私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年11月04日

目の前が真っ暗になっても「現状最善を尽くすべし」 先崎学 週刊文春11/11号

週刊文春11/11号 先崎学 コラム「浮いたり沈んだり」より

「敵陣の好所に角を打った私はすぐに異変に気がついた。角の一間飛びにある金を角の方に一路寄られると、角の逃げる場所がないのである(業界的には、角が詰んでいる、という)。
 打った瞬間、それこそ指が離れるかどうかというタイミングでそのことに気がついた。」

「そして、相手が着手した瞬間、金を寄ったのが分かったのだ。分かったということは、見たはずである。絶対にそうだ。しかし私は、目を開けた自覚がまったくなかったのだ。目は開いたにもかかわらず真っ暗闇のなかだったわけで、これが冒頭のシーンである。
 投了しよう、と思った。」

「それでも指すからには、最善をつくさなければならない。
 将棋界には『現状最善を尽くすべし』という格言がある。前のいきさつは考えずに、とにかく今現在目の前にある局面にて最もいい手を考えるべし、という戒めである。そのことばを思い出せたお陰か、なんとか逆転勝ちができた。」

「そのうちに奨励会の子が私の将棋を並べだした。例の局面になる。私は勝ったから、余裕のへらず口が出た。
『いやあ、角を打った直後は死のうと思ったよ』
 瞬間、佐藤大先生(佐藤康光九段)の顔がきりっとなった。
『いや駄目です。死んじゃいけません。将棋は負けたら次勝てばいいですけど、人間死んだら次がありません』」

「それにしても佐藤君は優しいなあ。」


 私は死なずにすんでるけど、一局投了しちゃったな。





posted by kingstone at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学 マイケル・サンデル著

 図書館で借りて来ました。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学/マイケル・サンデル

¥2,415
Amazon.co.jp

 う〜ん、むつかしいです。
 まだ途中までしか読めてません。
 でももう期限なので返しにいかないといけない。

※途中から返してしまって記憶で書いています。

 こういうのを「哲学」と言うのか??

 いろいろなことを考えるのに、いろんなケースを上げはります。

−−−−−−−−−−−−−−−
 最初は2004年夏、ハリケーン・チャーリーの被害の時の便乗値上げについてのもの。

 1袋2ドルの氷が10ドルで売られた。
 当時だったら220円のが1100円くらいか。

 家の屋根から倒れかかった木を2本取り除くのに、業者は2万3千ドル要求。
 250万円くらい?

 小型発電機。通常は250ドルのものが2000ドル。
 2万7千円くらいのものが22万円くらい。

 老齢の夫と障害のある娘を連れた77歳の婦人は普段一晩40ドルのモーテルで160ドルを請求された。
 4400円くらいが18000円くらいか。

 フロリダ州司法長官チャーリー・クライストは

「ハリケーンの後で困っている人の弱みにつけこもうとする人間の欲深さには、驚きを禁じえない」と述べ、もともとフロリダには「便乗値上げ禁止法」があり、執行され、裁判で勝訴を勝ち取った者もあった。

 ところが一部の経済学者はその法律や一般市民の怒りは見当違いだと論じていた。

 代金が通常より高いおかげで、こうした商品やサービスの消費が抑えられるいっぽう、はるかな遠隔地の業者にとってハリケーンの後で最も必要とされている商品やサービスを提供するインセンティブが増すのだから。そのため「害よりもはるかに多くの益をもたらす」「売り手を悪者扱いしてもフロリダの復興が早まることはない。売り手には思う存分商売をさせてやることだ」

 みたいな意見。
−−−−−−−−−−−−−−−

 う〜〜ん。素朴には便乗値上げは許せないと思うのだけれども、経済学者の意見も最もだと思えるなあ。

 で、このあたりは私もあれこれ「どっちが正しいのだろう」とか考えながら読んでました。しかし次の例。

−−−−−−−−−−−−−−−
 あなたは電車の運転手です。このまま進めば保守作業員を5人ひき殺します。しかし曲がれば1人ひき殺します。どちらを選びますか。

−−−−−−−−−−−−−−−
 
 これを考えるのが哲学!?

