今日は書きすぎ、もう止めておこう、と思ったのですが、これは書いておこう。
週刊文春8/5号
阿川佐和子のこの人に会いたい
ゲスト 半藤一利
昭和38年に敗戦時日本の様々な所でその日を迎えた人、28人の大座談会を開いた時の話。
阿川「激しい討論になったりはしなかったんですか。『迫水(当時内閣書記官)、貴様のせいだ!』とか」
半藤「私はね、そうなるかと思ってたんですよ。ところが、なりませんでした。みんな冷静でしたね。たとえばソ連大使だった佐藤尚武さんが『私はソ連は必ず参戦すると何遍も電報を打ったでしょう』と言ったら、外務次官だった松本俊一さんが『受け取ってない』なんて言う。そんなバカな話があるか、と佐藤さんが怒るかと思ったら、『そうか、そんなに本省はゴタゴタしてたのか』くらいで終わっちゃった」
私は、いろんな所で自閉症の人がどれだけ苦しんでいるか、どれだけひどい仕打ちを受けているかを、いろんなところで伝えて来たつもりはありますが、文部科学省にしろ、教育委員会にしろ、また現場の先生方にしろ、「そんなにゴタゴタしてたのか」という状態だったのでしょう。
阿川「そこが意外でした。ビルマの最前線にいた会田雄次さん、捕虜収容所にいた大岡昇平さん、沖縄の従軍看護婦、楠政子さんとか、命からがら生き残った末端の方たちもいらしたでしょう。そういう人たちの体験を聞いて、上層部の人たちはどう思ったのかしら」
半藤「それこそみんな黙って聞いてましたよ。楠さんの話のときかな、誰かが『そういう状態とは知らなかった・・・』と洩らした。上の人たちはほんとに知らなかったみたいなんですよ」
これもまた自閉症の人がどれだけ苦しんでいるか、どれだけひどい仕打ちを受けているか、文部科学省の人も、教育委員会の人も、現場教師も・・・ひょっとして保護者も(?)ほんとうに知らないのかもしれません。知らないというかわからないというか・・・
何か「俺はわかってるんだ」「わかってたんだ」みたいな上から目線ですね(苦笑)
決して「わかってた」ことは無いですね。
いろいろ失敗もしています。
エントリにできるだけ正直に書いているつもりはありますが、あまり出てこないとしたら、「思い出はみな美しい」というのもある。
それに「うまくいったことは書きやすい」(保護者が気づいても笑って許して下さる可能性が高い)「うまくいかなかったことは書きにくい」(保護者が怒りだす可能性が高い)ということもあります。
でも、今も毎日あれこれ「わかりつつある」ような気はしていますが。
posted by kingstone at 23:54|
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特別支援教育や関わり方など
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