私自身への診断2
私自身への診断3
とかぶりますが、わたしのうつへの治療について書いてみます。
エピソードとしては、中学の時に不登校になりかけたり(読まねばならぬ本が多いから家で読む、と1日だけ休んだ。何故か小学校の時の担任がやって来て私と話してくれて翌日からまた登校した。今から思うと母が頼んだのか?)大学の時には先輩から「暗いぞ。もっと明るくなれ」と言われてました。ネクラというやつじゃなく、うつ的な部分が多く、周囲に笑顔をあまり見せなかったようです。
卒業後、なんやかんやあって2年後に教師になりました。
覚えているのは、通勤の時の風景が山の緑や空の青もあったはずなのに、灰色に見えていたこと。
また登校(出社)時に不安があり、せめてと考え朝職員室に入る時に大声で「おはようございます!」と挨拶しようと実行していたこと。これは少し効果があったようです。
あと自分は「変」だ、という意識、もちろん「だからダメだ」という意識がありました。
ところがカウンセリングの勉強をしようと、自分もカウンセリングを受けているうちに「変でもいいんだ」と自信が生まれてきました。自己肯定感ができた、ということになるでしょうか。
そして、人づきあいが良くなり、他人にうまく質問できたりするようになります。
また見える風景もきらきらと色彩豊かに見えるようになりました。
うつを脱した感じでしょうか。
あと、こういうことはこの人に聞いたらいい。ああいうことはあの人に頼ればいい、とかいうのがよくわかるようになった、というのもあります。
肢体不自由特別支援学校にいた頃は元気だったと思います。しかし妻に言わせると年に1度は真っ暗なオーラにつつまれていた、ということですから、時期によっては出ていたのかもしれません。自分自身は真っ暗とか真っ黒とかあまり気がついてなかったのですが。ただし、そういう時は「仕事をやめたい」とは思いました。
知的障害特別支援学校に行って、まあえらく悩むようになり、だんだんとうつの時期が長く、また深くなっていきました。
で、通常校の特別支援学級担任になり、2年目終わりか、3年目始めについに精神科に通うようになります。この時は「眠れない」「周囲が真っ黒(暗じゃなく)」という感じで、「助けがいる」と思いました。カウンセラーでなく精神科に行ったのは「とにかく休みたい。しかし休むための診断書は精神科でないと出せない。カウンセラーはお金が高い。時間もかかるだろう」と判断したからです。
でお医者様に行ったけれど
「私は環境は変えられません。(薬は出せます、と言われたかなあ・・・よく思い出せない)」
ということで「休み」は出ず、薬が出ます。1日パキシル10mm1錠だったか、2錠だったか。睡眠導入剤は何だったか忘れました。とにかく効かなくて、すぐマイスリーに変えてもらいました。
パキシルは効いたのか、効かなかったか・・・よくわからないんですよね。でも、命綱みたいな感じで飲みましたが。
で、ずっと通ってて、その時、特にそれまでと状態が変わった感じでは無かった(低空飛行を続けている感じ)のですが、主治医が「精神科では複数の薬で治していくこともよくあるのです」と言い、ワイパックスとドグマチール(これは100mmを1日2回)を飲むことになります。薬がどんどん増えていくのではないか、という不安はあったけれど飲みました。で、以前書いたように、授業をやっていても、車を運転していても眠ってしまうようになり学校に通うのが不可能になり休職に至ります。
薬はそれがずっと続いていました。パキシルは20mmになり、最大それが1日2回ということになったかな。そこは覚えていません。
そうそう、うつの気分が無くなる、という感じではなく、感情が平板になる感じはありました。落ち込みはしない。でも嬉しくもない。泣けもしないし、笑えもしない。どうもそれはパキシルの「効果」でもあるようです。
それからさらに2種類増えたような気も・・・その時は薬局で買いましたけど服みませんでした。
結局、退職になりました。
で、まあ、寝たきり(トイレと食事以外)とか、少し外へ出る、みたいな日々を過ごしていました。
そうそう、希死念慮はずっとあったので、主治医に一度「死にたいのですが」と言ったことがあります。何と答えられたのか忘れましたが「あっ、こういう話題は出してはいけないのだ」と思える答えでした。それ以後、その手の話はしていません。まあ「現実原則を身につける」という意味で精神療法になっているのかもしれません。
後年、まずワイパックスは主治医が「工場が無くなって生産されなくなった」と言い、薬を別のものに変えようとしましたが、私がこれをチャンスに止めよう、と思って断薬しました。不安は少し出ましたが、できました。
もう退職してしまったし、ストレスの元も無くなったのだから、薬を止めていこうとしたのですね。
またその後、ドグマチールも量を1日1錠にするところから始めて、自分で断薬しました。これも不安は出たし、腕のしびれも出たのだけど、断薬できました。
これらは主治医には事後報告です。断薬の相談にはのって下さいませんので。お医者様としては「必要」ということだったのかもしれません。
Twitterでお医者様のツィートを見ていて患者から「○○の薬を出してくれ」というのはいけないけれど「○○の薬は飲みません」というのはありだ、というのがありました。そうなんだろうな、と思います。
パキシルの断薬には何度も挑戦したのですが、離脱症状がひどく断薬できませんでした。身体依存・精神依存ともにあるようです。
睡眠導入剤のマイスリーは「不眠」という困ったことを軽減してくれているので、納得して飲んでいます。しかしパキシルは・・・効果が実感できないのと、離脱症状があって止められないといいうので、何か納得できないところがあります。どこかで「効果は偽薬(プラセボ)と同じ」というデータも見たような気がしますし。今の知識が飲み始めの時にあれば、お断りしていたと思います。
しかし、飲み始めの時は知識も無いし、それこそ藁をもすがる、という気持ちだから断るのなんて無理でしたが。
なかなか難しいけれど、治療に患者も主体的に関わっていかないとだめなんだな、と思います。
結局、寝たきりでなくなったのは・・・私はネットワーク依存だと思っていました。しかし寝た切りになって、パソコンを起ち上げない日も続きました。電子メールについても、届いても返事を書くことができませんでした。むしろ届くのがいやでした。
起ち上げてもキーを触ることなく、マウスだけで、少しネットサーフィンをする程度でした。
そのうちTwitterが話題になって来ました。
Twitterに登録してみました。これはまあ「登録」ができるくらい元気が出てきた、ということだったのかもしれません。
自分ではひとこともつぶやかず、子どもの頃、あこがれていた物理学者さんや、堀江貴文さんのツィートを見ていました。何か面白いと思えました。
ある日、またつぶやいてもいなかったのに、いったいどうやって私のアカウントがわかったのか、Twitterから昔の仲間が私をフォローした、というメールが届きました。その瞬間から、それこそ脳の中に脳内物質が出てくる、そんな感じがしました。そして寝込む時間が減り、起きていられる時間が増えていき、ブログを再開することができるようになりました。
今、起きている時間が増えたのはパキシルのおかげなのか?あんまりそういう気はしません。