 私だったら目いっぱいブレーキをかけ、祈ります。曲がらないのは、そんな状態で曲がれば脱線転覆して乗客だってどうなるかわからないから。でもそんなの考えたくない。で、もちろんそういう状況に立ち至らないように考えないといけないわけで。


 で、その次あたりに出てきたのがアフガニスタンで戦っている米兵の選択。実話から。

 しかし・・・もちろん米兵も目の前の選択を迫られ、その結果を引き受けるわけですが・・・

 ちょっとそこについては述べず、戦中の昔の日本と周辺のアジアの国々(特に朝鮮半島や中国大陸)について考えてみれば・・・

 たぶん、一部の日本人は「大東亜共栄圏」の理想を追っていただろうし、真面目に相手国の開発・発展について考えていたかもしれない。あるいは海外雄飛。「狭い日本には住み飽きた」また、たぶん多くの人は、どっちゃでも良くて、ただ日々を暮らして居ただけだろうと思います。で、生活が苦しくて他国へ行っただけだったり。もちろん市場開発の意図、明確に侵略の意図を持っていたかもしれない。

 そして相手国の人の中にも、日本のそういった動きを利用しようとした人がいて当然。

 で、その中でたくさんの日本人が個別の選択を迫られたことだろうと思います。

 しかし・・・そもそも軍隊とともに相手国に行ったことそのものが、もう相手国にとっては侵略と言える行為だったのではないかなあ。

 もちろん、こんなこと、今だから言えることで、当時の日本人なら「言えない」というよりも「考えつきもしない」ことだろうとは思います。でも私は今に生きているのだから、言ってもいいんじゃないかな。

 そんなふうに、ある時の個別の「正しい」「間違っている」っていうのは、ちょっと引いてというかメタな視点を持つというか、そうしてみれば「そりゃ根本が間違ってるで」とか「それ、どうでもいいことちゃう?」みたいなことが多くあるような気がします。



ベンサムとか功利主義とかの話。

 費用便益分析とかの話。

 フィリップモリスがチェコでたばこの税金があがりそうになってのチェコでの調査で調査研究をしたそうです。

 喫煙による国家予算に対する喫煙の影響の費用便益分析をしてみたところ、喫煙することによって、高齢者や病弱者が死に、健康保険費や社会保障費が少なくてすむので、年間の国庫の純益は1億4700万ドルになる。

 ところがこれが非難囂々になりCEOが謝罪したそう。

 う〜む、なんで謝罪しなきゃなんなかったんだろう。「だから喫煙すべきだ」まで書いてしまっていたのかな。調査結果だけなら貴重な資料だと思うのだけど。

 こういうので思い出すのが、昔ノースカロライナ州で自閉症の人のためにTEACCHを作る時だったか、何か事業をする時だったかの論理。

「自閉症の人を精神科病院の閉鎖病棟に入れるよりも、TEACCHで教育した方が安くなります」

というもの。もちろん「精神科の閉鎖病棟」は緊急の時など必要なものです。しかし、必要の無い人まで入れちゃいかんし、医師・看護師・その他スタッフ・病棟にかかるお金を考えるとTEACCHでやった方が安くつきますよ、という論理。

 本当は、もちろん、どちらが本人さんにより快適か、という価値観が大事なのだけど、行政からお金を出してもらうには、この費用便益分析をしないと説得力が無いのだろうな。



リバタニアリズム(自由至上主義)

ミルトン・フリードマンの意見。

 医者でも医師免許に関わらない。もし割安で盲腸手術を受けたければ、免許の有無に関わらず、誰にその手術を依頼しても自由であるべきだ。市場はこうした情報を提供することもできる。患者は国家の医師免許に頼るよりは、雑誌の「コンシューマー・リポーツ」や「グッド・ハウスキーピング」といった民間の格付けサービスを活用するようフリードマンは勧めている。

 すげえ・・・そこまではよう言わん・・・

 しかし、私、いつも特別支援教育もあんまし資格関係ないよ、って書いてるなあ・・・同じなのかなあ・・・実際、教員資格が無い人でも「いい人はいい」のは事実・・・むむむ。


 途中までしか読めませんでした。読むのはごっつい時間がかかるし、反発を覚えることも多いのですが、でも面白いからまた借りて来よう。


posted by kingstone at 15:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

作業的な自立課題学習の教材をやりたがったお子さん

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 自閉症のカナータイプのお子さんには自立課題学習を準備しておき、1日何クールかはやってもらってました。そういやそれ以外の児童にも「この時間にするプリント・教材はこれだけね」とカゴに入れて示していました。でも作業的な自立課題学習はカナータイプのお子さんだけにでしたね。

 まあイメージとしてはこんなの。

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 で自閉症のお子さんのために勉強場所(ワークスペース)にセットしておいてあげるわけですが、あるお子さん(非自閉症。どんな授業をやっているかと言ったら、低学年用プリントがひとりでできたり、紙芝居を読んで私たちに聞かせてくれたり)が、スキを見て(?)パッ取ってきて自分の机の上で夢中になってやります。で、できると私を見てニッコリし「できた!!」

 私はもちろんにこにこ笑顔で「できたねえ」と返しましたが、内心は「困ったなあ。折角セットしてるのに。君の教材は違うのに」なんて考えて、積極的にそのお子さんに作業的な勉強をしてもらうことはありませんでした。

 ふり返ってみると、私の頭が固かったですねえ。そのお子さんにも、もっとそんなふうなのをやらせてあげれば良かった。すごく喜んでやっていたのに。つくづく頭が固い。

 それと、その頃から私がうつで休み出して取り組む時間が無かったのかもしれません。


 まあ、でも、そういう教材をすることを、保護者がどうおっしゃるか、は未知数ではありましたが。



posted by kingstone at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教材・教具を作るお手伝い

 これまたTwitterで。

 ある保護者が私に「週1〜2回でいいから特別支援学級に来て教材・教具を作るお手伝いをして下さったらいいのに」とつぶやいて下さいました。

 いいですね。
 そういうの。

 面白そう。

 でも引退して長いし、ネタキリ(正確な表現では無い)が5年ほどあったし、手(脳もだけど)が動かないかも。特に最初は。「口ほどにもない奴め」と言われるかも(笑)

 う〜ん、交通費、全部出してくれるならなあ。なんせ私、お金ないから。
 もちろんそれ以上頂けるなら全然拒否しませんが。
 で、今も頻繁に寝つつ(寝逃げ、というやつ)起きているので、朝から晩まで、なんてえのじゃないならいいなあ。

 材料は学校にゴロゴロ転がっているだろうし、道具(はさみ・カッター・のり・セロテープ・色マジック・パソコン)もあるだろうし。おめめどうの商品があれば便利だけど、無きゃあ無いで作れるし。(でも一から作るのは面倒だなあ・・・)

 買わなきゃならないとしたら、教材を入れるための100円ショップのカゴかな。これはカナータイプの自閉症のお子さんに限らないかもしれない。よく高級公務員や社長さんの部屋の机の上にある「未決済書類」や「決済済み書類」を入れる箱はこのカゴみたいなもんでしょう。

 おしまい箱はそこらへんにあるダンボール箱でいいし。色模造紙を貼れば見た目きれい。

 あと、身近にありそうで、買うとなったら無い物としては「お菓子の箱の小さい仕分け区画のついたプラスチック枠」「靴の箱」「レギュラーコーヒーの缶」とかもあるけれど、1個見本があれば、学校の朝の職員朝集の時にでも見本を見せて募集すれば集まってくるし。

 現在、ある特別支援学級では有志で任意の保護者が、先生が教材作りをするのがたいへんだあ、ということで、保護者の方から申し出て教材・教具作りの手伝いをしているところもあるそうな。保護者から「申し出て」「任意」の「有志」ってとこがいいですね。もちろん「制度」になっちゃいけませんが。(私の身近では少年野球の親の会とかがそうなってましたね・・・)



 で・・・教材・教具作りを手伝いにいってても・・・教材・教具をやってもらうってことは、子どもの見方や生活全般に関わりがあるから、きっとそこらへんにも少しずつ口を出しちゃうだろうなあ・・・


posted by kingstone at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自立課題学習のこととか1時限45分机の前に座り続けることとか

 Twitterで教材作りの話をしていて思い出したことなど。

 私のブログには自立課題学習の話がいっぱい出てきます。私のやっていることを「読んで」「kingstoneさんのは全部自立課題学習」という感想を述べられた方もいます。まあ私はどの場面でも「腕を引っ張る」「体を押す」「つきっぱなしで音声言語で指示」などはやめて「ひとりでできる」を目指していたのは確かです。ただ私が「自立課題学習」と書いた場合は「机の前に座ってする」「作業とかお勉強」の狭義の方ですね。

 もちろんすごく力を入れていました。準備には結構時間もかかっていたし。あ、準備万端ってわけでもなく、即興で教材をその場で作ることもありました。

クラスの風景 教材をその場で作る

 でも誤解されたらよくないなあ、と思うのは児童・生徒がやってる直接やってる時間は結構短かったです。特別支援学校で45分中半分から2/3くらいかな。残りの時間は休憩スペースでそれぞれが思い思いに自分の好きなことをやってました。(鉄道ジャーナル読んだり、CDプレイヤーをイヤホンで聞いたり)

 特別支援学級時代の自閉症のお子さんだと、さらに短くて(これはそれまであれこれ取り組まれていなかったせいもある)45分中5分〜10分くらい。あとは休憩スペースでいろいろやってました。

 授業参観でもその様子をお見せしました。保護者はこの点に関しては納得して下さっていたようです。

 でもって他のことをやってる校時(時間割)も結構多かったですから。

 これらは、もうお子さんによって様々だと思います。45分ずっとできるお子さんもいるかもしれない。私がつきあってきた中ではいませんでしたが。

 でも特別支援学級時代の自閉症のお子さんは私が行くまでは「交流」と称して通常学級のわからない授業に手だてなく入れられ「立ち歩く」「友達の筆箱をわざと落としに行く」とかが「問題行動」とされていましたが。「友達の筆箱をわざと落としに行く」のは友達が反応してくれるし、教師も関わってくれるし、それがそのお子さんにとって「よくわかる」ことだったからですね。

 また音声言語のよくわかる非自閉症のお子さんでもこんな例がありました。このお子さんはわかる課題なら45分どころか90分ぶっ続けでもできます。

ぼくはここで勉強する

 なぜこんなエントリーを書き出したかというと、Twitter上で教材作りに関するやりとりをしたのと、下のような発言を見つけてしまったため。

 ある方が地元の学校の特別支援学級の説明会に行った。そこで担当者(ってことは特別支援学級担任だろうなあ・・・特別支援教育コーディネーターがしたという可能性もあるけど)で、特別支援学級入学以前に以下のことができるように、というお話だったそうです。ちなみに印刷物で配られたのではなく「メモを取るように」言われたとか。

7か条:

1.通学班で登下校
2.45分座ってられる
3.一人でトイレ
4.指示理解
5.身辺自立
6.コミュニケーション
7.友達と遊べる

 あの〜、これができるなら特別支援学級いりませんから。障害の無い1年生でも無理な子いますから。

 まったく何を考えているんだか。

 この先生には多くの研修が必要です。


posted by kingstone at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

応援してるよ見守っているよと伝える「がんばろう」以外の言葉

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。



 kingstoneです。

 ネットワーク上でコミュニケーションをとるようになって10年以上。それ以前のカウンセリングのグループワークの経験などからも「がんばろう」「がんばって」以外の何かの言葉を、と探し続けています。

 ネット上では

「ぼちぼちいきまひょ」
「お疲れを出しませんように」
「無理せんとね」

あたりが多いかな。友人の保護者の方からは

「武運長久」

というのも教えてもらって、時々使っています。

 実際に会っている時ならうなづいて「ニコ」で終わりとか。

posted by kingstone at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勝手に余暇活動1(2以降はあるのか?)

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 kingstoneです。

 ボランティアさんをたくさん集めて、どっかで遊ぶという余暇活動計画を立てようとしていましたが、とてもじゃないけど、段取りとか打ち合わせとかするのが無理で、今年は私一人がやってみようと思っています。メンバー間の打ち合わせが無いので、めちゃめちゃ行き当たりバッタリで、できるし。「勝手に余暇活動」と名付けました。

 A君、C君、F君とそれぞれ2日ずつ予定しています。

 今日、A君ち、F君ちへ行ってそれぞれ相談して来ました。

 F君は、家の近辺で、プールやファミレスへ行こうということになりました。昼食後に何をするかが、まだ決まっていません。

 A君は「電車に一人で乗れる」というテーマを頂きました。あとプール、レストラン、買い物、動く彫刻を見る、という計画になりました。

 具体的に決まったら、どうやってスケジュールをわかりやすく伝えるか、どんな持ち物にするか、など準備するつもりです。

 ・・・ご家庭と一緒にあれこれ考えられる、って楽しいですね。

 結局のところ、私のための研修なんです。
 どれだけ一緒に楽しめるか、また考えたいと思います。
posted by kingstone at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お医者様とのやりとり

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。



 ○○さん、どうもです。
 kingstoneです。

> 次回の研究会の件、私自身は仕事がぬけられなくて参加でき
>ないのですが、数名の方にご案内させていただきました。

私からもありがとうございます。

> いろいろなお母さん方、お父さん方とお会いして、
> 最近感じることなのですが、
> ご家庭や、職場でHPを検索されて、自閉症についての情報を
>きっちりと集められてくる方が、とても多くなってきました。

 昨年度、夏の教師向けの研修会で2回ほど、別々の講師(大学教授や施設長)が「最近はインターネットで情報を集めて勉強する保護者が増えて現場が振り回されて困っている(もちろんそういうことは教師ではなくて保護者が悪いというニュアンスで)」と語られました。

 もちろん、錯綜している情報を自分の子どものためにうまく使おうと思う時、いろいろ配慮しないといけない点があるのは確かですが、教師の不勉強を棚にあげられるのは困ったものだと思いました。

 ○○さんみたいに肯定的に捉えて頂けるとたいへん嬉しいです。

> 既存の相談施設や療育施設にあきたらず、
> 自分たちでもっといいものを探して作っていこうという、
> 新しい動きがはじまったように思います。

 そうですね。キーワードは「自分たちで」ですね(ニコ)

> それでも、ネット上でお母さん方の悩みが解消するわけでもなく、
> やはり人と人とが直接に出会い、ゆっくりとお話することが基本ですね。

 基本と言うか、そうできればそうするに越したことはないですね。

−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 最近考えていること。
 もちろん「人と人とが直接に出会い、ゆっくりとお話しすること」は、あるし、あるべきでもあるし、いいことだな、と思います。
 そしてそれとは独立して、ネット上だけの関係もあって、それはそれでいいもんだ、と思います。
posted by kingstone at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

特別支援学級児童の親学級(交流学級)での様子(自閉症のお子さん)

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


※特別支援学級在籍のお子さんの親学級(交流学級)での話です。お子さんは自閉症。

 ○○さん、どうもです。
 kingstoneです。

>  親学級での交流での教科には、たくさんの視覚支援をしていただきました。
>  理科の鉢植えにも、習字の片づけにも手順書を、体育や社会科にも
> ルールの紙を、テストですら絵で説明されました。

 なるほどな、お子さんによってはそれで乗り切れるんだ。

>  ただ、介助員の先生があまりにもベタッと引っ付かれた生活には、
>私の目にも、□□に困惑した様子が見られました。
>  介助員の先生に「視覚支援が自立的」と結びついていないためです。

