大昔の話です。
知的障害特別支援学校にいた頃。
Oさん、○○さん、どうもです。
kingstoneです。
> それはカードコミュニケーションは「指示するため」だけに使う
>のではなく、「一つのイメージ」を共有するために使うことが大事だ
>と思うということです。
> 使っていく中で「禁止」のカードももちろん出てきますが、少なく
>とも導入時は「指示」「禁止」だけでない使い方が大事だと思います。
>
> まずすでに成立しているコミュニケーションにカードを置き換えて
>みて、それが伝わった時は思いっきり誉める(あるいは大げさに反応する)
>というのがコツかと思います。
>
> あまり無理せずに...注目するものから利用するというのが良いか
>と思います。
C君に当てはめてみます。
C君のカードの使いはじめは、まず体育館への移動から始まりました。
これはすぐできました。というのは実は体育館への移動はカードなんかなくってもできていたのです。(注・しかしながら単に周りの人の流れについて行っていただけだ、ということが後でわかりました)ただこれでカードを持って行った先のポケットに入れる、というシステムを身につけることができ、今度は体育館から教室に戻る、というのが一人でできるようにもなりました。(以前は前にいる人についていき、しょっちゅう他の学年の教室に行っていた。それを防ぐには大声で呼び止める、手をつなぐ、などの方法しか無かった)
カードでの表現については、その後から試みました。
まずは「大好きなプリントをやりたい」というのを写真カードを私に持ってくればさせてあげる、というのから始めました。この「自分の要求するカードを渡せばできる」というのがちゃんとC君に理解できるまで場面を設定し指導を繰り返しても2か月かかりました。
そしてそれができはじめた頃、Oさんの実践をヒントに「こそばして」「ぎゅっして」「やめて」を教えたところ、これで完全にカードで要求ができるのだ、ということがわかり使えるようになりました。これは「プリントやりたい」の後だったせいか、すぐに使えるようになりました。
ところで現在はカードを私が想像していた以上に創造的に使うC君ですが、こちらが「それはしないで」という「禁止」は私の見ている範囲ではまだうまく通じません。お子さんによるでしょうが、なかなかむつかしいもんです。
「できていることから」
「注目できる(好きな)ことから」
「禁止はなかなかむつかしい」
というあたりですね。ただしお子さんによっていろいろだとは思いますが。
○○さんの
> プールから帰ってきて少しだけ部屋にいただけですが、お母さん方の
>カードやブックなど視覚支援グッズの使い方について多少不安を持ち
>ました。「言葉で伝わるから、これはいらない」というような発言が
>ちょっと聞こえました。
> 視覚支援とは、そういうことではないのだと思います。安心して
>コミュニケーションしたり、確認のために使ったりできることが重要
>なのです。けして指示の道具としてだけ使ってはいけません。また、
>導入のときはあくまでも本人のニーズに合ったものから使わねばなり
>ません。>大丈夫だと思いますが、kingstoneさん、よく伝えてあげてくださいね。
そうですね。
音声言語と視覚支援はどちらかがあれば、どちらかは必要ない、というもんではないですね。ドナ・ウィリアムスさんの講演でも、ご本人は「視覚優位??」みたいな発言もありつつの、でもやっぱり「具体物で説明してくれた方が(具体物をそえて説明してくれた方が、という意味だと思う)いい」みたいなこともおっしゃってたようですね。
でもってニキ・リンコさんは「物と音声言語が結びついてやっと安心できた」と発言してはりました。(ここらへんは私の場合、直接聞いたのではなくて全て伝聞ですが)
ほんと人により様々だと思うのですが、「安心してコミュニケーションする」そして「やりとりを楽しめる」ようにするために、視覚支援って大事なんだろうな、と思います。
> そういうことを話し合いながら、またいっしょに作れるとよいですね。
そうなんですよね。うまくいったり、いかなかったり。そういう結果を持ち寄ってまた話し合い、やってみる。それができたらいいですよね。