−−−−−−−−−−以下ネタバレ−−−−−−−−−−−−−−−
仁は医学館(本道(今で言う漢方)に呼びつけられます。
洪庵先生たちは呼びつけられるのはおかしい、と言いますが仁は「一度行ってみたかった」と言って行きます。
話し合いをしている最中に福田玄孝が腹痛で倒れる。仁は「胃潰瘍穿孔」と診断し、すぐに手術を。嫌がる福田に上司である多紀元琰 は「お前が死んだら責任者のわしも腹を切る」と言って説得します。
前回のJINのエントリーのコメント欄でも「腹を切る」は話題になりましたが、実際江戸時代の人だと何かにつけて「腹を切る」と言う感覚はあったのかもしれない。しかし多紀は奥医師であり、武士では無いけれど・・・武士でなくてもこんなことを言ってたのかな?
手術は成功。
佐分利(西洋医学所の書生)のメスが前回切り刻まれていた女性の部屋から発見されます。佐分利は女性を治療し、亡くなった後腑分けすることを納得してもらった上で腑分けしたことを告白。しかし腑分けはお上の許可(しかも年2〜3件)のいること。ドラマの中で、当時それほど問題視はされていなかったようなことが示唆されますが。
これは今なら倫理委員会を通さずに新治療を試みたようなものか。「医術の進歩のため」という佐分利に洪庵先生は
「道を開くということは自分だけの逃げ道を作ることではない」
「『人殺し』『出て行け』と石のつぶてを投げられながら『種痘』という道を開いて来ました」
と諭します。う〜む、絵カードをコミュニケーションに使うことに重ねて見てしまう。
ここからが私にはよくわからない。洪庵先生が佐分利とともに西洋医学所を退くことで解決しようとするが、仁が「体のことを知らねばと言った私の責任です」ということで罪を被ることで洪庵先生と佐分利が退かなくてもいいようにする、という話の流れなのですが、別に仁が責任を取ったからといって、洪庵先生たちの責任が周囲から追及されなくなる、というもんでもなさそうな気がするが・・・
ペニシリンのことを後のみんなに託して去る仁に龍馬が
「頼まれもせんのに、この日の本の国をもっとええ国にしたいと思うちょるがは、生まれて来たからには何かやってやりたいっちゅう欲からじゃ」
「先生には欲が無い。心配じゃ」
と言います。まあそんなこんなで仁は去るわけですが、命をねらわれます。野風からの手紙により咲が危機一髪の所を林に匿います。刺客が「覚悟!」と斬りつけようとしたら、青カンしていた別のカップルで・・・そこらじゅうカップルだらけ・・・江戸時代ってラブホテルがあるわけじゃないし、茶屋や居酒屋の二階ってのもお金がかかるだろうし、そういうの多かったのだろうな。
仁を護衛しに行こうとする龍馬を止め、恭太郎に行かせる勝。何故かと問う龍馬に勝は
「死にかかってるのは人ばかりじゃないんだぜ。この国も死にかかってる」
ペニシリン作りを妨害されることに何か手だてをしないのかと問われた洪庵先生。
「恨みは恨みを買うだけやと思いませんか」
洪庵先生は濱口梧陵(ヤマサ醤油第7代浜口儀兵衛)に援助を依頼します。その最中、ペニシリンの工房が焼失(たぶん放火)します。梧陵は、ペニシリンのタネを一株だけ守った山田順庵に開発させ、一週間で製造に成功。仁は火傷の娘の治療に成功します。
ヤマサ醤油のペニシリン工場を訪れた仁は「(ヤマサが)あったんだ。この時代に」とびっくりし、喜びます。しかし仁はここで悟稜から洪庵先生の病(労咳)が厚いことを知らされます。見舞った仁に洪庵先生は「あなたは未来から来たのですか?」と尋ね事実を伝えた仁に洪庵先生は労咳が未来では治る病気になっていることに喜びまた
「医の道はどこへ通じるか。平らな世に通じると思います。未来は平らな世になっておりますでしょうか?」
士農工商は無くなってますね。また未来から来た仁に
「その寂しさをお分け下さい。お恥ずかしいことに、私は大阪から江戸へ来て寂しくて寂しくてたまりませんでした。しかしあなたの寂しさは私どころでは無い」
確かに洪庵先生は大阪を離れがたかったようです。江戸へ出ることを何度も要請されたのに断っていたとか。仁は
「私は決して孤独ではありませんでした」と答えます。
1963年7月25日。洪庵先生は亡くなります。
その頃、龍馬は海軍伝習所の資金5000両を越前(福井)の松平春嶽から借りることに成功します。
「わしは日本を今一度せんたくするぜよ」
これ有名なセリフですが、どっかの手紙に書かれていた文のような気がする。
仁は新たに「仁友堂」という診療所を開くことにします。
う〜ん、ドラマに何熱くなってんだ、というところですが、いやあ熱くなる。