このお題では不定期につぶやいてみたいと思います。で、つぶやいたことを忘れそうなので、こちらに残しておきます。
問いかけて頂くきっかけになったつぶやきも同時に。
たぶん具体的なAAC技術やコミュニケーション技術についてよく知ってる人は特別支援学校に1人いりゃ十分と思えるし、特別支援学級を巡回して指導する人もそうたくさんはいらないだろうと思うのですよね。
肢体不自由特別支援学校で様々な機器について具体的に知ってること、1人は必要だけど、他の先生は「この子とこんなことしたいのだけどな」「でもどうやったらわかってもらえるのかな」「どうやったら表現してくれるのかな」と目の前のお子さんを前に「困って」くれたらいい。
知的障害特別支援学校でも様々な機器について具体的に知ってること、1人は必要だけど、他の先生は「この子とこんなことしたいのだけどな」「でもどうやったらわかってもらえるのかな」「どうやったら表現してくれるのかな」と目の前のお子さんを前に「困って」くれたらいい。
で、困ったらその1人のよく知ってる人に相談すると。具体的な機器や、商品、やり方の情報はどんどん古びていく。で多くの先生はそんなこと知る必要も無いように思うのです。「目の前の子とつきあいたいけどうまくできない。困ったな」そして詳しい人に「その子ひとりのため」の具体的なことを知る。
私は「困る才能」って言ってるんだけどね。「目の前のお子さん」と「今」「ここ」で困ってる。だから解決するためには誰々さんに聞けばいい、みたいな。
話せば長くなるかも(笑)
さっきつぶやいたことと矛盾することも書くかなあ・・・携わりはるの?
まず特別支援教育に限らず一般的なこと。勉強する、っていうのは本や論文を読んでまとめりゃいいってもんじゃない。必ず現実にたち返って検証されないと。そしてさらに進んでいく。美しい言葉が書かれたものに感動しても「ほんまはどないなんかな」と見たら全然違うもんやったり
また一般論。広く浅く概観を知る。歴史も。
で特別支援教育の中の一般論。歴史の流れを概観すると「障害のある人を普通にする」→「障害のあるままで(普通に)暮らせる」→「障害のある人の権利擁護」みたいな流れ。細かくは本などにあたって下さい。
また特別支援教育の一般論。産まれて子どもになり大人になり老年になり死ぬまでのライフステージがあるわけです。とりあえず、あんなとこやこんなとこがあるねんなあ、というのを知っておくのは大事。詳しくはなくても。学校だけにこだわらない。
あとこれは一般論かな。どこへ行けば(アクセスすれば)必要な情報があるのかだいたいわかること。例えば大昔、特別支援学校で「特殊教育学会」というものの存在をひとりも知らなかった、なんて問題やわなあ。もちろんその中も玉石混交ですが、それでもとりあえずね。
で、ここまででまずは力つきました。