・・・・

 今年3月の安田のセミナーに行った時、保護者からのアンケートで「教師に望むこと」の中に

「心も体も健康であること」

というのがあって「つらいなあ」と思いました。
でも保護者の願いとしては当然ですね。
私自身は「心も体も不健康」

 まあ、でも私が自分で「鬱やなあ」と思っている時でもお会いする周囲の人たちは、そこそこ元気になったり楽しめたりするみたいですけど。(で、私も元気、と誤解されるわけね・・・)

−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 例えば、ある知的障害特別支援学校では、威嚇と暴力を使っていた人たちは「心も体も健康」でした。少なくとも私よりは確実に。

 そこらへん、むつかしいもんですね。

特別支援教育課主催の講演会で 「子どもが楽、保護者が楽、教師が楽」

 大昔の話です。

 特別支援学級担任の頃。


 今日は教育委員会特別支援教育課の主催で竹林寺毅先生の講演会がありました。

 KING STONEです。

>  すると,竹林寺先生,講演のなかで,
> 「今日の演題はパクリです.皆さんのお仲間から貸していただきま
> した.」
> とのこと.しばらくしてから,
> 「その方がいらっしゃいましたね.」
> とおっしゃいました.
>
>  その方はあの方だと,私は確信してるんですが.

 遅刻して参加したkingstoneです。
 竹林寺さんに特殊教育学会でお会いした時に「講演会に行くから来てよ」とは言われてました。

 で、確かに私も、私が遅れて会場に入った時に上の話は聞いたのだけど、「題名」は何か「似てるなあ。でも・・」だったし、私の方を見て言ったような気もするけど、竹林寺さんを呼んだ特別支援教育課のえらいさんに言ってるのかな、とも思ったし「私だ」という確信はなしです。

 ただ内容的には障害児教育フォーラムで私が言ってることとも近かったりはしましたね。

 でも、「方法にこだわる先生」という話について、確かに竹林寺さんはちゃんとしたことを言ってる
のだけど、それを聞いた先生方が(現在の専門家のコンサルテーションの無い状況で)方法なんて勉強せんでええわあ、と思わないか心配やなあ、みたいなことは竹林寺先生にも個人メールで伝えました。

(会場でつっこみ入れるのはやめときました。なんせ

「kingstoneさん?あのいろんなところで意見を言う先生でしょ」

という理由で異動を断った校長がたくさんいる、という話を聞いているので(笑))

「子どもも先生も楽になるやり方があるんとちゃうかなあ」

は私の

「子どもが楽、保護者が楽、教師が楽」

ですね(ニコ)

柿を採る話から、イモや栗を生で食べる話へ

 大昔の話です。

 特別支援学級担任の頃。


 ○○です。

>泣くような声で
>「かきちょうだい。」

 ワーオ!!!私やったら、これ聞いただけであげちゃいます。

「よっしゃー待っとりや、おばちゃんたんと持ってきたげる!」

ウチの村においで!柿取り放題です。
誰も文句言いません。大人が取ってますモン。


 でも、子供ってすごい!大人になると、どうしてこう頭がかたくなるんでしょうね。あッ、もちろん一般的な話です。

 今日の□□くん、サツマイモを掘って、洗って、その色のあまりの美しさに、生のまま、食べようとしましたが、先生に

「それじゃ、お猿さんだよ。」

と言われ、

「さるまいもだね」

と言いかえしましたとさ。

秋は良い季節だ。しみじみ…。

−−−−−−−−−−−−−−−
 △△です。


> >泣くような声で
> >「かきちょうだい。」

うれしいやんか!AAだったらとってあげたくなりますワ。
食べ物の力っていつもすごいなって思います。

> 今日の□□くん、サツマイモを掘って、洗って、その色のあまりの美し
> さに、生のまま、食べようとしましたが、先生に「それじゃ、お猿さん
> だよ。」と言われ、「さるまいもだね」と言いかえしましたとさ。

AAは生で食べます。栗も生で食べます。
非常識だろうか?
でもおいしいんだよ、獲れたては。

枝豆が食べたかった、、、

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 kingstoneです。

> でも、子供ってすごい!大人になると、どうしてこう頭がかたくなるん
> でしょうね。あッ、もちろん一般的な話です。

 きっつーー・・・・そりゃもう私も自分の頭の固さはほんまよくわかっておりますが・・・でもまあこうやって勉強させて頂いてます。(ニコ)

 実際ね、ほんまこちらが何でこのことにこだわるんやろ、みたいなこと、いっぱいあります。


>  ズーッと前に、自閉症託児活動「れもん」のボランティアのことで、
>「子供は遊ぶンが 仕事です」と書いたと思うけど、大人は、社会性というオリで、
>「遊び」への障害を作っているのです。

 syunさんとも話していて「まだまだ(私の価値観が)健常者側やなあ」とよく言われます(涙)

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追記
 まあ、この話のもとになった柿はまだ青かったみたいなので、それは食べてはあかんやろ、というのはありますね。




柿を採らずに歩く方法

 大昔の話です。

 特別支援学級担任の頃。


※他の方の体験なのですが、面白いので私がまとめます。

 ある特別支援学校で自閉症のお子さん○○君の話。

 前回、徒歩学習の時、○○君は道のはたにあった柿の木から柿の実(この時期は初秋・まだ実が青い)を採って来てしまった。

 そこで先生はスケジュール(ちゃんと徒歩学習用にスケジュールを作っていたのです)の途中のところに「カキをとりません×」と書いて見せておきました。

 さて、とほ学習出発。ところが○○君は少し歩いたと思ったら、すぐにしゃがみこんでしまいます。うながしてまた少し歩いてもまたしゃがみこむ。10分ほど待ちました。そしたら泣くような声で

「カキちょうだい」

 先生は困ってしまい

「柿は採りません。柿は□□さんのです。○○君のではありません」

と音声言語で伝えました。(書いて見せたほうが良かったかもしれない)○○君はじーっとしています。

「柿は採りません。でも公園でシーソーいっぱいします。ブランコもいっぱーいします」

まだじっとしています。

「柿は採りません。学校に戻って来たら、牛乳に氷を入れて上げる」

それから5分ほどして○○君は歩き始めました。そして柿のある畑への分岐のところまで来ると

「こっちです!!」

と柿を見なくてすむ方の道を指さし、歩いて行きます。本来の散歩コースから外れて大回りになるのですが、先生は彼について行きました。そして公園でいっぱい遊び、帰り道ではまた彼が柿を見ないですむ道を選んで学校まで帰りました。



12月12日(日曜日)

 おはようございます。

 もう最近は「ソフトを起動する」「Webを移動する」などのさいは、本を読みながら忘れた頃に画面を見る、というふうにしています。時間がかかるから。

 とてもいい天気。

$kingstone page-朝日のあたる

 朝日のあたる建物。今日も赤く染まっていました。


posted by kingstone at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする