私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年07月31日

私自身の治療

私自身への診断1
私自身への診断2
私自身への診断3

とかぶりますが、わたしのうつへの治療について書いてみます。

 エピソードとしては、中学の時に不登校になりかけたり(読まねばならぬ本が多いから家で読む、と1日だけ休んだ。何故か小学校の時の担任がやって来て私と話してくれて翌日からまた登校した。今から思うと母が頼んだのか?)大学の時には先輩から「暗いぞ。もっと明るくなれ」と言われてました。ネクラというやつじゃなく、うつ的な部分が多く、周囲に笑顔をあまり見せなかったようです。

 卒業後、なんやかんやあって2年後に教師になりました。

 覚えているのは、通勤の時の風景が山の緑や空の青もあったはずなのに、灰色に見えていたこと。

 また登校(出社)時に不安があり、せめてと考え朝職員室に入る時に大声で「おはようございます!」と挨拶しようと実行していたこと。これは少し効果があったようです。

 あと自分は「変」だ、という意識、もちろん「だからダメだ」という意識がありました。

 ところがカウンセリングの勉強をしようと、自分もカウンセリングを受けているうちに「変でもいいんだ」と自信が生まれてきました。自己肯定感ができた、ということになるでしょうか。

 そして、人づきあいが良くなり、他人にうまく質問できたりするようになります。
 また見える風景もきらきらと色彩豊かに見えるようになりました。
 うつを脱した感じでしょうか。

 あと、こういうことはこの人に聞いたらいい。ああいうことはあの人に頼ればいい、とかいうのがよくわかるようになった、というのもあります。

 肢体不自由特別支援学校にいた頃は元気だったと思います。しかし妻に言わせると年に1度は真っ暗なオーラにつつまれていた、ということですから、時期によっては出ていたのかもしれません。自分自身は真っ暗とか真っ黒とかあまり気がついてなかったのですが。ただし、そういう時は「仕事をやめたい」とは思いました。

 知的障害特別支援学校に行って、まあえらく悩むようになり、だんだんとうつの時期が長く、また深くなっていきました。

 で、通常校の特別支援学級担任になり、2年目終わりか、3年目始めについに精神科に通うようになります。この時は「眠れない」「周囲が真っ黒(暗じゃなく)」という感じで、「助けがいる」と思いました。カウンセラーでなく精神科に行ったのは「とにかく休みたい。しかし休むための診断書は精神科でないと出せない。カウンセラーはお金が高い。時間もかかるだろう」と判断したからです。

 でお医者様に行ったけれど

「私は環境は変えられません。(薬は出せます、と言われたかなあ・・・よく思い出せない)」

ということで「休み」は出ず、薬が出ます。1日パキシル10mm1錠だったか、2錠だったか。睡眠導入剤は何だったか忘れました。とにかく効かなくて、すぐマイスリーに変えてもらいました。

 パキシルは効いたのか、効かなかったか・・・よくわからないんですよね。でも、命綱みたいな感じで飲みましたが。

 で、ずっと通ってて、その時、特にそれまでと状態が変わった感じでは無かった(低空飛行を続けている感じ)のですが、主治医が「精神科では複数の薬で治していくこともよくあるのです」と言い、ワイパックスとドグマチール(これは100mmを1日2回)を飲むことになります。薬がどんどん増えていくのではないか、という不安はあったけれど飲みました。で、以前書いたように、授業をやっていても、車を運転していても眠ってしまうようになり学校に通うのが不可能になり休職に至ります。

 薬はそれがずっと続いていました。パキシルは20mmになり、最大それが1日2回ということになったかな。そこは覚えていません。

 そうそう、うつの気分が無くなる、という感じではなく、感情が平板になる感じはありました。落ち込みはしない。でも嬉しくもない。泣けもしないし、笑えもしない。どうもそれはパキシルの「効果」でもあるようです。

 それからさらに2種類増えたような気も・・・その時は薬局で買いましたけど服みませんでした。

 結局、退職になりました。

 で、まあ、寝たきり(トイレと食事以外)とか、少し外へ出る、みたいな日々を過ごしていました。

 そうそう、希死念慮はずっとあったので、主治医に一度「死にたいのですが」と言ったことがあります。何と答えられたのか忘れましたが「あっ、こういう話題は出してはいけないのだ」と思える答えでした。それ以後、その手の話はしていません。まあ「現実原則を身につける」という意味で精神療法になっているのかもしれません。

 後年、まずワイパックスは主治医が「工場が無くなって生産されなくなった」と言い、薬を別のものに変えようとしましたが、私がこれをチャンスに止めよう、と思って断薬しました。不安は少し出ましたが、できました。

 もう退職してしまったし、ストレスの元も無くなったのだから、薬を止めていこうとしたのですね。

 またその後、ドグマチールも量を1日1錠にするところから始めて、自分で断薬しました。これも不安は出たし、腕のしびれも出たのだけど、断薬できました。

 これらは主治医には事後報告です。断薬の相談にはのって下さいませんので。お医者様としては「必要」ということだったのかもしれません。

 Twitterでお医者様のツィートを見ていて患者から「○○の薬を出してくれ」というのはいけないけれど「○○の薬は飲みません」というのはありだ、というのがありました。そうなんだろうな、と思います。

 パキシルの断薬には何度も挑戦したのですが、離脱症状がひどく断薬できませんでした。身体依存・精神依存ともにあるようです。

 睡眠導入剤のマイスリーは「不眠」という困ったことを軽減してくれているので、納得して飲んでいます。しかしパキシルは・・・効果が実感できないのと、離脱症状があって止められないといいうので、何か納得できないところがあります。どこかで「効果は偽薬(プラセボ)と同じ」というデータも見たような気がしますし。今の知識が飲み始めの時にあれば、お断りしていたと思います。

 しかし、飲み始めの時は知識も無いし、それこそ藁をもすがる、という気持ちだから断るのなんて無理でしたが。

 なかなか難しいけれど、治療に患者も主体的に関わっていかないとだめなんだな、と思います。


 結局、寝たきりでなくなったのは・・・私はネットワーク依存だと思っていました。しかし寝た切りになって、パソコンを起ち上げない日も続きました。電子メールについても、届いても返事を書くことができませんでした。むしろ届くのがいやでした。

 起ち上げてもキーを触ることなく、マウスだけで、少しネットサーフィンをする程度でした。

 そのうちTwitterが話題になって来ました。

 Twitterに登録してみました。これはまあ「登録」ができるくらい元気が出てきた、ということだったのかもしれません。

 自分ではひとこともつぶやかず、子どもの頃、あこがれていた物理学者さんや、堀江貴文さんのツィートを見ていました。何か面白いと思えました。

 ある日、またつぶやいてもいなかったのに、いったいどうやって私のアカウントがわかったのか、Twitterから昔の仲間が私をフォローした、というメールが届きました。その瞬間から、それこそ脳の中に脳内物質が出てくる、そんな感じがしました。そして寝込む時間が減り、起きていられる時間が増えていき、ブログを再開することができるようになりました。

 今、起きている時間が増えたのはパキシルのおかげなのか?あんまりそういう気はしません。



















 
posted by kingstone at 21:12| Comment(4) | TrackBack(0) | うつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の障害

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 kingstoneです。

 私の障害って何だろう。

 私は難聴です。
 これがわかった時、私はすごく嬉しかったです。
 ってのも、それまでは「kingstoneの変なこと聞き」と周囲から言われたり、「人の話をちゃんと聞いてない」とか言われたりしていて、「俺って頭が悪いのかなあ」「俺って態度悪いのかなあ」と悩んでいたのです。

 難聴がわかって、ほっとしました。対策も取れるもんね。
「すみません、もう少し大きな声でゆっくりとしゃべって下さい」とか。

 でもある方に「そんなもん、耳も頭も悪いんかもしれへんやないかあ」と言われて、なるほどなあ、と思いましたが。

 あと、子どもの頃、窓の外ばかり見ていたエビソードを以前に書きましたが、ADHDもある可能性もあります。

 それから精神障害と名前をつければつけることができるとは思います。診断は受けたことが無いですけど、(診断を受けにいきたかったことは何度もあるのですが、異動しにくくなる、という思いが受けに行くのを躊躇させます)鬱はあるな。今風に言えば「気分障害」となります。

 でも、これは・・・○○さんがちょっと見て落ち込むような光景を毎日見ているのだから、鬱になっても当たり前、という言い方もできるかもしれない。もちろん、そうは思わない方が見れば何でもない、感動すらする光景なのですが・・・

 でもほんま障害(気質)が無ければ別にどうってこと無いのかもしれないというのは思います。

車掌さんへのカードの提示

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 ○○さん、どうもです。
 kingstoneです。

 >その対策として、カードに「アナウンスを最後までお願いします」と書いて、
 >車掌さんにこれを見せながら、地下鉄に乗り込むように教えました。
 >地下鉄の乗務員詰め所に電話を入れていることもあり、このカードに
 >うなずかれる車掌さんもおられ、ほぼ安心できる状態になっていました。

 わあ、□□君自身が車掌さんに見せてるわけですね。
 それと

 >そこで休みの日、以前成功した方法でリカバリーをしようとしました。同じことを
 >偶数回すると、嫌なことも帳消しになりますので、ストップされた以後のアナウンス
 >が聞こえないように、その場所でこちらが耳をふさいでやる。

 あ、でも通学に付き添われてるのかな。

 >解決方法があると言うことは、こちらも気が楽になりました。□□が不安定になる
 >のは、嫌なことを再現出きず、それが何度も何度も重なる時。再現できることが
 >見えるようになると、同じことが起こっても、かなり落ちついていられます。

 ほんまですねえ。
 落ち着いていられる・・・
 これが大事ですよね。

 一人一人の特性に応じて対策があり、落ち着いていられる。
 これが大事ですね。(ドーンとしてりゃパニックなんて起こらないと言われた高名な方もいらっしゃるけど・・・)


ADHDの番組を見て自分そのものだとショックを受けたお母さんに

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 ○○さん、どうもです。
 kingstoneです。

 >こんばんは、○○です。kingstone先生に研究会のプリントコピーのお礼を

 お手元に渡って良かったです。(ニコ)
 なお、あれは印刷です。だからコピーより随分安く、かつ早くできてます。

 ○○さんの個人のことは置いといて、一般論で。

 >でも、本当にADHDだったら・・・、障害者が、障害児を育てるという、世にも珍しい
 >事態になりますね。うーん、どうなるんだろう・・・?

 全然、珍しくもなんともないです。
 非常によくあることだと思います。

 もちろん、ADHDやLDに関しては、今までは「診断」を受けて来なかった方がほとんどだろうし、本人も周囲も障害(?あるいは診断名がつく?)とは思っていなかったけど、でもあえて診断してみりゃ、障害のある方が障害のあるお子さんを育てるってのはいっぱいあると思います。

(身体障害の方だったらもっとわかりやすいですね)

 しかし「障害」っつう言葉もなんかなあ、とは思いますね。

 ADHDにしろLDにしろ、昔だったら「ちょっと変わったやつ」くらいでそのまま大きくなり、育つに連れてそれなりに社会に適応していくから、またある部分で才能を発揮したりするから、社会的に受け入れられて来たと思うのね。

 それが、だんだん「問題」になってくるってのは、何でなんでしょうね。
 うーん、やっぱり本人さんたちの苦しみがあり、わかって楽になる部分があり、ということもあるだろうし、また子どもの世界は、結構一面的で暮らしにくくなってる、みたいなところもあるんだろうか。

 >主人にも「何も言わんとこれ見て」と、ビデオを見せました。
 >主人曰く、「お前そのものやん」。そのあと、2人で話をしたんですが、
 >話せば話すほど、私もADHDなんじゃないかという疑問がわいてきました。

 まあ、正しく診断できる人がどれだけいるか、その人たちを探して診断して頂くのと、自分で「そうだろうな」と思って、□□さんが書かれているように「対策」をしていくのと、どっちが楽かなあ、というコストパフォーマンス(費用対効果)の問題かな。

 診断をしてもらわなきゃ、対策を講じられない、というもんでもないし。

 で、これらって実は「自閉症」と言うか、言わないか、という問題とも関連して来ますね。

 別に「自閉症」と誰かを言うのは、相手を「障害者」としてのけ者にするためじゃないですね。どんな「支援」をしたらいいか考えるためです。そしてそのために「自閉症」という診断名は大切なのでした。

 それによって「彼らはさぼりやなまけじゃない。わからないからできないだけなんだ。どう支援したらいいか考えよう」というわけですね。

 もしADHDの方がいらしたら「今まで、周囲から「だらしない」とか「なまけてかたづけない」とか言われていたけど、実は障害ゆえだったんだ。どう支援してもらったらいいか考えよう。対策を考えよう」と思えば、結構気楽になりません??

 でもねえ・・・片づけってさ、ADHDかどうかだけじゃなく、動いている物や情報の量と、自分で処理できる量の問題もあるんじゃないかなあ。

 まあ、私も「のびた型」あるいは「トットちゃん型」のADHDなのかもしれないけれど、私の部屋が片づかないのは、入ってくる物や情報の量が多すぎるからだと思うのね。私の能力でも入ってくる量が少なければ何とかなると思うのだけど・・・(ドナさんがサングラスをして町に出るのと同じですよね)


ボランティアさんがやって来た

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 kingstoneです。

 ○○女子大に□□さんがボランティア募集の掲示をして下さいました。
 そしたら先日の自閉症児託児活動「れもん」でも4名さん、来て下さいました。
 その後もポツポツと連絡があります。

 みなさんがそうでもないみたいですが、福祉関係の授業で、単位にも関係するのがあるみたい。で、先日来た方も学長さんからの依頼状を携えて来られました。(びっくり)

 でも、ほんとありがたいことです。