図書館で借りて来ました。
わが家の母はビョーキです/中村 ユキ

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※なお、記事中(というかいつでも)私はつい自閉症スペクトラム障害と比較してしまい、そして何でも「一緒やあ」という傾向が強いです。バイアスがかかっている、と言うか、偏っている、と言っても良さそうです。でもほんま「構造」というか、メタと言うか、そのあたり、ほんま「一緒やなあ」と思うのですが。
うつについての漫画は「
ツレがうつになりまして。」とかいろいろありましたが、統合失調症についての漫画は知りませんでした。
絵も字も読みやすいです。
まず最初に「100人に1人の割合でかかり」と書かれていてびっくり。
私の知り合いで、診断を受けている人は2人。診断は知らないけど、そらそうやろな、という人が1人。計3人しかいません。(お前の知り合いの数(母集団)が少ないだけや、と言われそう。確かに友達少ないです)
自閉症スペクトラム障害(カナータイプ・高機能自閉症・アスペルガー症候群)の発生率の統計は今手元にありませんが、小学校で学年3クラスあったら2人はそれとわかる子がいました。学校全体で10人以上はいたよなあ・・・(注・いつも書いていますが私の高機能自閉症・アスペルガー症候群の人をそうなんやとわかる力は低いです)
で、子どもたちには同じ数から2倍の数の保護者がいるわけで。でも統合失調症の方の話は聞いたことなかった。
まあ、そりゃ必要無いから外部に言ってなかっただけかもしれません。
著者中村ユキさんは、簡単に言ってしまえばギャンブル依存でDVで働かない父と、母の間に産まれたお子さんです。
で、母は統合失調症になってしまう。(と言っても、実際、環境だけが発症の原因ではないみたいですけど。しかし環境が悪くストレスがかかれば出やすかったり、より悪くなったりするのは確実なようです)
お母さんは、若い頃に精神科に通院してはりますが、しかし通うことも服薬も満足にはしはらなかったようです。もちろんそんなことはユキさんにはわかりません。時には病院に行くこともあり、治療はされていると思っていたようです。
ユキさんは、何もわからないまま、幼少の頃から「私がしっかりしなきゃ」と思い、ある意味家族を支える立場になっていたよう。
お父さんに、たまたま誘われて行ったパチンコでビギナーズラックで大当たりしてパチンコ依存になったり。それで余計に状態が悪くなったりします。
ビギナーズラックってあるんですよね。私はパチンコにははまりませんでした。なんせ1回も勝ったことが無いので。ただの1回も!!しかし、株もFXもビギナーズラックがありました。最初は儲かった。で、後でえらい目に会いましたが。
10歳の時ユキさんは、オカルトの本など読み、「お母さんには霊がついているに違いない」と確信しひとりで宗教団体に入ったそうです。10歳で!
