私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年09月20日

自閉症の人にとって音声言語は第三外国語である

 自閉症の人にとって音声言語は第三外国語である。

 これはどなたかが言ってたような気がします。

 第二外国語ですら無い、という話ですね。わかりにくいわけです。


 ちなみに私の場合、英語が第一外国語、フランス語が第二外国語。そもそも第三外国語はありません。

 で、できないできないと言いながらも、英語なら単語と身振り手振りで何とかコミュニケーションしようとします。

 でもフランス語はもう全然。覚えているのは

S'il vous plaît (お願いします)

C'est la vie (それが人生さ)

だけ。フランス語で話しかけられたら、何が何やらです。コミュニケーションしようという意欲すら失ってしまう。


 それが自閉症の人は第三外国語で話しかけられているわけです。オウム返しでもしとくしかない、という話になる。

 であるなら、母国語である「見てわかるもの」でやりとりしようよ、となるわけ。

 ひょっとしたら、それについてくる、あるいは関連する音も覚えてくれるかもしれない。


 もちろん、世の中にはバイリンガルの人もいる。多言語を使う人もいる。でもそれは少数だからこそ「すげえ」と思われるので、しかも最近は「バイリンガル、それがどうしたの?仕事に使えなきゃ意味ないじゃん」という見方もされる。

 これは「音声言語を出しているように見えてもコミュニケーションできてなきゃ意味ないじゃん」みたいな感じかな。





posted by kingstone at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コミュニケーションをするためにはおめめどうの商品が役に立つことも多いだろうこと

 自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群や広汎性発達障害の人の音声言語の理解と表現について書いて来ました。

 音声言語の理解と言うけれど、その前に「理解」が必要です。「見てわかるもの」で。それがあって初めて音声言語「も」理解してくれるかもしれない。(理解してくれない場合もあるかもだけど。)

 音声言語の表現と言うけれど、その前に「見て伝えられるんだとわかるもの」があって初めて音声言語で「も」表現してくれるかもしれない。(してくれないかも、だけど)

 そんな「見てわかるもの」「見て伝えられるんだがわかるもの」を商っているのが(株)おめめどうなわけです。

 で、おめめどうが目指すのは「居ごこちのいい暮らし」

 目を三角にしてやるようなもんじゃありません。




posted by kingstone at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | おめめどう・視覚支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

音声言語の訓練についての私的考え

 自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群の方への音声言語の訓練(教育?療育?身につけること?)について考えていることを書きます。

 ここしばらくのエントリで音声言語関連の話を書いて来ました。

 実のところ「音声言語の理解」と「音声言語の表現」については、本当にひとりひとり異なっていて、アセスメント(別にフォーマルなものでなくても日常生活や課題学習・自立課題学習などでかなりのことがわかると思います)してみないとわからないところがあると思います。

テンプル・グランディンさんが子ども時代、危機の時に言ったこと

 に引用した以外のところで、テンプルさんは三歳頃、大人の言うことはすべて理解していた、と書いています。ただしそれが「行動」とひっついていたかは疑問ですし、少なくとも音声言語での表現はできなかった。

危機の時にものすごく適切なことを言ったお子さん

にしても

いままでに1回だけ「置いてくで!」と言った子

にしても、頭の中に何らかの「音声言語」がたまっていて「こういう時はこう使うんだ」という知識とともに入っていたのでしょうね。でも普段は使えない。

 「音声言語」というか「音声」というものがあるのはわかっている。音声は頭の中にも入っている。しかし人と人とのやりとり(コミュニケーション)に使えるとは気づいていない、そんな感じかな。もちろん人により頭の中に入っている音声の多い少ないはあると思います。また過去の研究から継時的に入ってくる情報をとらえにくい、という実験結果は大昔に出ていますから、「音声」もひとかたまりではなく「ぶつ切り」で頭の中に入っているのかもしれない。

 「人と人がやりとりできる」ということに「気づけない」ことが障害というか特性なわけです。音声言語だけでなく、他の方法でも、コミュニケーションできることに気づいていない。

 そこで、まず本人にわかりやすい方法でコミュニケーションしてもらおう、というのがAAC(拡大代替コミュニケーション)の考え方です。これは別に音声言語を否定しているわけでは無い。不思議なことにこういうことをすることで音声言語が伸びる子も多数いる。しかし、もちろん音声言語を伸ばすためにやるもんじゃないです。音声言語が伸びるのは、あくまでもついて来た結果。基本は「本人の楽な手だてでコミュニケーションする」です。そしてコミュニケーションの楽しさ便利さをわかってもらうために、PECSでは徹底的に本人の好きなものを探し、それを要求するところから始めます。

自閉症児と絵カードでコミュニケーション PECSとAAC アンディ・ボンディ他著

 またsyunさんは表現手段となる機器をフィッティングする時

「これは本人からの要求以外には使わんといてなあ」と言うわけですね。

 コミュニケーションはそこから始まるのですから。


 で、言語訓練ですが、昔、診断が無く「言葉が遅れている」「言葉が使えない」と言うことで、「言葉の教室(通級学級)」や「耳鼻科」を訪れる人は多かったです。ひょっとして診断があってもかな?

耳鼻咽喉科のお医者様とお会いしました

 今は言語聴覚士やことばの教室の教師も私が上に書いたような「トータルコミュニケーション」の観点から見て行かれることが多いと思います。ちなみに手話もAACのひとつですね。

 しかし、大昔は、補聴器のフィッテイング、舌や口の使い方etc.に高い技能をお持ちでも、またそのあたりの障害のお子さんに音声言語を獲得させるのが上手な方はいても、自閉症・アスペルガー症候群・広汎性発達障害のお子さんにうまくコミュニケーションを獲得させる技術をお持ちの方は少なかったです。(少数はいました。そういう方は音声言語にこだわっていませんでした)

 また、言う音声、聞き分ける音声、が増えたとしてもコミュニケーションには使えなかったりとか。

 例えば「トイレ」という音声を出せば親が絶対関わってくれると学習したお子さんは、「関わって」と伝えたい時に「トイレ」と言うとか。そういう間違いは、いろんなところでよく起こります。

 あと「理解する」「聞き分ける(判別する)」方の間違いとしては

「きらっといきる」あら ってるねえ! 〜・西畠義浩さん〜

の中では西畠さんが「自分の名前」「ダメ」「ありがとう」の意味を完全に取り違えている様子がわかります。(「ダメ」は取り違えてないか・・・でもNGになるということは・・・)

 「言葉の教室」にしろ「言語聴覚士」によるスピーチセラピーにしろ、「音声言語の発達のために」「訓練で」通わせようとしたら失敗するでしょうね。その本人さんにとって「楽しい時間」となり「伝わった」という喜びがもてる時間でないと。(で、実際に大昔にもそんなことができている言葉の教室の教師もいました)

 例えば、私だったらこんなセラピーをしたい、という例を挙げれば

 お茶とお菓子を用意する。そしておやつの時間とする。「お茶下さい」「ジュース下さい」「砂糖下さい」とかそんな自然な会話をする場にする。もちろん必要なお子さんには「要求用のカード」を用意したり「リマインダー(心覚え)」を用意したりもする。

 これが「好きなゲーム」であってもいいだろうし。提示できる単語数、聞き取る単語の獲得数、出せる音声言語の単語数、そういったものは少なくなるかもしれない。しかし確実に使える「言葉」(音声言語であったりカードであったり自分で書くことであったり)は増える。

 
 そう言えば鈴木おさむさんがAERAでバリバラを紹介していました。

きらっといきる「バリバラvol.4〜バリアフリー・バラエティー〜」

 実のところ、私は「NHK教育がバラエティー?!絶対面白くないわ。見ないでおこう」と思っていたのです。ほ〜きらっと生きるだったのですね。

 で鈴木さんが感動しはったというのが

「ヘルパーを志す若者たちが、重い言語障害のある人のことばを聞きとるクイズに挑戦する。」

のところ。若者たちはみ〜んなトンチンカンな理解をする。それを見て(聞いて)重い言語障害のある人がたまらず笑い出す。そこが「感動」と書いてはったか、「こんなのもあり」と思いはったのだったか・・・

 でもそうやなあ、と思います。矯正することを考えずに笑い飛ばす、というのもなかなかすてきです。


posted by kingstone at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ペーパーテストで高得点取れるのに窓口での交渉に苦労する話

 ネットをうろうろしていて、たまたま見つけた発言。

 書かれたのはたぶん高機能自閉症かアスペルガー症候群の方。(広汎性発達障害という言い方をしてもいいでしょう)

 もちろんネット上のことですから、何も確認するすべはありません。しかし私は確かなとこだろうと思いました。コピペでは無いので細かい言い回しは違うかもしれません。


「ペーパーテストでは高得点が出るんだよな。ところが役所の窓口で手続きをしようと思ったらこれが全然できない。そこんとこわかってもらえない」

 なるほどなあ、です。窓口では「書き込むべき書類」は出してくれることがあっても、基本、音声言語でのやりとりになりますから。

 この時、必要な支援は、その手続きの順番を羅列した紙1枚。人や場合によっては「ああなればああする。こうなればこうする」がわかり易いように「フローチャート」になったものかもしれません。

 こういう方に「お前は成績もいいのに、こんなことができない、と開き直るのか。努力が足りない。頑張りが足りない」と言うのでしょうか?それは変だ。

 これは「音声言語そのものがわかりにくい」と「自分の中でやる順番を決めるのが難しい」という特性に基づいているものだと思います。





posted by kingstone at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いままでに1回だけ「置いてくで!」と言った子

 大昔の話です。

 特別支援学級にいた頃。


 音声言語はよく分かっていると思われていたお子さん。だから音声言語の指示のみ。以前は威嚇も多用されていた。(ってことは音声言語の指示で動いてくれないからですね)また抱きかかえ(これは教師もだけど友達も)、教師による身体による押さえ込みなども多用されていた。(つまり音声言語の指示がわかっていないか、「そんなのやりたくない」の意思を表現してるかどっちかに教師が対応しようとしている)

 発語のほうはありません。笑い声を出すことはあった。


 私が出会った時、「あ、危険かなあ・・・周囲を怒らせてしまうかなあ」と思いながらもコミュニケーションするのに必須だったので、ついカードなど視覚支援をいろいろ使ってしまいました。そしたら保護者から猛抗議を受けました。「非人間的だ」「ひょっとしたら出るかもしれない音声言語が出ないようになったらどうする」とのことでした。

 結論は覚えていません。でも「では使う場を限定して」ということでお願いしたと思います。まったく使わないようになったわけではなかったですから。

 このお子さんにはこんなエピソードがあります。

 お母さんは、小さい頃からお子さんをうまくコントロールしていました。もちろん愛情豊かに、楽しいこともいっぱいさせてあげ、困った行動をすれば叱る。日常生活でほとんど困ることはありません。買い物に行く時など、手もつながずにお子さんがお母さんの側をついて来るようにできていました。

 で、もしお子さんが興味を持ったものがあって止まってしまった時、まあしばらくは見せてあげてたのかな。で、もう行かなきゃ、となると「置いてくで」と言って、すたすた歩いていくとついて来る。

 ある日、また買い物に行く途中にお母さんがママ友に会った。そこで井戸端会議が始まってしまった。しばらく一緒にいたお子さんは「置いてくで」と言って、すたすたと歩いて行ってしまった。

 これが今までの唯一の意味ある音声言語を言ったエピソードだそうです。

 このお子さんがどのくらい音声言語を理解していたのか。

サポートブックに書いておいて欲しいこと

から。

 あるお子さん。
 私、音声言語が本当にわかるのかなあ、と思って実験(!!嫌なやつです)してみました。

 戸が開いた状況でその子が戸のそばにいる。

私「戸を開けて下さい」
子 とまどっている
私「戸を開けて下さい」
子 戸をしめました

 またイスのそばにそのお子さんが立っている状況で。

母「イスに座り」
子 とまどっている
母「イスに座り」
子 とまどっている
母「(イスを指さして)イスに座り」
子 ほっとしたようにイスに座る

 お母さんは日常生活で何も困っておられません。
 周囲は・・・いろいろ困っていました。

 でも私は何も言えませんでした。
 夢や願いもあるだろうし・・・
 音声言語で混乱(パニック)するお子さんでも無かったし・・・

 そのお子さんは音声言語での表現は無かったです。
 しかし、ほんと思ったのは、視覚的なコミュニケーション手段を受容性でも表現でも両方で使っていたら、音声言語も使うようになっていたのではないか、という感じはしました。わかりませんけど・・・



 この最後のところ、

危機の時にものすごく適切なことを言ったお子さん

にしたってそうやろな、と思います。「見てわかる手だて」でコミュニケーションし、特に要求の表現をあれこれ身につけてもらったら、音声言語も使えるようになったんじゃないかなあ・・・当時の私にはそんな知識はありませんでしたけれども。もちろん音声言語以外も使うということですけど。で、何を使うか選ぶのは本人さん。



posted by kingstone at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9月20日(月曜日)

 おはようございます。

 今日も起動できました。

 曇ってますね。

posted by kingstone at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする