大昔の話です。
知的障害特別支援学校にいた頃。
※これを書いた時、私はほぼ全否定のつもりで書いたのですが、肯定していると取ってあわてておられた方もいらっしゃいました。※で現在(そして過去もほぼそう考えていた)の私から見たコメントをつけたしていきます。しかし「とある療法」と書いてますが、読む人が読めばまるわかりですね。
kingstoneです。
とある療法について質問されました。
私は詳しくないです。
1999年に講演会を聞きに行き、その感想を一部の方に送ったものがありますので、それをお返事に変えたいと思います。
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今日、とある療法の講演会に行ってきました。
ある保護者の方が「学校の先生で興味のある方がおられたら来て頂けたら」と案内状とチケットを下さったのですが、誰も行かないので私のところに話が回って来たわけです。で、私はとある療法には興味があったので、喜んで行かせて頂きました。
また私は「研究会」でも参加して下さる保護者の方に「良ければ担任の方もお誘い下さい」と言ってますし、保護者からのお誘いはできることなら受けるべきだ、という思いもありました。
私は今までではある本の中で○○さんと創始者さんの対談くらいで知っていただけでした。ただその中でも寝かせたり、子どもを叩いたり、というようなあたり、難しいやり方だなあ、という印象はありました。
それから、うちの学校の指導内容を見てみるととある療法の実践を参考にして形だけ残っているのでは、と思われる面が多々あるので確かめたい、という思いもありました。体育館で走った後、床に寝ころぶ、とかね。子どもを叩く、もこちらから来てる可能性もあります。
今日のテーマは「問題行動への対応法」
会場の大ホールはかなりの人数でうまっていました。
TEACCH療育研究会の北部例会かもう少し多いくらいの人数は来られてました。
後で質問者が所属を言ってるのを聞くとかなり遠方からも来ておられるようでした。
最初の方で創始者さんが「ほんとマスコミとか人権団体とかは、叩くというようなところばかり取り上げてなかなかきちんと理解して書いてはくれない」という愚痴を言ってはりました。そのお気持ちはよくわかるような気はします。
また創始者さんは
「他害などを表現行動の1つであるから認めていこう、というような立場の方は今日の会に参加されても何ら得るところはありません」ともおっしゃってました。
あはは、いろんなことを言われてカチンカチンと来てはるのだろうなあ、と思いました。ちなみに私は
「他害なども表現行動の1つであるから、別の表現に変えていこう」という立場ですけど。
ところで講演の内容ですが、私が最近TEACCHについて学習してきたところ
で95パーセントくらいは理解できたような気がします。
・問題行動が起こる前に止める。
・問題行動を起こさないカリキュラムを組む。
・先手必勝(環境を設定する)
ここらへんはまったくもっていっしょやん、って感じです。
※ただその「起こる前に止める」が本人さんに「状況をわかるように伝える」「していい行動をわかるように伝える」できるなら「その場を避ける」というような「環境設定」や「先手必勝」を主張してはるのでは無いようでした。自閉症の文化と多数者の文化があるなら多数者の文化に合わせようとばかりするって感じかな。そして合わさせる時に暴力も肯定する。自閉症の人を普通の人にしようとする。そんな感じでした。
ただし・・・問題行動が起こる前に止める、のところで、例えばある本の中では小さい子どもを突き飛ばす方に対して、突き飛ばす前にビンタをしてる図が出てきますけど・・・
また 問題行動→叱る→ごめんなさい という流れは無意味というより、余計悪い、という話もありました。問題行動が起こる前に、何か変化があるはずだからそこをしっかり観察して起こる前に関わる、ということを強調されてました。
※これは正しい指摘です。しかしその「起こる前に関わる」やり方が「本人が見てわかるものなどでわかって」「本人が自ら判断して行動を変える」というものじゃなかったですね。まあ「ごめんなさい」問題は奥が深いです。
また問題行動を起こすレベルを4段階に分けてはります。
1.自発頻発(体の中から自然に出て来る)
2.他者による抑制(誰かに止められてやめる)
3.自己抑制(悪いとわかってやらないでおこうとするが、抑制してくれる人がいないとやってしまったりする)
4.消退(どんな場合でもやらなくなる)
で3段階より下位のレベルの場合、話し言葉による説得などは不快反応を引き起こすから動作で対応した方がいい、というような話もありました。また何かをやめさせそうという場合でも声かけでなく、動作でやった方がいいことが多く、それでやってると外部の人からは「なんて冷たい」という誤解を受けてしまう、なんて話がありました。共感します。
※共感したのは「声でなく動作」というところを誤解される、という点です。これは自閉症の人にとって「音声言語」がわかりにくいから音声言語による説得は、より混乱させるだけのことが多いのですから。でも「動作」(具体的には抑制したり痛みを与えたりということになるのだと思う)としてはりますが、基本身体的な軽いプロンプトや、見てわかるもので伝え理解してもらい、自分でやらなくなるということは全然おっしゃらないですね。それと上の4分類がそもそも変な感じ。他人の「力」を借りてやらなくなる?最後の段階は頭の中に他人が入ってくるってイメージなんだろうか?精神分析の超自我みたいな。でもそんなもの仮定しなくても「わかったらやらなくなる」「別のできることができたらやらなくなる」「そもそもやらなくてすむ環境を作る」の方がよっぽど楽にコストも低くできると思う。
「構造化」がいい、なんて話もあったなあ。
また質疑応答のところで、ある保護者の方が
「一日中、CMを言い続けている。療育センターの方は「ストレスを発散しているのだから止めてはだめ」と言う。今日のこの講演を聞いて、ちょっと違うかなあ、と混乱している」というのに対し
「ほんと、「何でも子どものやることを認めなさい」というのから、私の所よりもっともっとスパルタな所までいろんなのがありますね。それで混乱されるのもたいへんだと思います。でも、これはもう直感で選んで頂くしかないかと思います」とおっしゃりました。
※私なら「そのお子さんにわかること、楽しい(?これは少し疑問。何かしっくりこなくて不安かもしれない)ことがそのCMを言うことしか無いのだ」と考えます。だから「わかってできるコミュニケーションを増やす」「わかってできる仕事(自立課題学習。家庭なら家事なども)を増やす」で対処します。特に「CMを言う」を止めようとはしません。
、それに続いて
「アメリカにTEACCHというのがあります。極端なものを排除して、保護者と契約して最低限のことを保証しています。甘い、と言われることもありますが、こういうのが必要じゃないかな、と思います」とおっしゃっていました。
※これはIEPのことと少し勘違いされてるよう。でもTEACCHはIEPを大事にするので全面的に間違いということでもない。
あと、自閉症の人のペース、こちらのペースという話もありました。自閉症の人のペースだけでやるは問題で、こちらのペース(指導者や保護者など周囲の人のペース)に合わせられる必要がある、というような話で、そのために「座る」やある場所に「立ち続ける」というような訓練がされたり、また偏食指導の時には指導者がペースを作るためにスプーンを口に入れたりもするみたいでした。
※まず「自閉症の人にわかるように伝えよう」というのが無いなあ、と感じます。そして「こちらの都合」というものは絶対にあり、それは合わせてもらう必要がある時もありますが、それは「わかるコミュニケーション」をした上での交渉ごとですね。で、よーく考えると「こちらの都合」と思ってたことがどうでもいいことだったりする。また指示により「意味がわからず座り続ける」「意味がわからず立ち続ける」訓練は全然必要無いと思います。スプーンを口に入れる(突っ込む?)ことについては過去のエントリにさんざん書いて来たことです。弊害のみあります。
うーーん・・・例えば実のところ自立課題や1対1の課題の中で私なんかもかなりこちらのペースを取り入れているわけです。つまりこちらの都合に合わせてさせるわけで・・・で、これが大事だと、いうことはよくわかりますね。でも単に座ったり、立ったりということはいらないんじゃないかなあ・・・と思ったりしました。
あ、立つ訓練では「タウンページを持つ」という「作業」をしてはる場面が出てきましたけど。
※全然面白くないですね。
また偏食指導についても・・・今のA君やC君とのやりとりを考えると、あんまし無理なことをする必要は無いのじゃ・・・と思えるのですよね。まあ昔、かなり強い指導がされた上での私の実践ですから、過去の指導があったればこそ、と言われれば反論しようは無いですけど。
またこんなのもありました。
「予定は本人に立てさせてはいけない。好きなものばかり選ぶし、変更などあったらパニックになるから」
これは、スケジュールの変更に耐えられる(スケジュールの変更が納得できる)ように日々の構造化の中で学習していったらいいのじゃないかな、本人がスケジュールたてられたら、それはそれでいいのじゃないかな、と思いました。
※本人がスケジュールを全部立てるのは難しいこともあります。その場合はある程度提示してあげるわけです。しかし自分の嫌なスケジュールを外して、やりたいスケジュールを本人が入れることがあります。これは大喜びしたいところです。本人がスケジュールの意味がわかり、表現してくれた、ということですから。また人間「自分に都合のいい変更」は受け入れられることが多いです。そして、できるのであれば本人が全部スケジュールを立ててもかまいません。まあなかなか難しいですけど。とにかくスケジュールに限らず、いろんな形で本人から表現する手だてを講じて、本人から表現してもらう、という視点が全体に欠けておられるような気がしました。
若干の違和感はありながらも、やはり創始者さんたちはすごい実践者だと思いました。話のはしばしに参考になるところがあり、また会場との質疑応答でも回答を出すのではなく「困っている本人が対策をまず考える。また聞きの私などがうまく考えられるわけがない」と本人さんに考えるようにうながすところなど、なるほどなあ、と思いました。
やはり私の学校の例えば体育館の中を走ったり、手をつないで回ったり、はとある療法の実践を参考にしているように思われましたが、それが形だけになっているようです。(でも、その方がいいかもしれない)
また「叩く」というようなことも、かなり限定された状態で肯定しているのだけれど、それを表面だけ取って、真似してきたところが過去にあったのではないかと推測されます。
そういう意味で危険だよなあ、というのは思いました。
まあ、そう言えば、TEACCHだって形だけ真似すりゃ危険ですわね。
講演を聞く限り、そしてたぶん実践でも「環境を整える」ということにかなり力を注いではると思います。しかし「普通(の子)にする」の部分も強調しはることはしはるし、結構修行がいる、というか名人芸の必要というか、そんなことを感じます。
※「環境を整える」でも「見てわかるようにする」はあまり言われなかったように思います。そして「普通の子にする」は本人も周囲も不幸になるような気がします。
ちょうど禅宗のお坊さん、という感じかな。確かにスタッフの方たち、みなさん「凛々しい」という印象を受けました。
※私は一休さんは好きだし、禅宗にも好意は持っています。しかし例えば永平寺に修行に行けるとは思えない。
私自身は、いかなる修行でも救われそうにないので、易行道を、もうちょい極めたい、って気分です。
でも、ほんと、教材なんか参考にできそうなのがいっぱいあったのでたくさん本を買ってきました。
※とある療法以外にもいろんな療法を主張されるところには、それなりに「自閉症の人」が喜んでやるというか、はまるような教材が開発されていたりします。そういうのは「自立課題学習」で利用できたりします。また自立課題学習によりそれまで見分けることができなかったものが見分けられるようになったり、できなかったことができるようになったりはします。しかしこちらが「何のためにそれをやっているのか」を考えていないと、ひたすらボトムアップをやっただけ、生活は何も変わってないじゃん、ということになりがちです。
とある療法のこと(問題行動への対処)