でいろいろあってお母さんが包丁をユキさんに向けたりし、ユキさんはよく眠れなくなり、包丁を隠すことに腐心したりするようになったとか。
でもお母さんは落ち着いた時には「死にたい」と泣いていたそう。また、落ち着いた時は「お母ちゃん、ユキを産んだ時が生まれて一番幸せだったのよ」と言ってくれ、ユキさんも「お母ちゃん、大好き」と思ったそう。
父と母は離婚。(私は、離婚して良かった、と思ってしまう)
高校を卒業してユキさんは就職。しかし20歳頃(?)マンガ家になろう、と退職します。
その後お母さんの状態がすごくひどくなり、ユキさんは「でも・・・いいやもう(私が)死んでも。生きるのだってツライから」と考えるに至りますが、ひどい状態でお母さんが自殺希図を繰り返し、タバコを食べて倒れてしまって救急に電話したら、「かかりつけの精神科に行くように」指示されます。
で、行ったところ・・・お医者様がびっくりしてしまいます。お母さんは今まで通院しても「楽しく世間話をするばかり」だったのでお医者様も「ヒステリーの薬」しか出しておらず、しかもその薬も飲んでいない状態だったとか。後ろのところでも同じようなことが出てきますがお母さんは「ひどい状態の話をするのは恥ずかしかった」というのがあったようです。
で入院して、ユキさんも少しは楽になるのですが、治療費の問題が。しかしここでケースワーカーさんから「高額療養費」「傷病手当金」のことを教えてもらって助かります。この本には、こういった制度のこともいろいろ出てきます。(詳しくではないですが、どこに連絡をしたらいいかも書いてあります。簡単にですが)あとは「障害年金」「自立支援医療」のことなども。
落ち着いている時のユキさんとお母さんは
「消えたいね」
と何度も言い合ったことがあるみたいです。ユキさんは「『消えたいね』は『死にたい』とは違う・・・」と書いてはります。
わかるような気がします。私もよく思っていました。と言っても私は(たぶん)統合失調症ではなく「ストレス性障害による」「うつ状態」といったものですが。ほんとこの世からいなくなってしまいたい、消えたしまいたい、というのは死にたいとはちょっと違う。
でも「死にたい」も思ってたことはありますが。「ホームセンターでロープを買ってこなきゃ。部屋のあそこにロープをつろう。いや、部屋でやると家族がその部屋で暮らしにくいから、外に出たすぐそこで。いやそれだとケチがついて部屋を売れなくなるよなあ。やっぱり遠くの公園で」みたいなことを際限なく一日中考えていたり。
お母さんも、そんな思いに捕らわれていたこともあるのじゃないかなあ。
おばさんが「お母さんに仕事を手伝ってほしい」と提案して来たので、事情を説明したのですがよく伝わらず(と言っても、後ろを読むとこの頃はユキさんの理解もあいまいだった可能性もあります)、それでもということでお母さんはおばさんの家に行きます。
そして状態がたいへん悪くなってしまう。そして「措置入院」
この時、入院費の請求が来て困ってしまいますが、指定の書類を提出するとタダになり、また「障害年金」も受け取れるようになります。しかし申請の時、「初診日の記録」から20年間の記録を掘り起こすのがたいへんだったとか。この時、ユキさんは、書類・レポートをファイルして残しておく必要性を痛感されます。
8か月後、措置入院解除のお知らせが。ユキさんは丁度漫画家のアシスタントとして忙しかったので困ってしまったところ「医療保護入院」に切り替えてもらうことができました。
またそれ以外には「任意入院」というのがあるそう。
措置入院から2年3か月。お医者様から退院の提案。ユキさんは不安になりますが、面会に行ったところ、お母さんは非常に元気そうだったので安心します。で退院。
お母さんは、保健所のデイケアに参加するようになります。しかし参加者が少ない。保健師さんによると「この辺りは田舎だから、隠すことが多い」ということだったそうな。
で、ユキさんは保健師さんに、時間はかかりながらもいろいろなコトを相談できるようになっていきます。ところが、保健師さんが異動につぐ異動で頻繁に交代していく・・・プライベートな相談事は誰にでもすぐにとはいかんよなあ・・・とか思っているうちに、ユキさんもお母さんもデイケアに行かなくなってしまいます。
これ「異動」だろうか・・・いえ私の周囲の自閉症スペクトラムの子たちの通う公的なセンターでも、職員さんは非正規雇用のため頻繁に変わってしまうとか。たぶん給与が安い、身分が保障されない、ということがあると思います。しかも研修も十分では無さそう。熱心な職員さんは自分で研修を見つけて、自腹を切って行かないとダメみたいだし、給与が低いと余計苦しいわなあ。でもって、経験が蓄積されなしし、またお子さんの情報についての理解も蓄積されないみたい。もちろん建前としては「それでも引き継ぎができるシステム」が必要ということでしょうが。あと、正規の職員さんに知識・技術があるのか、というのも問題か・・・
まあ、わかってる人であれば、引き継ぎ書類を見れば「ピンと来る」んですけどね。しかし、それには経験が必要、というジレンマが。
お母さんは、また状態が悪くなって再入院。そして退院。
ユキさんはまた新しい漫画家さんのアシスタントに。それを機に、お母さんとユキさんは転居。
まあお母さんの状態は一進一退だったみたいですけど、その時に保健師さんから「地域生活支援センター」へ行くことを勧められます。でデイケアみたいなもんか、と思って、でもとりあえず行ってみたらここが、お母さんすごく気に入ったそう。友達もできた。でユキさんにも「おいで」と誘います。で「私が行ってどうなるの」と思いつつ行ってみたら・・・
スタッフさんに「何でも困ったことがあったら言って下さいね」と言われ涙が出るほど感動したとか(字では書いてないけど絵で描いてる)そして
「『統合失調症』は脳の病気で治療可能です!」
と言われ、びっくりし(!!今まで誰もそれを伝えていなかったんだ!!)脳の病気とわかったら不思議と統合失調症が怖くなくなったそう。そしてやっと「統合失調症」の正しい知識が入ってくるようになります。
「地域生活支援センター」の部屋の様子が描かれているコマがあります。みんながおしゃべりしている横にベッドみたいなものがあって矢印をして「疲れたら横になれるスペース。重要」と書かれています。
ははあ、自閉症スペクトラム障害の人にとっての「落ち着く場所(カームダウンエリア)」みたいなもんや。もちろん自閉症スペクトラムの人には刺激を遮る壁とかがあったほうがいい場合も多いですが。
またスタッフさんは日常の「スーパーに行ったら・・・」みたいな相談から「書類の書き方がわからない」といったことへのサポート、家族からの相談、お医者様への(ユキさんに許可を取った上での)報告、お母さんの病院への付き添い、などもして下さいます。
それから、日常でついユキさんがお母さんにつらい言葉をはくこともあります。そんな時、以前なら家でウジウジしていたのが「地域生活支援センターに行って来る」と言って「つげグチ」しにいくそうな。(自分に都合良く!(笑))しかし、お母さんはそれですっきりゴキゲンで帰って来るそうです。
お母さんの感想。
「今までビョーキのコト話したら、みんな連絡くれなくなっちゃった。だけど支援センターのみんなは一緒にいてくれるの」
で、今まではユキさんが体調を崩すと「ユキが死んだら、私も一緒に死ぬ」と言ってたのが、にこにこしながら「ユキが死んだら、センターのスタッフに助けてもらいながら、ひとり暮らしガンバル!心配しないでね」と言うようになったとか。
で、ユキさんはスタッフさんから「薬はどんな内容ですか」と聞かれ、答えられない自分に気づきます。自分からお医者様に病気のことを聞くこともなかったし、専門家にまかせていれば安心と思っていたし、お医者様から具体的な説明は無かったし。
むむむ、です。自閉症スペクトラムの人も「専門家におまかせ」ではすまないですね。とくに自閉症スペクトラムの人には「見てわかる」環境調整が大事になりますから、おまかせにはなりえない。(もちろん、親無き後、家族無き後、ひとり暮らしが無理な方にはグループホームなり入所施設のスタッフさんがして下さるでしょう)
で、ユキさんは、勉強しはじめます。薬も副作用がひどいようなので薬を変えることを相談し、減薬してもらいますが、幻聴が増えてつらくなったりと、あちら立てればこちらが立たずでなかなかむつかしい。
そうこうしているうちに、障害年金が打ち切りに。状態が変わっていないのに。これでお母さんが落ち込みます。ユキさんが「私がいるじゃん」と言っても「ユキに迷惑ばっかりかけてきたから・・・これ以上経済的に負担かけたくない」と言って。状態も悪くなる。
そこで「地域生活支援センター」に相談したところ、スタッフのおかげで無事支給が再開されます。
ユキさんが障害年金申請で気をつけていること。
・診断書の内容と現状が合っているか、提出前に確認して違うようならドクターやソーシャルワーカーに相談してみる。
・役所に提出する書類は、すべてコピーをとっておく。
・診断書以外にも「家族と本人からの意見書、陳述書」を添付する。( 「家族と本人からの意見書、陳述書」には半年くらいの日常生活の様子や困っていることなど、気がつくことをすべて書く)
前のところで、お母さんはお医者様の前で日常のひどい状態を告げていませんもんね。ついついそうなりがちだから、診断書が現状に合わないことも出てきますから。そこを訂正していかないと、いけませんね。
主治医からの薬の調整がなかなかうまくいきません。そこで、「生活支援センター」のスタッフに相談したところセカンドオピニオンを受けることを勧められます。そしてスタッフが考えた希望に合いそうな病院とケースワーカーさんを紹介してもらいます。
そこの病院では
「変薬については、転院してすぐには難しいですが、少しずつ変薬していきましょう」
と言われます。そして転院することにし、前の病院と新しい病院のケースワーカーが連携してすべて手続きを完了して下さいます。つまり円満に転院できたわけですね。
ユキさんは、障害年金の申請の時の診断書が現状と違っていたのを反省して「毎日お母ちゃんの観察日記をつけよう!」と思い立ちます。そしてそこにはお母さん自身がお医者様に伝えたいことも一緒に書くようにします。
お医者様は、それも読み、かつお母さんにもいろいろ聞き、記録ノートに返信してくれます。
そしてこれが役所への申請書類を作るときにも大きく役に立ちます。
そして変薬が進み、お母さんの状態がすごく良くなります。お母さんの発言。
母「今までツライだけで何のためにクスリ飲んでるのかわからなかったんだ。」
ユキ「じゃあなんで飲んでたの?」
母「飲まないとみんなにおこられるから」
母「クスリって効くんだなぁ・・・」
この時からお母さんは自発的にクスリを飲むようになったとか。
実のところこれまではお母さんは自分が統合失調症ではない、と感じておられたそう。「病態失認」というやつですね。そして、合ったクスリに巡り合ってはじめて「やっぱり病気だったんだ」と実感したそう。それまではクスリを飲んでいても、症状が改善されないため「もしかしたらじつは霊感体質なのかも?」と疑いつづけていたとのこと。
クスリが効き、症状が改善したことで「病識」を持ち、以降とても治療に積極的になられたとか。
「私はこの一件で、
『その人に合った治療をみつけること』『本人が病識を持つこと』がいかに大切かを痛感させられました。
そして・・・『家族が早く気づき』『すぐに医療(精神科)につなげ』『積極的に病気について学び』『治療に力を貸してあげる』のが早期回復に重要なのだとも感じています。」
なるほど、納得納得です。
自閉症スペクトラム障害と重ねてみるとどうなるでしょう。この場合は現在のところ薬で障害そのものがどうこうなるわけではありません。ですから「治療」という概念とはちょっと違ってくると思います。精神科医さんを選ぶ時も、まず「環境調整」から入る方を勧めます。(そうでなく薬で治そうとしたり、食事で治そうとする方もおられるようですがお勧めできないと思います)そこらへんが「その人に合った治療」ということになるかな。「治療」と呼びにくいですけど。
もちろん睡眠障害はじめ過度のイライラなどがある時、お薬に頼ることも必要になるかもしれません。しかし、このお母さんと同じように「効く」と思えなければ、自発的に飲むことはないでしょう。これはカナータイプの方でもそうじゃないかな?高機能自閉症やアスペルガー症候群の人なら当然のことでしょう。でそういうふうに「効く」と本人に思える時、お薬は役に立つものだと思います。
「本人が病識を持つ」これはカナータイプの人でも他人との違和感という形で感じるかもしれません。(本人さんからの報告は少ないですが)高機能自閉症やアスペルガー症候群の人だと、本人さんが困っていれば、告知や、その後自分で学んで行くことはすごく大事なことだと思います。「違い」がわかってなければ「対策」も立てようがないし、間違った「対策」を立てることにもなるだろうし。
「家族が早く気づき」これはそのままですね。「すぐに医療につなげ」これは小児精神科や精神科になると思います。そして特別支援教育の担当者。「積極的に病気について学び」これは「積極的に自閉症スペクトラム障害について学び」となりますね。「治療に力を貸してあげる」これは「環境調整に力を貸してあげる」になるでしょう。
もちろん早期に対応できたらいいですけど、まあ年をとっても大丈夫ですけどね。あきらめる必要はさらさらない。(治すことはさっさとあきらめたほうがいいですけど。治すんじゃなくて一緒にいごこちいいようにしていく)
統合失調症については最近の薬の進歩もあり、適切に服薬することで安定した社会生活を送れる人も増えたとか。ユキさんが家族会に参加しても「本人から言われないとわからない」(家族と思っていたら当事者だった)ことがよくあるそうです。
で、「結婚なんかしない!シゴトに生きるの」と決めていたユキさんですが、漫画家のアシスタントの先輩であるタキさんからプロポーズされます。しかしお母さんを一人にはできないし「ダメもと」(このダメは「結婚できない」の意味か、「同居したいけどできない」の意味か、どちらかは私には判断できません)でユキさんが電話で告げます。
ユ「あのさ〜うちの母、精神障害があってひとりにはできないんだヨ」
タ「それならみんなで暮らせばいいじゃない」
ユ「いやね〜でもね〜突然泣き出したりいろいろあるから大変なんだよ・・・」
タ「わかった 大丈夫! じゃそーゆーコトで」
でユキさんは不安になり、またいつの日か彼か母を選ばなければならない日が来るのではないかと思います。
結婚。
お母さんはすごく明るくなります。しかし、不安定になることも。
ユ「あのさぁ お母ちゃん今被害妄想入ってるから気にしないで」
タ「了解!!ところで・・・俺さぁお母ちゃんのビョーキのコトもっと詳しく知りたいんだけど 応対のしかたとかもあるしさあ」
でユキさんはどこまで話していいか困ります。包丁のこととか・・・でお母さんに相談します。(!えらい!)
母「昔のことは恥ずかしいから知られたくないなぁ」
で
ユ「そう言うんだけど」
タ「そっかあ それならべつにいいよ。だって大事なのは今とこれからだもん」
う〜ん、ええ言葉やなあ。その通りやと思います。
結婚を機にタキさんは介護福祉士になり、老人施設で働きだしたみたい。
で、お母さんがうろうろしても「大丈夫!施設でもウロウロしてるヨ」被害妄想が出てきても「ハハハよくあるよくある」
すごいなあ。でタキさんはおみやげを買ってきたり、お母さんにプレゼントを贈ったり。ユキさんは「母のことを一番わかってるのは私」と思っていたのに、タキさんの方がいい対応をしていたり。
またユキさんは困った時は、一人で考えるのが習慣だったのに、悩んでいるとタキさんがポンと肩を叩いて「一緒だから大丈夫。一緒に考えよう」と言ってくれたり。
そして家族みんなに笑顔が増えていきます。
後ろに「社会資源を活用しよう!」というページがあります。制度・機関なんかが簡単にまとめてあります。そこに
「わからないコトはどんどんきこう」
「ヒトリで役所に行くのが不安なときはソーシャルワーカーさんや支援スタッフに相談してから行くといいですよ」
と書いてあります。その通りですね。自閉症スペクトラム障害だったら誰に相談すればいいのだろう?やっぱりケースワーカーさん?特別支援教育担当者は結構このあたりは弱いような気はしますが。先輩の保護者(最近はメンターっていう言い方もしますね)なんかかなあ。
読みやすく、わかりやすい本でした。
わお、図書館で借りてきた本は既に第9刷でした。
協力
「地域生活支援センター」スタッフのみなさん。
新宿区精神障害者家族会「新宿フレンズ」サンマーク出版ホームページの「わが家の母はビョーキです」のページ