図書館で借りて来ました。
エクソシスト急募 (メディアファクトリー新書)/島村 菜津

¥777
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映画「エクソシト」は1973年公開。
当時、イタリア最大のエクソシストと呼ばれていたカンディド・アマンティーニ神父の感想。(弟子のカルミネ神父が述べたもの)
「『少女の首が回転するといった誇張を除けば、かなり評価なさっていたそうです。(中略)カンディド神父は全体的に気に入っていらしたようです。』」
「70年代、イタリア半島でわずか20人ほどだったエクソシストは、90年代に200人を越え、現在は300人を数える。」
最初に出てくるルチアという人のエピソード。エクソシストに出会い、エクソシズム(儀式)をしてもらうことでよくなったという人なのだけど、元の原因が呪い(黒魔術?)をかけられていたから、ということみたい。今でもそういうことをする人がいるのか・・・
ヴァチカン市国内の学校で信心会の運営するエクソシスト講座が開かれるようになったのは2005年から。
2010年の講座。受講料280ユーロ(約3万円)、講義1コマのみの受講は35ユーロ。(約4千円)安いなあ・・・
「もちろん3万円で悪魔祓いができるようになるわけではない。授業の大部分が講義形式であり実地訓練を行わない点や、1ケ月強という期間を考えるとフェラーリらが試みているのはあくまで入門的な講座といえるだろう。」
信心会の他に国際エクソシスト協会というのがあって、こちらは「入門講座」的なものには不満。1対1の立ち会いなど実践的な勉強会を実施している。この勉強会に日本人司祭が参加することも可能だが、日本の司教の許可が必要。基本的にエクソシストは「自分がなる」というもんじゃなく司教に任命されるものみたい。
カトリック聖職者の現状。
「『バチカン−ミステリアスな「神に仕える国」』(秦野るり子著・中公新書ラクレ)によれば、70年に25万人いたヨーロッパ内のカトリック聖職者は、2005年には19万人にまで減少している。また、1998年のローマ大学の調査では、ローマ市民の7割が『1年に1度は教会に行く』と答えたが、そのうち『よく通っている』と答えたのは、わずか10人に1人にすぎなかった。」
ってことは7%の人が「よく通っている」ということかな。だったら結構多いような。日本人でお寺・教会によく通っている人は7%もいないと思う。神社に年1〜2回、正月とお祭り、お寺は・・・お盆にお坊さんが回って来るくらいか。
悪魔とは。
「一般の人々が思う悪魔像は、キリスト教の異教徒だったバビロニアの有翼の神々、古代ギリシャ・ローマのディオニソス教の神々、それに『パニック』の語源でもある森の半身半獣の牧神パン・・・そうした実に様々なイメージから練り上げられてきたものです。」
「悪魔を指す英語の『デビル』(イタリア語ではディアボロ)の語源はギリシャ語の『ディアボロス』、これは『敵、中傷者、反対者』を意味する言葉だ。『デーモン』の語源もギリシャ語で、これは善でも悪でもなく、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは『インスピレーションをもたらす内なる声』と認識していた。『デーモン』は、聖書では通常『悪霊たち』と訳されるが、もともとは善とも悪とも決めつけられない両義的な響きをもっているのである。
一方、『サタン』はヘブライ語で『告発者』という意味だ。サタンはイブを誘惑して木の実を食べさせた蛇、あるいは旧約聖書で描かれる、傲慢さから天を追われたルシファーとも混同されてきた。
キリスト教において、悪魔のなかで最も重要な地位にいるのはこのサタンであり、その手下である大勢の悪魔デーモンだ。神父たちが悪魔について語るときには、総称として『デーモン』という言葉を使い、その長という意味で『サタン』を用いる。」
デーモン木暮閣下は全然閣下でなく下っ端って言うことか。
「しかし、だからといって、ヴァチカンが身を乗り出してエクソシズムを推奨しているととらえるのは正しくない。あくまでも信者のニーズを汲み取りながら上手に手綱を握っている、といったほうが正確だろう。実は、ヴァチカン内部には『悪魔など人類の悪の象徴にすぎない。あるいは善の不在である』として、教義と悪魔はまるで無関係であるかのごとく唱える聖職者のほうがむしろ多いのだ。
それでもヴァチカンがエクソシズムの儀式を擁護し続けているのは、これまで見てきたように、聖書に数々の記述があるためと、儀式が教義に深く絡むものだからである。」
「現教皇は積極的にエクソシズムを奨励しているというのに、ヴァチカンの高位聖職者にも公にその存在を語ることを嫌う人は多く、なかにはエクソシズムの話をすると顔をそむける聖職者さえいる。なぜだろうか。」
これは異端審問や魔女狩りによるトラウマだと言う。
1252年。教皇イノケンティウス4世は異端への拷問を許可。
1326年。教皇ヨハネ22世が「魔女」への尋問を承認。
「『魔女狩り』以降、多くの聖職者は陰惨な記憶を消し去るために悪魔祓いの儀式を休眠状態にし、悪魔について語ることさえ避けるようになった。なかには、教会内の職務の合理化を目指して1962〜65年に開かれた『第2ヴァチカン公会議』によって、エクソシストの役職は消えたはずだと主張する聖職者もいる。」
「エクソシストは語る」を書いたアモルス神父は
「魔術とサタニズム(悪魔崇拝)とスピリチュアリズム(精神主義)、私はこの3つをオカルトという木の3本の枝だと考えています。オカルトの木は本物の信仰が陰ると育つという歴史的な原理があります。私が力を注いでいるのは、原点に立ち返り、エクソシズムを復活させることです。」
と語る。
1614年に完成した「ローマ典礼儀式書」のエクソシズムに関わる部分は1915年、1933年に小改訂が行われ、1952年にエクソシズムへの過信を警告し、医学や心理学の重要性を意識した表現が加えられた。その一部。
「1,悪霊に苛まれている人のエクソシズムに臨む司祭は、教区の司祭から特別な許可を受けている者に限る。
3.簡単に悪魔が憑依したなどと信じてはいけない。
18.エクソシストは、なんらかの薬を勧めたりすることなく、その仕事はすべて医師に委ねること。」
まあ、エクソシズム中の死亡事故も起こったりしているし、カトリックの司祭でも限りなくインチキな悪魔払いをしている人もいたこともあるので気をつけなければならないでしょうね。
しかし、こういった儀式的な効用というものは確かにあるでしょう。
私の場合だったら、こんなことがありました。引っ越しした時。そこを入居前に訪れた時、隣からおばあさんが出て来られました。私を見ると、どちらかと言うとしかめっ面な顔で
「あんた、ここに住むの?ここに住む人は変な人ばっかりや。すぐ引っ越して行くし」
とおっしゃったので
「ああ、私にぴったりです。私は変な人ですから」
と答えたらえらくウケて、以後そのおばあさんに可愛がってもらえ、いろんなことでお世話になることになりました。
でも地域の鬼門の方向だし、何となく落ち着かない所ではありました。で、友人の神主さんを呼んでお祓いをしてもらいました。そしたら本当にすっとして落ち着けるようになりました。
そんなことあるもんなあ。
まあ、お医者様にまかすこと、それ以外の人に頼ること、宗教に頼ること、いろいろ判断はしなきゃでしょうが。