知的障害特別支援学校にいた頃。
kingstoneです。
Oさん、□□さん、レスありがとうございます。
>いつもメールを拝見させてもらって、こんなに活動されている
>kingStoneさんをつき動かしているものっていったい
>なんなんだろうと、思っています。
悔しいじゃないですか。
あの手この手を使えばすごくコミュニケーションできるお子さんに対して、配慮の無い環境や関わりで混乱させ「ああ、やっぱり自閉症やから仕方ない」とか「自閉症はむつかしい」なんて言われるの。
しかし、私自身がそうでした。
今の学校に来て「何かおかしい」と思いながらも、何をどう考えていいかわからなく、もし卒業後の施設や社会が「威嚇」で動かすところなら、学校時代にそれでちゃんとしつけておかないといけないのかなあ、と思っていました。(先輩はほとんど威嚇でしたし)
1996年の秋でしたか、障害児教育フォーラムの△△さんに「北海道のAAさんが来るから京都に遊びにおいで」と誘って頂いて児童福祉センターのお医者様のBBさんやTEACCHプログラム関西支部の北部(現在の京滋支部)事務局をしてはったCCさんなどと会わせて頂くことができました。(△△さんは研究会にも来て頂けここにも参加しておられます)
でも、その時はBBDr.に「「自閉症治療の到達点」とか読んで、もっと科学的にやりなさいよ」と言われたのに「子どもたちが出ていく先が威嚇で動かすところなら、学校時代にそれをしつけなきゃ」と学校文化の立場(?)から反論していました。
1997年5月に現在の京滋支部の例会で服巻智子先生の講演を聞き、視覚支援の大切さを知り、A君C君にすのこの上でなく横で靴を脱ぐ、というのを視覚的てがかりをつけてやってみたら今まで叱っていたのが嘘みたいにすっとできちゃった、という経験をしました。
そして1997年10月のセミナーで自閉症のお子さんが、視覚的支援を手がかりに音声言語でコミュニケーションしたり、自分で判断して動けたり、というのを目の当たりにさせて頂きました。
で、お子さんが理解できてきて、いろいろやってみると「わあ、自閉症の方とつきあうのってすっごく楽しいやん」というのがわかってきました。
でも私の学校でも周囲の学校でも、お子さんの特性を理解せずに混乱させるという悲しいことをいっぱい見たり聞いたりします。ほんと何とかしたい、という気持ちになります。
> カードを使っている「下手」な教師より、使わない「上手い」教師の方が「良い指
>導」を行っている場合もあります。
これやけどね、私は「カードを使っている「下手」な教師」です。
もちろん「カード」だけでなく、あの手この手いろいろ使いますけど。
でも「「下手」な教師」です。
たいていの先生は私より「上手」です。
だから私は自分のことを「情けない教師」と呼ぶわけね。
でもね・・・時に、その「上手」な方は他を批判しはります。
同僚であったり、保護者であったり。
違うやろ。ほんとに「上手」であるのなら「下手」な人でも、うまく関係が作っていけるような具体的なあの手この手を教えんかい。それによって「上手」になっていくわけで。
私に「何も知らない若い人(別に上手でなくていい)」を何人かつけてくれて、カリキュラムも独自でやっていい、ということになれば私はお子さんにとって「いい環境」を作っていく自信があります。
例えば今回発表された○○さん。TEACCHに批判的な人たちは
「いやあ、○○さんの人間性が良かったから、TEACCHを使ったにも関わらず良くなったのよ」とおっしゃるでしょう。
違います。TEACCHを知らない段階では、混乱しているお子さんに無理矢理体操服を着せたりとか、体力勝負でやってはったのです。そしてそれが続いていると「○○さんは人間性が駄目なのよ」と陰で批判するでしょう。あるいは「あの人は子どもを見る目がない人だ」と。
「人間性」「愛」それはみんなあるんだ、というのが私の主張です。
で、それを発現できる具体的な方法を伝えることができないといけないのだ、ということですね。
そういや小枝先生こんなことを言ってはりました。
「某県の方も私のところへ来ておられる方がいますね。その保護者の方はTEACCHが上手になられて、教師にも「こうやって下さい」と言い、すごくうまくいっています」
某県の人が鳥取まで行かないといけないというのも情けないけど、でも良かったな、と思います。「保護者が勉強して教師が振り回される」というような言い方をさんざん聞かされたあと、この小枝先生の話はすっとしました。
> まぁ、私はそれを聞いて、シンボルの弁別についての研究をしようと
>思ったわけですが^_^
よろしくね。写真そのものではなく、白抜き写真にする、とかいうのほんまええと思います。
PS. でもね、ほんま派手な宣伝は今回限りにしようと思っています。
いささか私も疲れました。