知的障害特別支援学校にいた頃。
他の知的障害特別支援学校の先生との対話です。
kingstoneです。
>で、いろいろ、話したのですが、要するに子供は教師の言うことを聞くことが
>できればいい、ごねたりかんしゃくを起こさなければ伝える必要は無いという
>考えなのかなと思うとがっかりしてしまって、、、、、、
うーーん・・・確かに音声言語のみで動いてくれればこちらは簡単・・・音声言語のみの授業や行事でもその場に静かにいてくれれば、そりゃ簡単・・でも実は、わかってないところをつきあってくれてるだけかもしれない、そこんとこをどうこちらが理解するか、ですよね・・・
>その子はこの頃びっくりするような力を見せてくれています。うちの小学部は、
>水曜日が図工、金曜日が徒歩訓練なのですが、その子は、その授業を楽しみに
>しているのですが、予定が代わって違う授業を提示するとカードの中から、そ
>の曜日の授業のカードを捜し出して来て、「今日は、これのはずだ」と示した
>のです。そんな事が、3学期になって何回かあり、皆でびっくりしたものです。
>曜日がどこでわかるんやろうと謎です。
>
>一方的に次の予定を示すだけに使うことの多かったカードですが使い慣れて来
>ると子供も使うようになるものなんですね。意図的に使わせたのは、お代わり
>のカードだけだったのですが。
そうです、そうです。ほんまねえ・・・不思議ですけど、そういうことありますよね。伝えられるんだ、ということがわかれば、いろいろ使い始める子もいる。
>そんなふうに、とてもとても有効であるカードコミュニケーションなのになぜ
>そんな風に考えるのか真意が分からなくて、トホホ状態です。
っていうかごく普通の健常な方の意識としてはそうなってしまうと思います。自分が困っていないのだから、子どもも困るわけがない、できないのは「さぼり、なまけ、親の躾が悪いせい」とかいうふうになるのが少なくとも今まではごく普通と考えたほうがいいんじゃないかな。
そこで理解して頂くためには、ほんまたいへんですね。
あと、今までの学校の授業って「指示を守らせる」ことだけで、本人たちの選択とか、本人たちの意見を聞く、とかいうことには健常な子どもたちへの指導でも、なかなか無かったと考えていいのじゃないでしょうか。
本人たちの表現を引き出す、という考えが無ければ、カードコミュニケーションなど「補助代替コミュニケーション手段」などほとんどいらないわけで・・・・
でもそういう「考えが無い」人を非難はできないわけです。
先輩から連綿として続いてきてるんだから・・・
私の学校に来た大学教授が言いました。「TEACCHのセミナー。こんなもの行かない方がよろしい。こういうセミナーなどで学ぶのでなく、先輩から学びなさい」
もちろん、みなさん先輩から学んで来られたと思います。まじめに。しかし先輩から学んでいたのでは、こういう考えが無いのだから、理解して頂けなくて仕方ないですよね・・・
まあ、そんな環境の中で進めていくのですから、ほんまぼちぼちと敵を作らないようにしながら、やっていかないと仕方が無いかなあ、ということを思います。
あ、それと保護者の方に勉強して頂いて、保護者の側から学校に要求して頂く・・・(こう書くと親御さんから叱られるかもしれませんがでも同僚からの意見というのはなかなか理解されないんです・・・)
>う〜ん いい子になってくれてうれしいような、いやいやこんないいかげんな
>事にはもっと断固抗議して欲しいような、複雑な思いです。
>
>何事も無かったからよかったよかった、これでもいけるやん。となると、今度
>わけわからんようになっておおごねになったとき、きっと、勝手なことをまた
>言ってる、と言われることになってしまいそうです。
あはは、よくわかります。
そうですよね。