 これは気をつけておかないといかんですね。自戒、自戒。

>  それと、親学級や学年全体ですることなどは、できないことがはっきり
>わかっていると拒否するという表現をするようになりました。
>私としてはそれで良いけれど、学校側からすれば、それは困るわけです。

 ほんま、落ち着ける場所(カームダウンエリア)で自分で落ち着けるのってえらいですよね。
 学校が少し考えを変えたら困らなくなるなあ。

posted by kingstone at 07:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

100回のカウンセリングより1回の診断を(「変光星」の森口奈緒美さんの言葉)

※これは相当説明が必要ですね。追記に書きます。


 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 kingstoneです。

 実践障害児教育(学研の出してる雑誌)8月号は特集が「アスペルガー症候群と高機能自閉症の支援」です。

 すごくいいです。

 ニキリンコさんの「自分を語る」という生い立ちの手記をはじめ、どの記事も勉強になります。でもって静岡県総合教育センター教育相談部の臨床心理士さん海野千畝子さんの

「障害をもつ子,そして親への援助体制」という記事の中で森口奈緒美さんの変光星の中の文を引用しつつ

「森口奈緒美さんの著書「変光星」の中での「100回のカウンセリングより1回の診断を」ということばどおり、「診断を受ける」ということは本人の人生において「自己をどう社会と重ね合わせていくか」という視点にかかわる、自己概念の認識形成のために重要なことで
 ある。教育相談所においては、本人、保護者の障害の受け止めの抵抗や混乱は承知で、診断にまつわる複雑な感情をも支えて抱えていく機能が求められている」

と書かれています。こういう心理士さんが増えてくると嬉しいですね。

−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 これは例えば2000年頃発行された、超有名カウンセラーの本に「自閉症はカウンセリングで治る」と書かれていたりしました。まあ流派から行って面接して対話する、ひょっとして箱庭を使ったりするかなあ、描画を使ったりするかなあ、というタイプの方と思われます。

 そういう時代があったのですね。想像になりますが、そういうものが「効果」があったとは思えません。もちろん面接時間はリラックスできるようにされたでしょう。そしてそれは日常生活のつらさを緩和する助けになったと思います。しかし、面接室から出た時、配慮の無い環境(見てわかる環境が作られていない、わからないまま我慢して居ることを強要される)配慮の無い人間関係(表現がわかってもらえない、相手の伝えたいことが正確に伝わってこない等)等々がそのままであれば、またその人は苦しみ続けます。もともとの障害は治るわけじゃないのですから。

 ひょっとしたら超有名カウンセラーさんはカウンセリングという名前でソーシャル・スキル・トレーニングをやっていた可能性はありますが、そのような記述は無かったですね。

ずっと「普通」になりたかった

の中でグニラ・ガーランドさん(高機能自閉症(アスペルガー症候群?))上記のような昔ながらのセラピーを受けていた時と、きちんと診断してもらってからの気持ちのことを書いてはります。

 もちろん「診断」があったて、じゃあどう支援するのか、っていうのが無ければ無意味だ、と私は考えます。ですから1回の「診断」ったって診断名をつけて放り出される感じになってはいけないよなあ、と思います。その点高機能自閉症(アスペルガー症候群)の方の一部は診断名がわかれば自力で情報収集して対応を考えることができる可能性もありますが・・・それもたいへん。

 そこらへんがあって「100回のカウンセリングより1回の診断を」という言葉になっているわけです。

 最近はカウンセラー(心理士など)も発達障害について勉強され、環境を整えていこうとされてる方もおられるようです。スクールカウンセラーを利用するときは、そのあたりも判断して利用されたらと思います。

もうひとつ追記
 あるアスペルガー症候群のお子さん。箱庭も利用したカウンセリングですごっくいっぱいお話でき、とても良かったそうです。そういうこともあるんですね。いろんな2次障害の改善のきっかけには成り得る、ということだと思います。
 で、もちろん日常の暮らしにいろいろ手だては必要、ということだと思います。
posted by kingstone at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

11月4日(木曜日)

 おはようございます。

 今日も起動させっぱなし。

 お天気はすごくいいです。

posted by kingstone at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする